私の場合、あらゆる物事には“鮮度”というものがある。
やる気や欲求等は特にそうだ。
たまに何か書きたくなって、どこかに書いては消してを何度かやってきたが、最近また書きたいこと(創作物ではなく雑記的な)が出来たので始めてみるも、書き場探しに少々時が経ってしまったせいか、最初の頃に書きたかったあれこれが、今はもう色褪せて朧気で、書く気がだいぶ失せてしまっている。
つまりは鮮度が落ちてしまったのだ。
おまけに私の鮮度は長持ちしない。
まあ仕方ない。
残念だが仕方ない。
そういうものだ。
思い立ったが吉日とはこういう意味もあるのだろうと勝手に解釈している。
だからだろうか、昔から、タイミングを合わせて行動するということが苦手だ。
色々なあれこれを、上手くタイミング合わせてやれたなら、それはとても効率が良いし、とても都合が良い。
やりたいことだけで生きていける身分ではないのだ。
しかし、実際にそれをやろうとすると、なんだかんだで実行迄の期間が伸びてしまい、最初のほうに思い立った何かの、興味ややる気が薄れてきてしまいどうでもよくなってきたり面倒臭くなってきたりして、やがて苦痛となる。
鮮度が落ちて腐りだしてしまうのだろう。
しかし死ぬ訳ではないから厄介だ。
腐り腐ってヘドロとなって水底に沈殿していく。
叶わなかった、あるいは叶えなかった欲は時に苦痛を伴い、やがて沈むも、時々何かで舞い上がっては苦痛も一緒に思い出させる。
死ぬことも無く、還ることも無く、厄介なことこの上無い。
あるいは気づかずに、砂になっていることもあるのだろうか。
だがたまに芽吹くこともある。
最近、久々にそのヘドロのなかから一部が芽吹き、少し続いている。
とはいえ、私の性格上、そして今迄の経験上、多分またすぐに潰える。
もう少し長続きのする性格ならば、成った何かもあっただろう。
だがまあとりあえずの満足はするだろう。
満足したなら、そこでやっと消化される。
成仏できるのだ。
出来ることならとりあえずの完成はさせたいが…。
まあ期待はしないでおこう。