昨日は、祖母の命日。
あれから3年。
つい此の間の様である。
9月に入り、日差しの勢いが緩んだのか、朝晩が過ごし易くなった。
そして、実生活に色々な事が起きた。
當に予期せぬ事ばかりが起きるのが人生である。
否、我々が起こり得る出来事を察知出来ぬだけで、実はもう最初から筋書きが出来ているのかも知れない。
だとすれば、個々の人生の筋書きは誰が構成しているのだろうか.....。
まぁ、そんな不確かな事に思いを馳せてみてもどうにもならない。
ただ、吾の人生途上に於いて発生する流れは、一体何処へ導こうとしているのだろうか。
此の儘、流れに身を任せていればよいのか......。
それとも、其の都度抗い続けて生きて行けばよいのか.....。
此の齢になっても、どう生きればよいのかが解らない。
「先祖や親が敷いたレールが在ればなぁ」
と思い巡らす事も在る。
だが、後継ぎと云うのも大変である。
歴代の先代方が築いたものを受け継いで、次の後継に渡さねばならない。
併し此の世は常ではない。
他人に奪われたり、全く別のものに成り果てる事さえ在る。
其れを考えると、何のレールも繋がりも無い根無草の様に生きた方がよいのかと思う時が在る。
考えが纏まらない。
人生の方向性も定まらぬ儘歩いている。
行き当たりばったり.....。
環境を捻じ曲げる程の気力も無い。
何と厭世的な記事内容だろうか.....。
秋の彼岸も過ぎれば、より涼しくなるだろう。
そうすれば、憂鬱さも軽減するかも知れない。
こうして憂鬱な気持ちに襲われた時、吾は頭と心をスッキリさせる為に行っている事が在る。
其れは、何時も動いている生活圏内から出て、下を見渡せる小高い丘や、展望台で深呼吸する事である。
深呼吸だけでも効果が在るが、地上より上に上がると云う事でより効果が在る。
都会住まいならば高層ビルの屋上でもいい。
高所から下を見渡す事で、俯瞰する事が出来る。
悩みは無限に湧いて出る。
抑える事は出来ないので、こうして騙し騙しやって行くしかない。
宗教家が云う様な、「黙念して悩みを正面から見る」等と云う事をやっていたら、忽ち取り込まれて身動きが取れなくなってしまう。
他の事で誤魔化して、紛らわせるしかない。
思えば、「悩めるうちが華」なのかも知れない。