そのむかし永野が
テレ東の土曜深夜枠の「イツザイ」という番組に出てたころ
見たことのない映画のモノマネをするというネタがあって
シュールなスパイダーマンを演じていた
テレ東の土曜深夜枠の「イツザイ」という番組に出てたころ
見たことのない映画のモノマネをするというネタがあって
シュールなスパイダーマンを演じていた
なので私も見たことのない映画について
論じてみようと思う。
論じてみようと思う。
ネタは
昨日、日本アカデミー賞3冠に輝いた
「新聞記者」
昨日、日本アカデミー賞3冠に輝いた
「新聞記者」
と
「Fukushima 50」。
「Fukushima 50」。
新聞記者は東京新聞の望月衣塑子記者の著書を原案として作られた官邸とメディアの攻防を描いた実話ベースものだとか。
最優秀女優賞のシム・ウンギョンさんは素晴らしかったのかもしれないが想定外でスピーチを用意してなかったという本人の弁から少なくとも本命ではなかったのだろうと推察できる。
さてここからが勝手な想像。あの「パラサイト」が米アカデミー賞の作品賞にノミネートされた時点での快挙をほとんど報じなかった日本のマスコミ、ひいては文化の偏狭ぶり、民度の低さを補填するための映画関係者のバランス感覚だったのでは?と思ってしまった。
そもそも「新聞記者」のような題材が一等賞というのはある種の積極的な意思表示に感じる。ウラの意図はどうあれ作品賞は快挙といえるが、これで世論の溜飲を下げておしまいなんてことにならないことを祈る。
最優秀女優賞のシム・ウンギョンさんは素晴らしかったのかもしれないが想定外でスピーチを用意してなかったという本人の弁から少なくとも本命ではなかったのだろうと推察できる。
さてここからが勝手な想像。あの「パラサイト」が米アカデミー賞の作品賞にノミネートされた時点での快挙をほとんど報じなかった日本のマスコミ、ひいては文化の偏狭ぶり、民度の低さを補填するための映画関係者のバランス感覚だったのでは?と思ってしまった。
そもそも「新聞記者」のような題材が一等賞というのはある種の積極的な意思表示に感じる。ウラの意図はどうあれ作品賞は快挙といえるが、これで世論の溜飲を下げておしまいなんてことにならないことを祈る。
先日亡くなった野村監督について書いたときに、データを軽視しないというのは最低ラインで、IDのいろんな宗派が乱立して切磋琢磨するのがそもそものあるべき姿だと力説したけど、望月記者みたいにしつこく質問するのが、むしろ記者のスタンダードと見做されてこそ、この国のメディアはスタートラインに立てるのだと思う。
。あ、見てませんよ(笑)
。あ、見てませんよ(笑)
そして「Fukushima 50」。
もうこのタイトルを見た瞬間いやーな感じがした。事故処理が海外のメディアでとりあげられた時のワードを転用したんだろうけど、「海外から褒められたい病」はメディアも国民もそろそろ克服したほうがいい。
海外の目を気にするんだったらいまだ福島からの産品に対する輸入規制を実施している国がいまだに40ヶ国以上あるという事実も自覚しといたほうがいい。
事故現場で戦った人たちレベルでは危険を顧みずよくやったといえるかもしれないが「構図全体」としてみた場合はとんだマッチポンプぢゃないだろうか。たとえば「フクシマのみなさんは感謝すべき」どと言われた日にゃ違和感しかない。だって、そうだろう、そもそもなくっていい事故だったのだから…と。
もうこのタイトルを見た瞬間いやーな感じがした。事故処理が海外のメディアでとりあげられた時のワードを転用したんだろうけど、「海外から褒められたい病」はメディアも国民もそろそろ克服したほうがいい。
海外の目を気にするんだったらいまだ福島からの産品に対する輸入規制を実施している国がいまだに40ヶ国以上あるという事実も自覚しといたほうがいい。
事故現場で戦った人たちレベルでは危険を顧みずよくやったといえるかもしれないが「構図全体」としてみた場合はとんだマッチポンプぢゃないだろうか。たとえば「フクシマのみなさんは感謝すべき」どと言われた日にゃ違和感しかない。だって、そうだろう、そもそもなくっていい事故だったのだから…と。
昨日のTBSラジオ武田砂鉄のACTIONのゲストは作家の池澤夏樹氏。その中でも「Fukushima 50」についてふれ、池澤氏のコラムの「英雄を必要とする政治は悪い政治」という言葉を紹介していた。
この国で英雄譚が語られるとき、背景にあるものはきもち悪いことが多い。
以前、★入隊の動機が「人命救助」の違和感~ジョブチューンで書いたことにも通じる。
レスキューはレスキューであって、そこには自衛隊が自衛隊である必然性はことさらないのに、自衛隊がどさくさにまぎれ意図的に太字にされる。いろんな批判しづらいものを盾にして、自衛隊の存在感を押し付けてくる。
「Fukushima 50」も、太字で語られるべきところは他にいくらでもある。泥臭い住民訴訟がダサいとでも?
福島フリークを気取るカンニング竹山は東電無罪判決に「致し方ない」と言い放った。きっと彼と触れ合った福島の人々にとっては竹山は「批判しずらい」存在になっているのだろう。それは被災地の復興を踏みつぶした五輪を応援するTOKIOやサンドウィッチマンにもいえる。
レスキューはレスキューであって、そこには自衛隊が自衛隊である必然性はことさらないのに、自衛隊がどさくさにまぎれ意図的に太字にされる。いろんな批判しづらいものを盾にして、自衛隊の存在感を押し付けてくる。
「Fukushima 50」も、太字で語られるべきところは他にいくらでもある。泥臭い住民訴訟がダサいとでも?
福島フリークを気取るカンニング竹山は東電無罪判決に「致し方ない」と言い放った。きっと彼と触れ合った福島の人々にとっては竹山は「批判しずらい」存在になっているのだろう。それは被災地の復興を踏みつぶした五輪を応援するTOKIOやサンドウィッチマンにもいえる。
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