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気まぐれ日記

口癖だと思うことにしよう♪

2012年11月02日 | 日々の徒然日記

 

 

なんでもすぐに謝る人って意外と多いのね。

 

でもその「すみません」が心から謝罪かどうかは確実に相手に伝わるもの。

 

自分がミスをしたり粗相をして謝らない人より、謝る人の方がいいじゃんかと言われそうですが、

受ける立場からするとどっちもどっち。

 

「すみません」の 後ろに続いている発しはしない言葉が見えるようで、謝られる人のほうに

ストレスがかかるなんともはやな状況。

 

「謝ってるんだからもう責めないで」とか「とりあえず怒ってるみたいだから謝っとけ」って

言外に言ってる気がしてならないのね。

 

そして謝ってる人に対して追い込みをかけるようになってしまうので、こちらの怒りのパワーを

自分の中に閉じ込めなくてはいけなくなる。

 

言いたいことが言えないのでストレスがより溜まる

 

(ただ単に気が小さく「すみません」を連発する人のそれはそんなに諂わなくても良いんじゃ

ないかしら程度にしか気にならないから不思議。)

 

何かをしてもらったら「ありがとう」だし

ヘマをしたら「申し訳ない」や「ごめんなさい」だし

「すみません」はどちらにも有効は万能な言葉として使っているつもりなのかしら。

 

「すみません・・・」と渡された書類はどうしたらいいのよって毎回思う。

・・・の部分をはっきりして欲しい。

 

「処理してください」なのか「確認してください」なのか「指示してください」なのかちっともわからんのだ

すみませんを連発する人はかなりの確率で私の指示や返事を繰り返すのだ。

 

書類のコピーを10部頼めば、「10部コピーですね」となり

電話での確認をお願いすれば「電話すればよろしいいんですね」となる。

 

・・・そう言ったよね私。

 

といつか言ってやりたいとは思いつつ、不満をグッと堪え、はいと無表情に告げる。

 

最初は声が小さかったのかなとか聞き取れなかったのかなとか思っていたけど、聞き返される

確認事項は全て合ってるのでただ単にオウム返しをしているだけ。

 

がってん承知と、とっととやればいいのにね。

 

 

私は言葉の使い方や語尾を強く意識し過ぎなのかもしれない。

 

大方の人は何の気なしに発言していると思うのだけれど、その何の気なしの語尾に本音が

垣間見えるのではないだろうか。

 

幼少の頃は行儀や言葉に関して我が家ではママゴンがとっても厳しかった。

おやつに「お煎餅とクッキーどっちが良い??」と聞かれ、「お煎餅でいい♪」と答えようもんなら

クッキーを渡され、「お煎餅いいのなら、ほんとはクッキーが欲しいのかと思った」と。

 

日常のほんの些細な会話の中で揚げ足を取っているだけではないかと思うような理不尽な

反論にあってきた。

ママゴンは私の言葉のチョイスによって相手がどのように感じるか、どのような行動にでるかを

身を持って体験させていたのだろうと今だから思うけど、子供心にはとても面倒だった。

 

しかも先の「謝ってるんだからもう責めないで」とか「とりあえず怒ってるみたいだから謝っとけ」

的な雰囲気が出ようもんなら

「何に対して謝ってるの?」と聞かれ、ちゃんとした返答ができないと「悪いと思ってないのに

謝るとは何事ぞ」となり、「謝れば済む程世の中甘くない」と烈火の如く叱られるのだ。

 

あと泣くのも「泣けば許されると思ったら大間違いだ!!」と本筋以上に叱られた。

 

美しい日本語、正しい日本語とは違うんだけれど、コミュニケーションにおける言葉を自分が気にする

あまり、人のそれも気になってしまっているのかもしれないな。

 

とりあえずあの人の「すみません」は口癖だと思いスルーすることにしよう

でも口癖と思って、ほんとに詫びている時にもスルーしてしまう恐れがあるのだけれど仕方ないよね

 

 


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