飼い主や誰かのために
自らを犠牲にして
身代わりを引き受けることを
徳の高い猫たちがしている。
自ら暗い影に近づいて
身代わりとなっている
この事実に感謝をして目を背けてはいけない。
飼い主や誰かのために
自らを犠牲にして
身代わりを引き受けることを
徳の高い猫たちがしている。
自ら暗い影に近づいて
身代わりとなっている
この事実に感謝をして目を背けてはいけない。
親の大恩を次のように十種に分けて具体的に教え、その恩に報いるために仏法の実践を促す。
本文は一般的な経の形式をとり、仏陀がラージャグリハの近く、“鷲の峰”と呼ばれる山中(霊鷲山)にいたときに多くの出家、在家の仏弟子たちに下記のように語ったとする。
父には慈しみの恩あり、母には悲(あわ)れみの恩がある。人がこの世に生まれるのは、前世の業を原因として、父と母の縁によるのである。気を父の胤にうけ、肉体を母の胎内にあずけるのである。この因縁をもつゆえに、悲母の子を思う心は世間に比べるものはなく、その恩は未だこの世に生まれぬ先にも及んでいるのである。
わけて説明するなら、以下の十種の恩徳があるのである。
子がふところや衣服に尿するも、自らの手にて洗いすすぎ、臭穢をいとわない。
これらの父母の恩の重いことは、天に極まりがないようなものである。
ところが、すでに成長して他家の女性と結婚すれば、自分たちの部屋で妻とともに語り楽しみ、次第に父母をうとんじて遠ざかる。
敢えて頼み事をすれば、『老いぼれていつまでも生きているよりは、早く死んだほうがよいだろう』と怒って罵る。
父母はこれを聞いて、怨み、惑い、悲しみのあまり『ああ、お前は誰に養われただろう、私がいなかったら誰に育てられただろう、それなのに今となってはこのような目にあわねばならない。お前を生んだけれど、いっそお前など無かったほうがよかった』と叫ぶのである。
もし子にして父母にこのような言葉を発させたならば、神仏の力にすがることもできず、子はその言葉とともに地獄、餓鬼、畜生の中へ堕ちるのである。
以上の内容を讃(うた)を交えて語らせる。つづけて、アーナンダに求道者の父母への報恩について問わせ、以下のように答えさせる。
Wikipediaより引用
どんな時も思って下さる親のご恩に感謝するのみです。
今後は、猫の他に育児日記も加えていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。