おも〜か〜じ(面舵)‼︎

因果律からの離脱

今回は少し、オカルティックな記事を書いてみたい。

「因果律(原因と結果、因と縁)」と其の逆の「人の人生途上の出来事は既に決定している」と云う此の二つを取り上げてみたい。

此の世は因果律で成り立っているとするならば、我々は自分で蒔いた種を自ら刈り取っているのであろうか…。

オカルト話では、人が死んで霊界に入ると云われているが、此の霊界も原因と結果に支配された世界だと云う。

我々の居る此の世よりも厳しく結果が反映されると云う。

自ら蒔いた種を刈り取る時期は様々である。

今世に蒔いたから今世に刈り取るとは限らない。

次に生まれ出る迄に、多少の修正が掛かる。

結果が顕現するのは、自身に直接降りかかる訳ではなく、親、子、環境の悪化等、間接的に現れる。

各宗の経典に目を通すと、そう説かれてある。

だが、自然災害等で多くの命が失われる時、皆が同じ結果を受けたのだろうか。

解らない。

善人も悪人も同じく災害に遭うのである。

宗教家は、此の事をどう説明するのか聞いてみたいものだ。

吾の知人に或る宗教教団に入信している奴が居るので、問うた事が有ったが、答える事が出来なかったのである。

普段から、したり顔で説き、マウントを取って来るが、此の時ばかりは整合性が取れなかったのか、答えは返って来なかった。

恐らく、名の通った宗教家も知人の信者同様に的確には答えられぬだろう。

いや、其れでいい答えは無いのである。

若し「こうだ!」と断定する者が居たならば、近付かぬ方が良いし、距離を置いた方が良い。

其の者は大抵ペテン師である。

行いに対する結果は、直接自分の身に返って来るものばかりではなく、実生活に於ける環境の悪化になって現れる場合が在る。其の者が困窮する様な不遇の環境となる。

と、汎ゆる経典や宗教本には謳ってある。

一方、此の因果律を否定する様な言説も在る。

各人の人生途上の出来事は、既に決まっていて、渦に巻き込まれるが如く、あれよあれよと云う間に引きずり込まれて行くのだと説く者もいる。

此処で疑問が湧く。

では、既に決定して、変える事が出来ぬ出来事は何の力によって決められたのか…。

アスリートや成功者が云う言葉に、

「人生は変えられる。未来は変えられる」

「成りたい自分をイメージして念じて行動すればそう成れる」

と…。

だが、変わる為に努力する行動と成った自分は、既にそうする様に決められていて、ただ単に其の敷かれたレールをなぞっているだけなのだと云う。

ならば、我々は毎日あくせくと努力するだけ無駄なのだろうか。

吾には解らない。

偶に、先の未来を見る人が居るが、決定している其の光景を見たと云う事になる。

矢張り、各人の人生途上の出来事は決定しているのだろう。

今こうして…

飯を食い…

大小便を出し…

歯を磨き…

SEXをし…

子が生まれ…

職場に通い…

病に罹り…

犯罪行為をし…

車で建造物ヘ突っ込み…

逆走をし…

乞食(ホームレス)なり…

等々…。

実生活上で起こり得る凡ての行動や出来事が既に既定されていて、其れを恰も自身が考えて行動していると錯覚しているとするならば、此れ程不幸な事は無い。

今當に吾がこうしてブログで講釈を垂れているのも既定の行動なのだろうか。

若し此の先の出来事が解っていて、決して変える事が出来ぬなら、躍起になるだけ馬鹿らしい。

SF映画で、もう一つの時間軸では同じ人物が違う人生を送っていると云うものが在った。

其の時間軸は幾つも在って、其々が違う人生を送っている。

まるで、三面鏡に映る自分。

其処に映る幾つもの自分が其々に意思を持って生きている…。

話が大きく脱線したが、世の中には色んな面白い説を唱える人がいる。

と、まぁ今回の記事を読まれた方の箸休めにでもなれば幸いである。


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