こないだ週刊新潮の「<鯨肉を盗んで告発>グリーンピースの弁護士は「福島瑞穂の夫」 という見出しを見て、なんた夫婦そろってバカなんだと思った。
福島みずほの場合はバカを通り越してむしろ気持ち悪い。こんなヒトが弁護士資格をもっていてさらには議員をやれていること自体がすでに社会不安のひとつであるとさえ思う。
が、こないだの「太田総理」の中では彼女の発言の中に多少なりともインスパイアされるものを感じた。
その時の議題は太田総理のマニュフェスト「少年犯罪も凶悪事件は実名報道します」というものだったが、みずほ氏の意見はそもそも「犯罪報道自体がいらない」というものだった。
フツーに考えたら0.3秒で「トンデモ」という烙印を押されそうだが、そもそも犯罪報道の意義って何だろう?って立ち止まってしまったのだ。
こないだの「世界一受けたい授業」池上彰氏が語った日本の統計的数字を再考してみるという企画。日本の犯罪発生率は統計上は減っているのにもかかわらず世間の人たちは「治安が悪くなった」と感じているがそれはテレビのニュース枠が増えたこととも関係あるだろうという考察。
そもそも“容疑者”の段階であたかも“犯人”のように実名報道してしまうことに対する議論というのは昔からあった。
起訴されたら99%有罪になるという「それでもボクはやっていない」で周防正行監督が世間に知らしめた事実がマスコミの姿勢を正当化するための口実となっているのだろうか。
逆にそういう硬直化した社会風土が起訴をひっくり返しにくくしているなんてことはないだろうか?
実際“マスコミの報道”があたかも“世論”のように扱われ、実際の裁判の結果に影響を及ぼしてしまっているように見えるのだけど。あんな事件とかそんな事件とか。
「太田総理」の議論では「反対派」の中には現場での経験を語る人が多かったのに対して「賛成派」で勢いよく発言してたヒトの情報源は実のところはニュースだけで抽象的な総論的な視点のものが多かった。
つまりはマスメディアについての議論にメディアに用意されたストーリーを資料として使っているというアホな構図。
千原せいじの意見はマスコミによる実名報道が“社会的制裁”であり、犯罪経験者が刑期を終えた後にも世間に後ろ指を指され続けるのは当然のことでありむしろそうあるべきだといわんばかり意見だった。
かつて元オウム信者に部屋を貸さないという“事件”があった(今もかもしれないけど)。「ちょっとこえーよ」という気持ちは分からないでもない。でもそれが社会的に正当化されていいものか?地主というのはいってみれば社会的強者でもある。
松本サリン事件でマスコミに犯人に仕立て上げられたばかりかオウム奥さんの健康までも奪われてしまった河野さんは元オウム信者に対する扱いを批判したという姿勢を千原兄はどう受け止めるのだろうか?単なるお人好しと片づけるのか?
少なくとも入室を拒否された信者は犯罪者ですらないのだ。
どうやら千原せいじを満足させるには犯罪者はすべて島流しにするか死刑に処するしかなさそうだが、ここまでの極論は太田総理やバッドボーイズ佐田正樹の意見とも明らかに噛み合わないのだけどそこらへんはスルーだった。
昔と比べて増えたというニュース枠ではあっても殺人事件でさえすべてが報道されるわけではない。実名報道が“社会的制裁”というならそこらへんの不公平はどうするんだ?
猟奇的な事件とかショッキングな愛憎劇はマスコミの格好のネタになって繰り返し報道されるけど猟奇的な事件が必ずしも“ボツになった”他の(マスコミの価値観でいうところの)地味な殺人事件と比べて凶悪とは限らない。
犯罪のプロセスにはそれぞれ理由があるはずたけど、死体がバラバラになっていたら一律で「猟奇的事件」ってことになる。
本当はどうしたら犯罪を減らせるかとか、再犯を防止できるかとかが課題なはずなのに「賛成派」は自分の正義感に酔っているヤツが多すぎた。
そんなヤツはテレビを前に自分のことのように犯人への怒りで唇を振るわせるのだろう。一方でイラクで死んだ人の数なんて知ったこっちゃないくせに。
元極道の画家・山本集は「刑務所は更生さすとこちゃいまっせ、筋金入りの犯罪者を鍛え上げるとこや」と言った。犯罪を減らすためには報道よりもむしろ犯罪者処遇について再考したほうがよさそうにも思える。
そうそう細山貴嶺という坊やはテレビなんて出てないで学校に行きたまへ。
「ボクは子供だからわかるんですけど」などと他の現場体験を語る弁護士と自分が同等の価値があるかのような物言い。意見を言う前にまずは自分のちっぽけさを認識しなさい。インターナショナルなんてところに学びそれなりの見識を持っているつもりなんだろうがキミの意見は1ミリの価値もなかったぞ。
とりあえず痩せろ。
視聴者からの意見では9割が実名報道に賛成と出た。
きたるべき裁判員制度に備えて犯罪報道の意味は再考してみてもいいんぢゃないの?…って思うのだ。
とりあえずワイドショーで犯罪ニュースを取り上げるのは禁止にしたらいいと思う。
それと今回、よりによって福島みずほなんかのコトバにインスパイアされてしまったという衝撃的事実により「聞く耳」は持つべきかもね…と思ったのと、逆に自分にとっての「オピニオンリーダー」なんか決めてはいけないなとも思った。
今回も話題の中心は先々週の太田総理という古いネタになってしまったけど“思い”がカタチになったのが「世界一受けたい授業」だったのでこういうことになってしまった。
情報同士の“化学反応”でそれぞれの意味がかわってきたりするものだってのも今回の教訓。
福島みずほの場合はバカを通り越してむしろ気持ち悪い。こんなヒトが弁護士資格をもっていてさらには議員をやれていること自体がすでに社会不安のひとつであるとさえ思う。
が、こないだの「太田総理」の中では彼女の発言の中に多少なりともインスパイアされるものを感じた。
その時の議題は太田総理のマニュフェスト「少年犯罪も凶悪事件は実名報道します」というものだったが、みずほ氏の意見はそもそも「犯罪報道自体がいらない」というものだった。
フツーに考えたら0.3秒で「トンデモ」という烙印を押されそうだが、そもそも犯罪報道の意義って何だろう?って立ち止まってしまったのだ。
こないだの「世界一受けたい授業」池上彰氏が語った日本の統計的数字を再考してみるという企画。日本の犯罪発生率は統計上は減っているのにもかかわらず世間の人たちは「治安が悪くなった」と感じているがそれはテレビのニュース枠が増えたこととも関係あるだろうという考察。
そもそも“容疑者”の段階であたかも“犯人”のように実名報道してしまうことに対する議論というのは昔からあった。
起訴されたら99%有罪になるという「それでもボクはやっていない」で周防正行監督が世間に知らしめた事実がマスコミの姿勢を正当化するための口実となっているのだろうか。
逆にそういう硬直化した社会風土が起訴をひっくり返しにくくしているなんてことはないだろうか?
実際“マスコミの報道”があたかも“世論”のように扱われ、実際の裁判の結果に影響を及ぼしてしまっているように見えるのだけど。あんな事件とかそんな事件とか。
「太田総理」の議論では「反対派」の中には現場での経験を語る人が多かったのに対して「賛成派」で勢いよく発言してたヒトの情報源は実のところはニュースだけで抽象的な総論的な視点のものが多かった。
つまりはマスメディアについての議論にメディアに用意されたストーリーを資料として使っているというアホな構図。
千原せいじの意見はマスコミによる実名報道が“社会的制裁”であり、犯罪経験者が刑期を終えた後にも世間に後ろ指を指され続けるのは当然のことでありむしろそうあるべきだといわんばかり意見だった。
かつて元オウム信者に部屋を貸さないという“事件”があった(今もかもしれないけど)。「ちょっとこえーよ」という気持ちは分からないでもない。でもそれが社会的に正当化されていいものか?地主というのはいってみれば社会的強者でもある。
松本サリン事件でマスコミに犯人に仕立て上げられたばかりかオウム奥さんの健康までも奪われてしまった河野さんは元オウム信者に対する扱いを批判したという姿勢を千原兄はどう受け止めるのだろうか?単なるお人好しと片づけるのか?
少なくとも入室を拒否された信者は犯罪者ですらないのだ。
どうやら千原せいじを満足させるには犯罪者はすべて島流しにするか死刑に処するしかなさそうだが、ここまでの極論は太田総理やバッドボーイズ佐田正樹の意見とも明らかに噛み合わないのだけどそこらへんはスルーだった。
昔と比べて増えたというニュース枠ではあっても殺人事件でさえすべてが報道されるわけではない。実名報道が“社会的制裁”というならそこらへんの不公平はどうするんだ?
猟奇的な事件とかショッキングな愛憎劇はマスコミの格好のネタになって繰り返し報道されるけど猟奇的な事件が必ずしも“ボツになった”他の(マスコミの価値観でいうところの)地味な殺人事件と比べて凶悪とは限らない。
犯罪のプロセスにはそれぞれ理由があるはずたけど、死体がバラバラになっていたら一律で「猟奇的事件」ってことになる。
本当はどうしたら犯罪を減らせるかとか、再犯を防止できるかとかが課題なはずなのに「賛成派」は自分の正義感に酔っているヤツが多すぎた。
そんなヤツはテレビを前に自分のことのように犯人への怒りで唇を振るわせるのだろう。一方でイラクで死んだ人の数なんて知ったこっちゃないくせに。
元極道の画家・山本集は「刑務所は更生さすとこちゃいまっせ、筋金入りの犯罪者を鍛え上げるとこや」と言った。犯罪を減らすためには報道よりもむしろ犯罪者処遇について再考したほうがよさそうにも思える。
そうそう細山貴嶺という坊やはテレビなんて出てないで学校に行きたまへ。
「ボクは子供だからわかるんですけど」などと他の現場体験を語る弁護士と自分が同等の価値があるかのような物言い。意見を言う前にまずは自分のちっぽけさを認識しなさい。インターナショナルなんてところに学びそれなりの見識を持っているつもりなんだろうがキミの意見は1ミリの価値もなかったぞ。
とりあえず痩せろ。
視聴者からの意見では9割が実名報道に賛成と出た。
きたるべき裁判員制度に備えて犯罪報道の意味は再考してみてもいいんぢゃないの?…って思うのだ。
とりあえずワイドショーで犯罪ニュースを取り上げるのは禁止にしたらいいと思う。
それと今回、よりによって福島みずほなんかのコトバにインスパイアされてしまったという衝撃的事実により「聞く耳」は持つべきかもね…と思ったのと、逆に自分にとっての「オピニオンリーダー」なんか決めてはいけないなとも思った。
今回も話題の中心は先々週の太田総理という古いネタになってしまったけど“思い”がカタチになったのが「世界一受けたい授業」だったのでこういうことになってしまった。
情報同士の“化学反応”でそれぞれの意味がかわってきたりするものだってのも今回の教訓。
あの回は太田氏の考えの真意を理解するのが、
けっこう大変でした。
彼は切り口が、一般的ではないと思うので。
それでもなんとか、TVを必死で見てついていきましたが。
さて、細山くん。
わたしは好感を持っています。
あの大人たちのなかで、よく頑張って発言したと思いますよ。もうひとりいた女子中学生は結局なにも言えずじまいだったので。
ふつうの中学生なら、発言できないような場面かと思われます。
まぁ、こんな意見もあるということで。
突然の書きこみ、失礼いたしました。
コメントありがとうございます
まず最初に、書いたあとに思い出したのですが福島氏の発言は「犯罪報道自体がいらない」といったのではなく「実名報道自体がいらない」でした。(訂正しておきましたすみません。)
>あの回は太田氏の考えの真意を理解するのが、
>けっこう大変でした。
>彼は切り口が、一般的ではないと思うので。
↑貴方には理解できて私には理解できなかったという真意とは何でしょうか?
そこらへんを具体的に書いて頂かないとレスができません。
細山くんですが私もファンではありませんが今までけっこうな細山ウォッチャーだったと勝手に思っています。
お母様が元オールナイターズだったということも知っていますし(笑)、「考えるヒト」のブラジャーのネーミングで50万円をゲットしたときには正直、才能豊かな子役だと感心して見ていました。
ただ「英語でしゃべらナイト」でリュック・ベッソンにインタビューしたあたりからなんか違和感を感じるようになりました。
「子供だからわかるんだ」というような発言は前にも一度したと記憶しています。
子供を知ることは大切だと思いますが、子供自身が子供のことを総論的、俯瞰的に理解することムリだと思います。そこらへんを読み違えると子供に教師の評定をさせるなどというワケのわからない方向に走る危険があります。
たしかにああいう番組にきておいてろくに発言もしないタレントを見ると、「だったらシゴト受けんなよ」と思っていましたが、意見を言おうとしたら「ネタをしてくださいっていうフリです」と森アナに突っ込まれるのを見て見方が変わりました。
芸人に求めているのはハナっからボケであり、グラビアアイドルなどバラエティ豊かな層は恐らくいろどりにすぎず「意見は必ずしもムリに言う必要はない」という趣旨のことをあらかじめいわれているのだと思います。
そう考えるとこの番組に多くを求めること自体間違っているともいえますが、テレビというものは確実に影響力はあるのです。そうでなければ「あるある大辞典」の問題があそこまで騒がれることはなかったでしょう。
だからこうした重大な課題について数十分の細切れの編集で結論が出たかのような錯覚を誘うのは危険だと思うのです。
>↑貴方には理解できて私には理解できなかったという真意とは何でしょうか?
そこらへんを具体的に書いて頂かないとレスができません
あ、ごめんなさい。ケンカ売ったわけではないです、
あの番組は、私の頭ではなかなかついていけないので、という意味です。
管理人さんが理解できてないとは思ってないです。
「パフォーマンスをする人間なら、世間からのリアクションを覚悟しろ」みたいな言い方があったと思うので、そのあたりが、わたしは意味が最初はわかりませんでした。殺人=パフォーマンスとは、なかなか受け取れなかったので。
でも、落ち着いて考えてみて、太田さんは殺人もパフォーマンスだと考えて、そういったのだなってわかったっていうことです。
細山くん、私は癒されるので、好きなんですよ。
それで、ちょっとコメントを残したかったのです。
リュックベッソンさんへのインタビューも見ていましたが、管理人さんとは真逆で(すみません)
感心し見ていました。
個人差があって、勉強になります。
いへ、こちらこそすみません
なんとなくたけし氏や太田氏のファンに多い“信者さん”の文体に見えてしまったので思わず突っ込んでしましました
リュック・ベッソン氏へのインタビューですが、あれを見て好感を持つほうがむしろヒトとしてはまっとうです(笑)
ただ「日本人の肥った男の子の役はありませんか?」と言って
「痩せてからまた来い」とあしらわれたあの会話を見てふと思ってしまったのです。
実のところ今回のネタは書いている途中で「先々週のネタだから今更たいした数のアクセスもねぇかな」と思いはじめたら途中でめんどくさくなっていくつか補足的な説明を省くという手抜きをしてしまった部分は正直あります。
もうひとつ「爆問学問」における太田氏のツッコミの低迷について近々書こうとも思っていたので太田ネタは後にとっとくか…とも。
私は一応、爆笑問題ファンです。生ライブも見たことがあります。ただ信者にはならないようなしているのです。でもたけし氏同様、信者はきっと多いと思うのでそこに彼の危うさがあると思うのです。