偽史倭人伝 ~ Carnea Historia

march madness の次が April Foolなんて小粋ぢゃないか。

歌舞伎とアイドルが日本をプーチン化する

2022年03月13日 20時28分50秒 | ◎ツッコミ思案neo
 なんでもプーチンが「フェイクニュース」に対して最大15年の禁錮刑を科す法案に署名したとかで、英BBCや米CNNがロシアからの撤退をきめたときいて
え?フェイクぢゃなきゃいいんでしょ?
…などと一瞬思ってしまったが、要するにプーチンに都合の悪い報道は有無を言わせずフェイクニュースと断罪していくということか。
 どうやら、芸能界にはそうしたプーチンのようなメンタリティをおもちの方がいらっしゃるようだ。
まず歌舞伎界のプリンス、市川海老蔵氏。
 ネット上の誹謗中傷にもうたまらんと法的手続きに打って出るのだとか。たしかにこの方に関しては亡くなった奥様のことをネタにあれこれ言われたりとか、さすがにそれは酷いよねと思ったのだが、よくよく聞いてると「アレレレ?」な展開。
 なんでも、
対面で話し合えるような間柄の方からキミの芝居よくなかったよ、といわれる分にはいいがSNN上の他人に言われるのは許さない…
 などとおっしゃる。
 これだとあまり有名でない評論家などはいちいち面会を経なければレビュー記事も書けないということか?
 番組では弁護士が氏の主張の数々をボードの説明で「批判」と「誹謗中傷」に分類してたけど、半分くらいはただの批判という評価だった。

 アイドルの柏木由紀さんという方も握手会での誹謗中傷が許せんとかいっちゃってるんだけど、そのニュースをとりあげた番組で掲げられたボード上の訴えの一覧を見たら、
「あの番組でのあのかえしはよくなかったよ」
なんてのも入っていた。
 確かに、アイドルに思い入れがない立場からすれば「痛いやつだなぁ」とか思ってしまうけど、マキタスポーツ氏が著書で主張していた一般人が「ツッコミ」をすることへの懸念同様、芸能界側がとやかくいえる立場かよ!な案件だとも感じてしまう。
 いまのバラエティ界は、恐らくはとんねるず以降、特にその傾向は強まってきたのだと思われるが「楽屋ネタ」を「ネタ」まで昇格させることで延命してきた。
 あのプロデューサーがどうとか、TMCがどうとか、イマジカがどうとか、それまでだったら「そんなん知らんがな」なネタをトークの中にぶち込んでくる。

 小島瑠璃子がバラエティ番組でいかにうまく機能しているかなんてことに興味を持たせるんだったら、アイドルおたくが自分の推しがいかにバラエティ番組でうまく立ち回れているか気になるのはむしろ好意ではないのか?
 そもそも総選挙とか投票券をCDにつけて大量購入させるとか、オタがプロデューサー気取りになってもらうことなんかをマネタイズしてきたんじゃないだろうか。
 NMB48渋谷凪咲さんは大喜利力があるなんてもてはやされてるけど、そういう問屋用のスペックを視聴者にも意識させるのは結局そういうことでしょ?
 70年代は町のおっさんが、こども相手に「お笑いの人たちっていうのは本当は頭がいいんだぞ」などと得意げに語っていた。それくから楽屋は遠く見えない存在だったのだ。別にどちらがいいとはこの場ではいわないが、貸方 借方のバランスはとってくれよ…と。
 つまり楽屋ネタを面白がってもらいたかったら、プロデューサー気取り、作家気取りのユーザーもある程度は許容しなけりゃならんだろ。そもそも握手会に顔さらして来てるんだから、本当にその発言が不当だと判断されるのらその場で断罪すればいい。というか、もし本当に不当ならばむしろそうしなければならない。

 バランス感覚はSNSの使い方にもいえる。宣伝だけしといて、褒めるコメントだけ書きこんでねではいくらなんでも都合がよすぎる。

 ネット上の意見といえば、本日フジテレビ系「なりゆき街道旅」に出演してた若槻千夏さんが興味深いことをいっていた。
 彼女は休養期間があったこともあってノートまでつけてバラエティ番組を分析してるというのだけど、一言で言うなら「需要」の考察だ。
 まず、自分の類似タレントを洗い出す。それでだいたい自分が何を求められているかの検討がつく。そしてあとはひたすらオンエア後のエゴサを繰り返す。あの発言がダメだと書かれたら、「私の勝手でしょ」とは思わずに、「ああ今の時代にはあわなかったんだな」とフィードバックする。
「ネットは世の中を表していている」
そして
「私はエゴサで出来ている」とまで言いきった。(きっとこの件はとっくにネットニュースになってるんだろうな)

 それがただの「誹謗中傷」は何の役にも立たないだろうが、「批判」に対しては聞く耳をもったほうがいいかもしれないという例ではないだろうか。
 「●●って生理的にムリ」というのは、もしかしたら批判ではなく誹謗中傷の域かもしれないが、キャスティングの人やマーケティングのひとたちにとってはきっと知りたいデータだ。
 先述のバラエティでの立ち振る舞いを指摘された件などはシロウトが何言ってやがると憤慨したのかもしれないが、スポーツにしても芸能にしてもシロウトに対してパフォーマンスを披露するものだ。シロウトが意見するなというのは辻褄があわない。その発言の主はおせっかいな技術論以前に単純に視聴者として面白くなかったと感じただけかもしれないし。

 それにしてもアイドルはともかく、歌舞伎役者などという世間から持ち上げられがちなご職業の方が、「誹謗中傷」と「批判」の混同ミスリード応援団になってしまうのは危うさを感じる。
 高市早苗氏が官邸前や国会周辺で行われる抗議行動や反原発のデモなどを規制しようと意見していたキモチワルさはいまだにアタマから離れないが、昨今、正当な政治参加の手段である「デモ」もネット上では違法なクレーム行為と誤解している人が多いがこれはオタク政治家の自民・石破茂氏がかつて「デモはテロ」と発言していたことなども後押しになっているかもしれない。

 かつて河野太郎氏が大臣在任中にアンチを次々にブロックした件のどこが間違っているかというと、SNSはすでに情報インフラとして認知されているからだ。つまり在任中の大臣からブロックされた国民は政権からのお知らせを受け取れなくなってしまうという不平等が起こってしまうのだ。
この国でネットリテラシーがいちばん欠けているのは現政権かもしれない。杉村太蔵が政治家なんて批判されて当然の存在だと珍しく正しいことを言っていたが、為政者、つまり政権側ならなおさらだ。ただでさえ、政治家への批判はハードルが低くあるべきなのに、「批判」と「誹謗中傷」の混同という情報操作を行って、さらに厳罰化と世の中はなにやら恐ろしい芳香に向かっている。最終的に司法が正しい判断をしてくれるはずだから心配はないだろうなんて安心できない。最近、維新vs水道橋博士でお馴染みのスラップ訴訟なんてのが連発されるかもしれないからだ。

 海の向こうアメリカではハリウッドの成り立ちなども手伝ってかリベラルな芸能人は多いが、日本は「成功体験」からか、保守や体制支持者が多い。イチローが安倍晋三と会食して、桜を見る会と森友いつまでやってんだと苦言を呈したという記事は残念だったが、そんなもんだろうと思う。
 三浦瑠璃氏が松本人志はアメリカで生まれたらきっとバリバリの共和党支持者だと断言したことは納得だ。おぎやはぎやブラマヨや、あときっとビートたけしもそうなるだろう。コメディアンが体制側ベッタリなんて、なんてステキな国なんだろう。 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『潜水艦カッペリーニ号の冒... | トップ | 「トモダチゲーム」は社会を... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

◎ツッコミ思案neo」カテゴリの最新記事