羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

懐かしさ

2015年11月26日 | Weblog
「FOUJITA」はパリの街角、そして後半の日本の田舎と、画面いっぱいに広がる情景が美しく
それはやはり小栗監督の世界であり期待を裏切らないものだった。

エンドロールに江川悦子さんのお名前を見つけたのも嬉しかった。
特殊メイクアップアーティストとして今や彼女は日本を代表する一人。
彼女の娘さんがまだ小さかったときほんの僅かな間、
わたしは彼女のベビーシッターだった。
うちのこどもたちと一緒に遊び、おばあちゃんも絵本をよみ、
ときに夏の夜は花火をしながらママの帰りを待った。

離れた後も、彼女が活躍し有名になっていくのをいつも嬉しく頼もしく見ていた。
悦子さんにとってもここはアメリカから帰国したスタート地点。
懐かしい場所のようだ。

懐かしいといえばわたしの駿。
愛猫が天国にいってしまってもう4年だ。
先日、散歩でたまに通りかかるペットグッズの店でペットの写真を使ってスマホポーチが
作れることを店主さんから聞いた。
さっそく家に帰って探したけれど駿はあまり写真が好きではなかったので
意外にこれといった一枚がない。
たまにあっても乱雑な自室が写りこんでいる。
それでどうにか二枚選んでお願いすること二週間。
とうとう完成した。



右下に駿と名前も入っている。駿がまた近くにいる。いつでも会える。 とても嬉しい。

FOUJITA

2015年11月14日 | Weblog
小栗康平監督の10年ぶりの映画が公開された。「FOUJITA]
正直なところ藤田という画家についてはほとんど知らなかった。
あのオカッパ頭の印象が強烈でなじめない一方、かわいい少女の絵や
よくでてくる猫について多少の関心があった程度。

でもとにかく小栗さんである。
小栗監督の作品を待っていたといってもいい。
わたしが監督を知ったのは「伽耶子のために」という映画。
李恢成原作のこの本が学生時代、ほんとうに好きだった。
読み返してボロボロになっていたため引越しをしたとき、
あやうく夫に捨てられるところだった。
(不用品の山に投げ込まれてあった)

この大好きな本を見事に映画化してくれたのが小栗監督である。
もちろん、公開してすぐに観にいった。
そしてそれから30年以上が経った。

この度、新作公開記念で監督作品「泥の河」や「死の棘」、「伽耶子のために」も
期間限定で上映されることを知り、もちろん「伽耶子」を観にいってきた。
監督作品は全作品のセット販売で高価でもあり品薄にもなっているらしい。
だから単品DVDはない。(どうやら近い将来分売されるらしいが)

映画を観る前に、もう一度原作を読んだ。
やっぱり好きな作品だった。
映画をもう一度観ると、当時は若い人たちの側にたってみていたものが
時を経て、親の立場になっているじぶんに気がつく。
伽耶子のお母さんは気性が荒いがクナボジ(朝鮮人の父)の気持ちもわかるような気がする。

サンジュニ(主人公)と伽耶子がリヤカーを押して暗い夜の森を歩く場面を
サンジュニが下宿していた近くの井の頭公園だと思い込んで
印象に残っていたけれど、北海道のR町でのことだった、という記憶違い。。
この映画でデビューした南果歩さんがとっても可憐でイメージにピッタリで
それ以来ずっと彼女のファンである。

藤田画伯についてはNHKで番組を特集してくれたので予習ができた。
明日、観にいく予定。

金沢、輪島、母娘旅。

2015年11月10日 | Weblog
金沢は予想していたけれど観光客でいっぱいだった。
予測できたので「ここ」と思ったところを娘と相談して
予約しておいた。
東茶屋街の料亭「十月亭」でランチ。
昔のお茶屋を改装した「フラッフィー」でパンケーキ。

もちろん前回書いた観光列車や長距離バスなど。



「花嫁のれん」は期待通りに豪華でテンション上がった。
石川県の食材を使った辻口パティシェのスイーツセットも美味しくてにっこり。

列車とバスを乗り継いで夜、輪島に到着した。
「あぜのきらめき」世界農業遺産、千枚田の光は期待通りに美しかった。

今回、娘が行きたかったベストの上位にあったのが金沢の泉鏡花文学館である。
わたしは以前にも行ったことがある。
(好きな作家は泉鏡花文学賞をとっていることが多い)

出発前の娘のリサーチで「文豪スタンプラリー」をやってることがわかり
各文学館などをまわるフリーパスも購入し、
泉鏡花、徳田秋声、室生犀星、金沢文藝館、石川近代文学館とすべて行くことができた。

景品。。三文豪の初版本がメモ帳になっている。

兼六園や21世紀美術館や茶屋街の観光客はここまではこないらしく
文学館はやはり落ち着く場所だった。

犀星記念館には猫のジイノがいた。