久々に集まれた(一年ぶりくらいかしら!?)友たち♪
中に一人どうしても前に進めない友がいる。
何年も前からず~っと同じことで怒ってる
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それも自分が変わるしか解決方法がないことを・・・
私たちから見たらヒジョーに勿体無い生き方をしている。
怒りに費やすエネルギーや時間。
思い通りにならないストレスからくる体調の不調による病院通い、それにかかるお金や時間。
何年も同じ怒りを聞かされる私たちの身にもなれっと強めに言っちゃった友
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私たちがいくらアドバイスをしても
だって~
でも~
そうなんだけど~と
まるで暖簾に腕押し状態でにっちもさっちも立ち行かない。
ただ愚痴りたいだけで、話してスッキリするなら良いが見ていると話しながらヒートアップしてくる感じ。
話にオチがなく延々とただひたすらに愚痴りまくる友を見て、涙が出そうになった。
そんなにつっぱらなくっても
そんなに強がらなくっても
そんなに生きがらなくっても
そんなに色々を背負わなくっても
もっと楽に、力を抜けばいいのに・・・
因果応報と言う言葉がふっと浮かんだ。
彼女は怒りをぶつけ続けている限り、誰かが彼女に怒りをぶつける。
そしてそのエネルギーは決してプラスには働かない。
彼女は家族や周りの人に多くを求めすぎる。
誰かの為を思って世話を焼くのは良いことだけど、それを自分がやりたいことと変換しないと自分が苦しくなる。
その世話は本来相手が欲してるものじゃないかもしれないから・・・
それは何年も前に私は身を持って感じたこと。
私もず~っとばーちゃんの為を思って自分の時間を削り、仕事の時間を削り、夫婦の時間を削った。
どんなに尽くしても、ばーちゃんのことを想ってもばーちゃんの心は別のところにあった。
認知症がそう言わせたのかもしれないし
それがばーちゃんの本心だったかどうかも定かではない。
ただ、その時感じたのは彼女が繰り返し言葉にする
「私はこんなにやってるのにあの態度はなんなのさっ」だった。
でもばーちゃんに感謝されたい為にやっている訳ではなく、家族に感謝される為にやってる訳でもない。
なにより私が尽くしたいし、やりたいのだ。
ばーちゃんとの別れの時に後悔したくないから。
あの時あーしとけば良かった、こーしとけば良かった
あれをやってあげれば良かった、これもやってあげれば良かったと想いを残したくないから。
ばーちゃんの為にやっていることから、自分のやりたいことと気持ちを切り替えた時に
はっきりと何かが変わったのを感じた。
それまで一緒にいる時間が楽しくも苦しい時間だったのが、穏やかな時間へと変わったのだ。
それでも別れた後にはいろいろな後悔が残ったけど、一緒に過ごせた最後の日々を今は楽しく想い出せる。
机上論ではなく実体験の話をすることで、彼女に響くものがないかと話してみたが・・・
何かのきっかけになってくれると願って。
この想いは届くのだろうか。
はたまたエンドレスに繰り返されるのだろうか。
うんうんと同調する振りをして、うわべだけの世間話でお茶を濁せば良いのだろうけど・・・
それができない私も彼女に負けず劣らずの頑固者だったりする
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どうにもボキャブラリーが貧困で・・・
優しいのか押しつけなのかと
それはそれで悩みどころなのだ
なんだか納得です。
頑固者じゃなくて、
「優しい」ってことじゃない?
私も変わったんだから
あなたもきっと変われるんだよ!と
優しい気持ちがいっぱいある
すずちゃんのその場の顔が浮かぶよぉ☆