村上春樹の『1Q84』ってアメリカでも売れてるらしい。たまたま目にしたランキングがニューヨークやサンフランシスコだったから、たまたまアジア人の多いお土地柄かなとも思ったけどニューヨークタイムスのハードカバーフィクション部門で一時でもトップに躍り出たのにはびっくり。余談だけど本のランキングっていまや電子書籍部門まであんのね。
(追記:ガーディアンによればイギリスでは深夜に本屋を開けるハリー・ポッターもどきな騒ぎだったとか)
日本国内でもあそこまで売れたのは信じられないけど海外にまでかよ。…いや、むしろ海外だからかも…と英語版の表紙を見ていたらふと思ったりした。
ネットの読売新聞の記事で「村上春樹著「1Q84」英訳版、英国と米国でそれぞれ別の本が出たのはなぜ? 」というのがあったので見たらなんのことはない表紙が違うだけだった。そりゃ国も出版社も変わるんだから表紙くらい変わるだろうよ。なんか最近は大手の新聞記事もレベルが下がった気がする。朝日の天声人語までヘンテコな文がある。ラ・テ欄のコメント記事に至っては日本語が間違ってるのまであったりする。
さて、米国版の装丁デザインはチップ・キッド氏。あのマイケル・クライトンのジュラシック・パークも手がけたベテラン。書籍にピンとこなくっても映画版のポスターなら誰もが見たことがあるだろう。あの骨の影絵みたいなロゴマーク。短編集「The Elephant Vanishes」以来村上作品の装丁は彼が手がけているのだとか。
米国版は3冊分をひとまとめにした900頁超のヘヴィー級。ここまできたらちょっとくらい高くなっても大したこっちゃないだろうと考えたかどうかは知らないけど装丁も凝った作りになっているようだ。
なんでも中のノンブルは右側のページが逆向きになっているらしいがそれ以外にもまだ「遊び」があるらしい。確かめてみたくなったのだけど近所の図書館で借りられるのはイギリス版だけだった。ガーン。
で、話題を表紙に戻す。この表紙のチャンネーは誰だよ。モデルさん?そりゃそうだろうけど、ここで言ってるのはつまり誰をイメージしたのかってこと。
青豆?ぢゃあないよな…どう見たって。これじゃ人は殺せそうにない。フカエリにしては老けてる。っていうかふかえりを表紙にするという萌えアニメ的発想はアメリカ人のメンタリティにはないだろう。
ひょっとしてDVが原因で死んだ青豆の友達もしくはDV被害者の代表的なイメージ?
ネットを漁ったらキッド氏自身の解説を見ることができた。この女性が誰なのかは言ってなかったけど、デザインのコンセプトを明かしていた。
表紙とバインディング(透け透けのカバー)がロゴをマスクにして反転しているのはそれぞれが青豆が元々いた世界1984と月が2つになった異世界である1Q84を表しているらしい。
ってことはこれってやっぱり青豆?
…。
ひょっとしたらこのねーちゃんそのものが、いい年になっても精神性が幼い「ザ・日本社会」というメタファーになっているのかもしれない。
でもこのモデルって中国系か韓国系に見えるよなぁ。
で、表紙デザインを見て何を思ったかというと村上作品の海外受けの要因は「Lost in translation」の逆ってことぢゃねーかってこと。あ、ここは映画のタイトルぢゃなくってコトバの意味そのままね。つまり翻訳すると失われるものもあるかわりに勝手に足されてしまうものもあるんぢゃねーかてっていう。国によって価値観や習慣などのバッググラウンドが違うし。青豆が十字軍のように人を殺しまくるのはむしろありなのかもしれない。おいらが呆れていた冒頭部分はニューヨークタイムズの書評をチラ見したら「完璧なオープニング」と絶賛していた。たしかにハリウッド映画だったらさほど違和感のないノリかもしれない。だからこそ前に感想書いたときに吹き替えパロディか?と突っ込んだんだけど。
…とここまで書いたところで「裏表紙は男子の顔になっているようだ」という電波がアタマにとんできた。
ってことは表紙はまさかの青豆。やはり翻訳では何かを変質させる。でも日本人から見ても若く見えるってことはアメリカ人が見たら相当幼く見えるんぢゃねーか?ひょっとしてキッド氏はハルキと同じ性癖?
ハルキが日本でここまで神格化されちゃったのって海外での評価も手伝ってると思うんだよね。日本人って海外で絶賛…ってのに弱いから。「海外受け」という勲章がなかったら東野圭吾とか伊坂幸太郎の下くらいのもんだったんぢゃねーかっていう。
小説は所詮ローカルなものなのだ。だから海外で売れるなんていうのはなんらかのラッキーパンチがあるにちがいない。でもあのヘンな文体は翻訳を見越した計算だった?実は用意周到な村上式錬金術?その可能性もなきにしもあらず。村上氏が最初に英語に訳されたときの経緯を知りたいものだ。
まぁエルサレムで尻尾振ってきたのは計算っぽいげとね。やっぱノーベル賞へ向けてのPR活動?(笑)。
アンチな方々はノーベル賞の候補として昨今、村上の名があがっていることに少なからずショックを受けているようだけど海外の賞ってほんとうのところはどんだけのもんだよって言いたいね。
昨今、科学分野での日本人の受賞が目立っているのは積極的な周知活動が功を奏した結果だってハナシだぜ。つまりいままではノーベル賞の委員たちはそもそも日本人など眼中になかってことさ。根底にあるのは白人社会中心の偏ったもんなんだよ。
「COVE」を祭り上げた映画がアカデミー賞もまたしかり。
それでも海外の賞の価値観を認めるってのならさ、国内無冠の作品が海外で受賞した場合はうかれている場合ぢゃねーよな。自分たちの目が節穴だったことを恥じろって。
まぁ百歩譲ってノーベル賞の権威を認めるにして平和賞や文学賞は異質なものに見えるよな。経済常識があっというまにゾンビになっちゃうことを考えると経済学賞もね。
いずれにせよバラク・オバマが平和賞を受賞するような賞なんだぜ。間違いとか浅はかぢゃなくってそこには力強い意図があんのがこえーんだよ。
…っつーか、候補っつったってあくまでマスコミの下馬評だぜ。ブックメメーカーは日本からも買って欲しいからいれたんぢゃねーの?
日本人の逆輸入好きといえばホットなところでは由紀さおり姐さん三十何年ぶりかで国内でもチャートインだってね。でも「夜明けのスキャット」ってヤバいだろ。だってあれ「サウンド・オブ・サイレンス」のパクりぢゃん。
歌謡曲っていままではずっと日本国内だけだったからバレずにすんだけどそのうち訴えられんぢゃねーか?
今回はアメリカ人が拾ったんだからアリなのか?
日本勢の活躍?のうらには世界的なネタ不足ってのがあんだろうな。ライトノベルまでハリウッドが買いにきたらしい。
ここでまたふと思いついた。山田五郎氏が水島ヒロの「KAGEROU」について「世間はボロクソ言ってるけど「世にも奇妙な物語」ひとつとしてだったらなかなかいいと思うよ」と言っていたのを聞いてさすが元敏腕編集者と感心したけど「1Q84」ってアメリカのテレビトラマ向きのプロットなんぢゃねーかとも思ったりした。
アメリカのドラマって犯罪モノとかは面白いけどSF系ってシーズン2あたりからダラダラしてくるのが多い。(「ヒーローズ」とか「サラ・コナー」とか「4400」とか)
「1Q84」のダラダラ感といったらまさにおんなじノリだ(笑)。さすがミスターアメリカかぶれ。それにbook3以降もいくらでも引っ張れる感じだったもんね。
まぁ「1Q84」はSFとしては成立してないけどね。だって月が2つもあったら地球は天変地異で大変なことになってるはずだぜ(笑)
【関連リンク】
●米NY Timesの書評
●米シカゴ・トリビューンの書評
●英ガーディアンの書評
▲キッドさん表紙を語るの記事
▲米NY Times Magzineの記事
▲英ガーディアンの発売日に書店が深夜営業までしたというバカ騒ぎレポートな記事
クールジャパンは灼熱地獄。すべては地続き~五輪、広島、特攻隊、いじめ、ウォシュレット
この語もそのまま打ち返しましょうか。「批判ではなく意見」って…否定的な意見のことを批判と言うのです。「これは豚ぢゃなくって動物だ」って言ってるようなものですよ(笑)。アナタコソ日本語ダイジョウブデスカ?
…っていうか今回もなにひとつ具体的なことは書いてくれてませんね。つまり意見の体すらなしていない。どのブログのどの記事でも貼り付けられそうなこのやり口はまさか人間でなくスパムボット?(笑)
…あれ?ひょっとしてあなたは樺沢紫苑さん?村上春樹ならどう考えても世の中アンチのほうが圧倒的少数派だからそれを利用しいここから炎上させてやれとか思いました?
別に熱くなってませんよ(笑)。ブログ半休眠状態ということもあり、ある意味すべてが過去記事。レスする時はむしろ「温度差」を戻すのに努力が必要なくらいですから。
ましてやあなたのコメントは具体性のカケラもないので熱くなりようがないんですよ
キチガイは無視しちゃっていいかとおもいますよ
>まあ長いので読みません。
長いので読めませんの間違えだろw
句読点のあとに笑つけてる時点で日本語不自由なんだろうな~と
こういうバカがハルキ信者なんだろうか