神社で"買った"お守り以外はダメだととうのははじめて知った。自分の認識では人形のようなものはありだと思っていて、実際に親は近所の神社にもっていっていた。
今回、テレビで見た神社の例のような「回収場所」に勝手に置いてくるシステムではなかったから、多分、受け付けてれてたのだと思う。
親は一応、年始とか盆踊りの時とか節目節目にはそれなりの額は寄付はしていたからタダのりではなかったということだけは付記しておく。
今回、テレビで見た神社の例のような「回収場所」に勝手に置いてくるシステムではなかったから、多分、受け付けてれてたのだと思う。
親は一応、年始とか盆踊りの時とか節目節目にはそれなりの額は寄付はしていたからタダのりではなかったということだけは付記しておく。
「個人の思いはこもっているのかもしれないが、千羽鶴も神社とは無関係だからダメ。正月飾りもダメ」
…というのをきくとビジネスライクだなぁ、とむしろ思ってしまった。そもそも勝手に置いてくるシステムということは色んな意味で大規模、つまり儲かってるとこなんだろうと思う。
よくキリスト教は戦争ばかりしてるけど日本の仏教や神道は平和的で教義にも矛盾がないみたいに無根拠にいう人がいるけど仏教でさえ戦時中は特攻の後押しをしたし、昨今の墓トラブルや、災害時などのチャリティへの参加度合いなどを考えると寺社仏閣よりキリスト教会のほうがよほどヒューマンぢゃねーかと思う。
最近、我が家の墓があるお寺が修復費を募っていたが、親の代から世話になってて仕方ねーから寄付したけど、振込用紙に最低5万円以上と書いてあったのを見たときなんだかなぁと思ってしまった。印刷した令状はきたけど、彼岸でお布施渡しにいって顔合わせたときには何のあいさつもなかったしな。
自分はもう墓入らなくていっか?…と思ってしまった今日このごろ。
自分はもう墓入らなくていっか?…と思ってしまった今日このごろ。
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