いつもの珈琲屋さんに閉店間際に滑り込み、ハーブティーについて色々相談を持ちかけた私。
あれこれと店主さんオリジナルブレンドで仕上げてくれた。
「世の中には2種類の人間がいるんだよ。一つはツイている人。一つはツイてない人。
この二つに分類されるんだよ」
どちらかのお偉いさんが言ってたような、噺家さんが言ってたようなことを得意満面で店主さんが言い出した。
それであれば、私はきっとツイてるひとに違いない
オット殿に問えば、ツイてないほうの人だと自負しているであろう
私から見ればそれなりにツイている人ではないだろうかと思うけど・・・
ツイている人とツイていない人ではなく、自分をツイていると思える人かか思えないか人かの分類では!?と
あるテレビを見ていたら視聴者からのお悩み相談にコメンテーターが面白い回答をしていた。
「兄は手の付けられない不良でした。今は更正してるけど、両親は更正した兄を褒めます。
自分はまじめにずっときていて、親に心配をかけるようなことはありませんでした。
手を煩わせた兄を可愛がるのか納得がいかないのです。」
との相談にコメンテーターは
「ご両親にとって貴方の存在感が薄いのでしょう。親にとって良い子か悪い子はどうでもよくって
印象に残った出来事の多さで話題に出る頻度が違うのではないかな。
可愛がっているとか可愛がっていないとかではなく話題に上るか上らないかで自分を卑下しているのでは??」
と視聴者が何を指して兄を可愛がると言っているのかは分からないんだけど。
親にかまって欲しい子供がイタズラや悪さをして親に心配をかけるか、
聞き分けが良く、おとなしく過ごすのかその2択のうち相談者が後者を取っていたとしたら、
平等に接する両親が悪さをする兄を受け入れている時点で、反発心が芽生えるのではないだろうか。
思い込みで判断し、負のフィルターで世の中を見てしまうと自分が損ばっかりしている気になるだろう。
親の想いは本人が考えているソレとは違うかもしれないし、兄から見たら弟の方を可愛がっている
ように見えるかもしれない。
素直に頑張って良い子になった自分も可愛がって♪と言えれば済むのだろうけど、甘えられないのかな。
要は最初の発送がプラスイメージかマイナスイメージかでその後の発想が変わってくると思うの。
別にツイていてもいなくても、私はツイてると想って生きていく方が楽しいじゃんとわたくし的には想うのだ