【小雨が降っています】
私・古稀ですが 浜省フアンです
(浜省 プロフィール 生年月日)1952年12月29日 70歳
浜省 来月71歳になります
過去の東京在住を思い出し夢見るシニア「古希になると1週間がアッという間に過ぎ去る想いです」
都内〇〇〇〇〇会社の出張で日産神奈川工場に11ヵ月在住しました
役職は主任で係長補佐でした
泊まった旅館は港が見える丘で旅行客も泊まる横須賀です
協力業者さんも近くの各旅館に泊まっていました
打ち合わせは近くの雑居ビルの2階を借りて定期的におこないました
会議が終わると1階の店舗のBAR・スナックで飲みました
酔いが回ると隣のBARに移動しホステスさんとゲームし雑談しました
20代後半なので皆ギラギラしていました
それが平日の楽しみで有り気晴らしでした
5時から残業が無い日は近くの照明のある夜間球場を借り野球をしました
協力業者さんも加わり5チームが出来ました
試合の無いチームはベンチで酒盛りしながら観戦してました
そして真夜中まで試合した記憶があります💔
若いのでそんな事をしないとストレスが溜まります
出張中の休日前夜は同僚達と横浜のBARでよくを飲みました
店名も場所も記憶が薄れている狭い路地の店です
そして24時を回ると日本人の客は誰もいません
私達のグループと外人さんだけでした
すると体の大きい外人さんが腕相撲をやろうと言いだしました
同僚で体は小さいが腕相撲は強い人がいました
彼は大きい外人さんに連勝し外人さんは驚いていたのを覚えています
片言の日本語で「柔道・達人~柔道・達人」と叫んでいました
お陰で外人さんに馳走になった事~思い出します
同時に外国煙草をプレゼントされました
日本で販売していない銘柄煙草も有りました
軍人さんが多く軍用備品&外国硬貨もプレゼントされました
仲良くなっても彼らは直に横須賀・横浜の港からベトナムの戦場に旅たちます
明日も知れぬ戦場に・・・・・・・・・・・・・・・・酒を飲み不安な心を隠していたのでしょう
そんな切ない思い出もあります
戦場で負傷すると輸送機で厚木基地に到着するそうです
戦後パイプを咥え降り立ったマッカーサー元帥で有名な基地です
私は生まれていないのでテレビのドキュメンタリー番組で知りました
友人で国士館大学生がいました。彼が言うにはベトナム戦争中アルバイトしたそうです
そのバイトはベトナムからの帰還兵士が眠るプールの管理だそうです
眠る兵士の体が浮いてくると長い棒のような物で押し液体の中に体を沈めたそうです
片足・片手・両方ない体・顔も半分無い体も沈んでいたそうです
バイト代は当時の一日の平均バイト代の8倍だったそうです
一人ではないので数人なので出来たと国士館の大学生が言っていました
一人での管理ではいくらバイト代が高いとは言え怖くて出来ないでしょう
長い人生そんな時代も経験してます
現在はそんな高額なバイトはありませんね
戦後生まれの私は戦争も知らず平和の世を生きています
平和の日本に満足し戦争経験で苦労した両親・先輩達のお陰だと思っています
そんな苦労した先人達に心から感謝・・・・・します・・・・・
浜省フアンです
*旧 佐貫卓球ルームも読んでください ・・・・・ ・・・・・
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