なんやかんやで更新しないままGWまでもが明けてしまった。
「ゴールデン・ウィーク」は映画業界が作った用語だということがこないだ百識のネタになってたけど、自分らの世代ではほぼ常識だったようなことがクイズのネタやトリビアになってしまうとは年をとったものだ。
かなりのインターバル後の投稿なのでつれづれなるままにあれやこれやまとめて書く。
(結果、ハナシのまとまりはなくなるだろうが)
なにごともめまぐるしい昨今においては世間ではすでに印象も薄れているかもしれないけど草なぎクンの逮捕で改めて思ったこと。
それは結局のところ法の執行なんて曖昧なものだなぁということ。
あんなんで逮捕かよとも思うけど、刑法に罪だと書いてある以上はしようと思えばできちゃうのもまた逮捕ってこと。
テレビで一報を聞いたときは直接の罪状はてっきりわかりやすい方の公務執行妨害かと思いっちゃったけど、あくまで「公然わいせつ」にこだわったのは“家宅捜索”とやらをしたかったということだろう。
「わいせつの常習性」を調べるとかなんとかありえねーこといっちゃってたけど当局の狙いは多分ドラッグ系だったんだろう。芸能人は怪しい…ってんでね。
法の執行といえば間近に迫った「裁判員制度」。今クールから始まったフジテレビのドラマ』『魔女裁判』はその“裁判員制度”を題材にするっていうからちょっとだけ…ほんのちょっとだけ期待しつつ見たけど、いきなり「ニューオリンズ・トライアル」のパクリみたいなノリでがっかりだ。
いやガッカリだったのは別にパクりについてではなく、
「人は人を裁けるのか?罪とは?罰とは?」
みたいな根本的な部分をえぐってくれるのかと思ったら、むしろこれぢゃゼロどころかマイナス評価だよって作りに。
つまりただ浅い、軽いだけだったらまだしも裁判員の負の部分は外部からの裁判員への関与の危険性だとむしろ視聴者の注意を本質から逸らしているんぢゃないかと疑いたくなる。
まぁテレビ局が体制に刃向かうはずもないか。
地デジだってデメリットはもちろん、ほとんどたいしたメリットも説明できないままアホみたいにアナログというテロップ出し続けてみたり画面の上下を黒く削ってみたりと視聴者に強迫観念を植え付けることに終始しているだけだし。
で、地デジといえばツヨぽん
…と話題はぐるぐるとめぐるよ(笑)
こうなってくると家電芸人の土田晃之や家電俳優の細川茂樹も当局の手先ぢゃねーかって気がするぜ。逆に推進キャラの草なぎくんがコケてくれたのはアンチ地デジ派としてはプラス材料といえなくもない。
まさか警察組織が地デジ反対?そのかわりパチンコはもっといけー…みたいな(笑)
それにしても鳩山大臣も即答で「サイテー」というコトバが出てくるとはな…そのセリフ中川大臣のときに使って欲しかったぜ。
これで不景気も手伝って地デジ器機の普及が著しく遅れて地デジ難民が大量発生してテレビというメディアの価値が著しく低下したら、おもしろいのに。そうなったらある意味革命なんだけどな。
でも世の中のひとは従順だから大半はムリしてでも間に合わせるんだろうな。
地デジといえばおいらがとってる朝日新聞はこの四月から…というか三月末からラテっつーかテレビ欄の配置を地デジの番号順に変えやがったんで見づらくってしょうがねーや。
実際、編成が不規則な時期も手伝って、一番右にいっちゃうフジテレビの番組をいくつか見逃してしまったぜ。(視聴率にもビミョーに影響しちんぢゃねーの)
こんな変更するなんてお上からお達しでもあったのかと思いきや読売だの毎日だのはまだ従来通りだった。(サンケイや東京もね)
左曲がりのダンディだったはずの朝日が真っ先にお上の片棒を担ぐとは。まさか地デジ順で左に寄ったのが嬉しかった…なんてことはないよな?
アーサー・ビナード氏は地デジ移行と共にテレビと訣別するそうだ。そういえば佐野元春もこないだの「ガキの使い」でテレビ持ってないっていってたな。
テレビ持ってない、見ない…ってのはカッコイイことか?とふと疑問。
別に元春はかっこつけてやってるわけぢゃねーよという元春ファンの叫びが聞こえてきそうだけどテレビに出てテレビは見ないなんて宣うやつはだいたい上からとか向こう側からな目線だったりする。
ビミョーにだけどね。
ついでにいうとテレビ見ないのは別にいいけど新聞も読んでねーだろってツッコミたくなるぜ。
佐野は音楽についてはパクリな部分も含めてすべて受け容れるけど、社会派な、いや社会派ぶっている部分に関しては他の同種のアピールをしているアーチスト同様、違和感を感じる。
こないだ音楽寅さんで桑田佳祐が空耳アビーロードというのをやってたけど、基本的にこの人は政治なんか興味ないんだなと思った。一見、鋭く風刺しているように見せていたけど、たいして突っ込んだ内容でもなく小沢批判も盛り込んでどっからも文句がこないようなバランスに仕上がっていた。
こないだ亡くなった忌野清志朗なんかは“一線を画す”とまではいかないまでも放送禁止をくらってみたりケンカしてみたりと実際に火の粉を被ったりしていたので覚悟が感じられる分、社会派もどきの坂本龍一や小林武史一派よりはマシ。
実はおいらは幸運にも「あこがれの北朝鮮」で生中継が中断されたという伝説のライブを見ることができた。
そもそもがあのイベントは主催の東京FMが告知を怠ったために直前になってタダ券を配りまくるという波乱含みの幕開けだった。
ただでさえムリヤリ動員したのにハガキとチケットを引き替えるという作業が増えてしまったためにオープニングの夏川りみちゃんがヘヴンリーヴォイスで「涙そうそう」を歌い上げているすぐ目の前で自分の席を探している客がウロウロしているなんていう悲惨な状況だった。
まぁ忌野氏とFM東京ときたら古くから因縁の関係があった。その前年に忌野氏が作画を担当した絵本「プーアの森」はTOKYO FMから出版されていて環境絵本ということもありーので参加したのだろうから一見、和解ムードだけど実は絵本出版に際しても一悶着あったとかなかったとか…。
だからまぁ社会派を貫いたのか単なる私怨なのかはわかんないけど佐野元春と忌野清志朗なんていうレアな共演が見られたのは一番ラッキーだった。それだけはいえる。生ミッチーのMCも聞けたしね(笑)
そもそもが燃料屋後援の環境イベントなんてのがうさんくさいのだから。
環境イベントに参加しただけで環境に貢献したんぢゃないかと勘違いするのと佐野元春と忌野清志朗の共演以外には価値を見いださないという自分勝手な見方とどっちが健全だろうか。
そんなおいらも含め大多数の人たちはマスコミから垂れ流す情報に洗脳されている。裁判員制度では報道に左右されるななんて言うけど、そもそもの価値観が世界観がマスコミによって作られたものなんだからそれを個人に委ねても意味ないぢゃん…ってハナシだ。
裁判官による誘導があるとか懸念されているけど実際にありそうだし、あっても守秘義務の壁でそれが明るみになることはない。
「公判前整理手続」という名のカタログが提示されてそれに投票させられるだけのこと。検察主導で作られた冤罪は逆に増えそうだ。
結局のところ「一般市民が参加しての結果なんですよ」というお墨付きが欲しいだけだ。
そんな出来レースに呼ばれて死刑執行のボタンを一緒に押させられるおいらたちはたまったもんぢゃねーよ…ってハナシだぜ。
おいらたち凡人が法律感覚を身につけるより、アタマのいい法曹界の方々が一般感覚を身につけるほうがはるかに簡単だろう。
多様な背景をもつ人材を法曹界に増やすという法科大学院とやらもコケてるってハナシぢゃねーか。そもそも法曹界に限らず医者とか代議士とか大物芸能人とか(笑)、センセーと名の付く人たちに常識ないのが問題。
最初のほうで触れた『魔女裁判』は(時事ネタとして見ると)ガッカリだけど日テレ「アイシテル」は逆に注目すべきドラマだ。原作を知らないので今後の展開も結末もしれないのでなんともいえないけどいまのところは見るに値する、考えるに値するテーマを扱っている。
小学生の子供が子供を殺害してしまい、被害者・加害者双方の家族が描かれている。前に「太田総理」で少年犯罪がテーマになったとき、そもそも少年だろうと大人だろうと実名報道する必要ないという意見があった目からウロコな気がした。
だって親はともかくとしても容疑者の子供とか親戚とか一族郎党が社会的に抹殺されてしまう必要があんのか…ってこと。しかもまだ“容疑者”だったりするわけで。
まぁそこらへんの想像力がとぎすまされたところで裁判員になって人を裁けるかってのはまた別のハナシだけど、人の痛みがわかれば少しは世の中マシになるだろう。
でも外国人の友達がいるってだけで受診拒否された人がいるってんだから現状はほど遠いかもね。「咳や発熱の有る方はご遠慮下さい」って貼り紙のある病院もあったとか。
まったくセンセーっていう人種は…。
「ゴールデン・ウィーク」は映画業界が作った用語だということがこないだ百識のネタになってたけど、自分らの世代ではほぼ常識だったようなことがクイズのネタやトリビアになってしまうとは年をとったものだ。
かなりのインターバル後の投稿なのでつれづれなるままにあれやこれやまとめて書く。
(結果、ハナシのまとまりはなくなるだろうが)
なにごともめまぐるしい昨今においては世間ではすでに印象も薄れているかもしれないけど草なぎクンの逮捕で改めて思ったこと。
それは結局のところ法の執行なんて曖昧なものだなぁということ。
あんなんで逮捕かよとも思うけど、刑法に罪だと書いてある以上はしようと思えばできちゃうのもまた逮捕ってこと。
テレビで一報を聞いたときは直接の罪状はてっきりわかりやすい方の公務執行妨害かと思いっちゃったけど、あくまで「公然わいせつ」にこだわったのは“家宅捜索”とやらをしたかったということだろう。
「わいせつの常習性」を調べるとかなんとかありえねーこといっちゃってたけど当局の狙いは多分ドラッグ系だったんだろう。芸能人は怪しい…ってんでね。
法の執行といえば間近に迫った「裁判員制度」。今クールから始まったフジテレビのドラマ』『魔女裁判』はその“裁判員制度”を題材にするっていうからちょっとだけ…ほんのちょっとだけ期待しつつ見たけど、いきなり「ニューオリンズ・トライアル」のパクリみたいなノリでがっかりだ。
いやガッカリだったのは別にパクりについてではなく、
「人は人を裁けるのか?罪とは?罰とは?」
みたいな根本的な部分をえぐってくれるのかと思ったら、むしろこれぢゃゼロどころかマイナス評価だよって作りに。
つまりただ浅い、軽いだけだったらまだしも裁判員の負の部分は外部からの裁判員への関与の危険性だとむしろ視聴者の注意を本質から逸らしているんぢゃないかと疑いたくなる。
まぁテレビ局が体制に刃向かうはずもないか。
地デジだってデメリットはもちろん、ほとんどたいしたメリットも説明できないままアホみたいにアナログというテロップ出し続けてみたり画面の上下を黒く削ってみたりと視聴者に強迫観念を植え付けることに終始しているだけだし。
で、地デジといえばツヨぽん
…と話題はぐるぐるとめぐるよ(笑)
こうなってくると家電芸人の土田晃之や家電俳優の細川茂樹も当局の手先ぢゃねーかって気がするぜ。逆に推進キャラの草なぎくんがコケてくれたのはアンチ地デジ派としてはプラス材料といえなくもない。
まさか警察組織が地デジ反対?そのかわりパチンコはもっといけー…みたいな(笑)
それにしても鳩山大臣も即答で「サイテー」というコトバが出てくるとはな…そのセリフ中川大臣のときに使って欲しかったぜ。
これで不景気も手伝って地デジ器機の普及が著しく遅れて地デジ難民が大量発生してテレビというメディアの価値が著しく低下したら、おもしろいのに。そうなったらある意味革命なんだけどな。
でも世の中のひとは従順だから大半はムリしてでも間に合わせるんだろうな。
地デジといえばおいらがとってる朝日新聞はこの四月から…というか三月末からラテっつーかテレビ欄の配置を地デジの番号順に変えやがったんで見づらくってしょうがねーや。
実際、編成が不規則な時期も手伝って、一番右にいっちゃうフジテレビの番組をいくつか見逃してしまったぜ。(視聴率にもビミョーに影響しちんぢゃねーの)
こんな変更するなんてお上からお達しでもあったのかと思いきや読売だの毎日だのはまだ従来通りだった。(サンケイや東京もね)
左曲がりのダンディだったはずの朝日が真っ先にお上の片棒を担ぐとは。まさか地デジ順で左に寄ったのが嬉しかった…なんてことはないよな?
アーサー・ビナード氏は地デジ移行と共にテレビと訣別するそうだ。そういえば佐野元春もこないだの「ガキの使い」でテレビ持ってないっていってたな。
テレビ持ってない、見ない…ってのはカッコイイことか?とふと疑問。
別に元春はかっこつけてやってるわけぢゃねーよという元春ファンの叫びが聞こえてきそうだけどテレビに出てテレビは見ないなんて宣うやつはだいたい上からとか向こう側からな目線だったりする。
ビミョーにだけどね。
ついでにいうとテレビ見ないのは別にいいけど新聞も読んでねーだろってツッコミたくなるぜ。
佐野は音楽についてはパクリな部分も含めてすべて受け容れるけど、社会派な、いや社会派ぶっている部分に関しては他の同種のアピールをしているアーチスト同様、違和感を感じる。
こないだ音楽寅さんで桑田佳祐が空耳アビーロードというのをやってたけど、基本的にこの人は政治なんか興味ないんだなと思った。一見、鋭く風刺しているように見せていたけど、たいして突っ込んだ内容でもなく小沢批判も盛り込んでどっからも文句がこないようなバランスに仕上がっていた。
こないだ亡くなった忌野清志朗なんかは“一線を画す”とまではいかないまでも放送禁止をくらってみたりケンカしてみたりと実際に火の粉を被ったりしていたので覚悟が感じられる分、社会派もどきの坂本龍一や小林武史一派よりはマシ。
実はおいらは幸運にも「あこがれの北朝鮮」で生中継が中断されたという伝説のライブを見ることができた。
そもそもがあのイベントは主催の東京FMが告知を怠ったために直前になってタダ券を配りまくるという波乱含みの幕開けだった。
ただでさえムリヤリ動員したのにハガキとチケットを引き替えるという作業が増えてしまったためにオープニングの夏川りみちゃんがヘヴンリーヴォイスで「涙そうそう」を歌い上げているすぐ目の前で自分の席を探している客がウロウロしているなんていう悲惨な状況だった。
まぁ忌野氏とFM東京ときたら古くから因縁の関係があった。その前年に忌野氏が作画を担当した絵本「プーアの森」はTOKYO FMから出版されていて環境絵本ということもありーので参加したのだろうから一見、和解ムードだけど実は絵本出版に際しても一悶着あったとかなかったとか…。
だからまぁ社会派を貫いたのか単なる私怨なのかはわかんないけど佐野元春と忌野清志朗なんていうレアな共演が見られたのは一番ラッキーだった。それだけはいえる。生ミッチーのMCも聞けたしね(笑)
そもそもが燃料屋後援の環境イベントなんてのがうさんくさいのだから。
環境イベントに参加しただけで環境に貢献したんぢゃないかと勘違いするのと佐野元春と忌野清志朗の共演以外には価値を見いださないという自分勝手な見方とどっちが健全だろうか。
そんなおいらも含め大多数の人たちはマスコミから垂れ流す情報に洗脳されている。裁判員制度では報道に左右されるななんて言うけど、そもそもの価値観が世界観がマスコミによって作られたものなんだからそれを個人に委ねても意味ないぢゃん…ってハナシだ。
裁判官による誘導があるとか懸念されているけど実際にありそうだし、あっても守秘義務の壁でそれが明るみになることはない。
「公判前整理手続」という名のカタログが提示されてそれに投票させられるだけのこと。検察主導で作られた冤罪は逆に増えそうだ。
結局のところ「一般市民が参加しての結果なんですよ」というお墨付きが欲しいだけだ。
そんな出来レースに呼ばれて死刑執行のボタンを一緒に押させられるおいらたちはたまったもんぢゃねーよ…ってハナシだぜ。
おいらたち凡人が法律感覚を身につけるより、アタマのいい法曹界の方々が一般感覚を身につけるほうがはるかに簡単だろう。
多様な背景をもつ人材を法曹界に増やすという法科大学院とやらもコケてるってハナシぢゃねーか。そもそも法曹界に限らず医者とか代議士とか大物芸能人とか(笑)、センセーと名の付く人たちに常識ないのが問題。
最初のほうで触れた『魔女裁判』は(時事ネタとして見ると)ガッカリだけど日テレ「アイシテル」は逆に注目すべきドラマだ。原作を知らないので今後の展開も結末もしれないのでなんともいえないけどいまのところは見るに値する、考えるに値するテーマを扱っている。
小学生の子供が子供を殺害してしまい、被害者・加害者双方の家族が描かれている。前に「太田総理」で少年犯罪がテーマになったとき、そもそも少年だろうと大人だろうと実名報道する必要ないという意見があった目からウロコな気がした。
だって親はともかくとしても容疑者の子供とか親戚とか一族郎党が社会的に抹殺されてしまう必要があんのか…ってこと。しかもまだ“容疑者”だったりするわけで。
まぁそこらへんの想像力がとぎすまされたところで裁判員になって人を裁けるかってのはまた別のハナシだけど、人の痛みがわかれば少しは世の中マシになるだろう。
でも外国人の友達がいるってだけで受診拒否された人がいるってんだから現状はほど遠いかもね。「咳や発熱の有る方はご遠慮下さい」って貼り紙のある病院もあったとか。
まったくセンセーっていう人種は…。
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