もう上映が終わっちゃうよ~と何年ぶりかで行った楽天地。
最近はシネコンと呼ばれるキレイな映画館が主流な中、頑張って昔ながらの営業を続けている楽天地。
たぶん最後に行ったのは10年以上前かと・・・
『八日目の蝉』が他でやってなかったのでしかたなく行ったんだけど
席は自由席なので、昔のよに非常階段へと並ばされます
盛んに懐かしいを連呼しながら入場すると、売店も懐かしい雰囲気でした。
思わず普段頼むことのない、メロンソーダなんて頼んじまったわ
全席指定席の入替制ではないので、ず~~っと座ってるおっちゃんが居ます。
終わった後もそのままじ~~っと座ってる人も居ます。
シネコン育ちの妹は何故そんなことをしているのか意味が分からないと
昔お姉ちゃんが若かれし頃はシネコンではなく、この楽天地スタイルだったから
何度も見たり、途中で入って見逃した部分を見て退場したり、終電を逃したら始発までオールナイトで
時間を潰したりなんかあったんだよ~と話すとへぇ~と。
たった6年しか違わないのにジェネレーションギャップを感じました
【あらすじ】
子どもを身ごもるも、相手が結婚していたために出産をあきらめるしかない希和子は、ちょうど
同じころに生まれた男の妻の赤ん坊を誘拐して逃亡する。
しかし、二人の母娘としての幸せな暮らしは4年で終わる。
さらに数年後、本当の両親にわだかまりを感じながら成長した恵理菜は大学生になり、家庭を持つ
男の子どもを妊娠してしまう。
う~~~む。どうなんでしょうね
私たち姉妹にはお涙のスイッチがどこで入るのか分からず上映終了。
前列のおばさまは激しく号泣しておりましたがね。
思わず妹ちゃんと顔を見合わせての感想が 「ふ~~~ん長かったね~」
ちょっとネタバレになっちゃうけど・・・
見終わった後の感想は「因果応報」
因果応報とは「善因善果」「悪因悪果」とも言われる仏教用語です。
そもそも「因果」とは、「原因」とその「結果」という意味です。
ところが、この「果」はすぐに現れるものと、ずっと後で現れるものがあります。
たとえば良い種をまいたとしましょう。その結果良い実はなりますが、すぐになった実は非常に小さい。
小さい実はすぐに食べてしまい、もっとほしくなります。
ところが、忘れた頃にやってきた良い実は非常に大きく一口では到底食べ切れません。
何故こんな良い事が起こるのだろうと考えてみても解らないぐらいその実は大きいのです。
逆に悪い種をまいたとしましょう。すぐに「ごめんまさい」と謝ればその実は小さく、すぐに許してもらえるでしょう。
ところが、黙っておれば解らないと錯覚し、そのまま黙ってほっておれば、その悪い実はだんだんと大きくなり、気がつけば、手が後ろに回ってしまい、犯罪者になっている自分がそこにあります。
お釈迦様は、そんな凡人の姿はとっくにお見通し、「善を施すに、その報いを求めてはならない」と厳しく戒められておられます。
良い行いをするのが当たり前!!
悪い行いをすれば、罰を受けるのも当たり前!!
その報いは必ず「まいた本人にその結果が現れる」と言うこと。
妻が仕掛けた愛人への攻撃の種。
それが大きな実になって子供を誘拐され、親子関係を修復できないほど壊されてしまう。
子供を誘拐して妻へ仕掛けた復讐の種。
それが大きな実になって懸命に育てた子供と引き裂かれ、犯罪者となる。
一番悪いのは旦那だと思うんだけどね
映画
ひしひし感は活字の方が伝わる気がする
と 思ってたんだよね
読んだ事無いけど(笑)
前評判でハードルを上げすぎたかもね