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005:正しい宗教1(釈迦仏法編)

2014-02-26 23:44:21 | 日記
今までの記事の「001:幸せの定義」から順に読んでいただくことをお勧めします。
いきなりこの記事を読んでも意味が分からないかもしれません。


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正しい宗教ってなんだと思いますか?

”004:誰かに人生を編まれているような気がする”




科学的なことは納得できるけど

仏法(宗教)的なことは うさんくさい

そんな風に私も昔は考えていました

確かにうさんくさい宗教はたくさん存在し、

それを見て、すべての宗教はうさんくさいとおもっていましたが

正しい宗教はうさん臭くないし、むしろ科学より正しい

そう思うようになりました




と書きましたが、

願って叶えば正しいと思います

事実

”002:結子との出会い”で

すごい結果が出ました

また、身近にいる人たちでも

たくさんの奇跡が起きています

こういう結果を見れば正しいことは

実証されているような気はしますが

そこに至るまでの理屈がちゃんと通っていないと

理系の私は納得いきません

そういう方もたくさんおられると思います。

そこで「理屈も通っている」ということを

勉強してわかったことを

書きます。



3000年前にお釈迦様はお生まれになられました

そして大分して5つの説法を説かれました

それを釈尊五時の説法といいます


最初の説法は「華厳時」と言われ 21日間説かれました

このお経は大方広仏華厳経と呼ばれ

華厳宗の基礎となっています

ちなみに日本での奈良東大寺の建立は華厳宗がもとになっています


次の12年間を「阿含時」と呼ばれ

増一阿含経 長阿含経 中阿含経 雑阿含経 という お経になっています

この阿含時に説かれた説法を基にしている宗教は倶舎宗 成実宗 律宗 があります


三番目の説法は「方等時」と呼ばれ

お釈迦様は16年間説法をされています。

無量寿経や大日経 阿弥陀経など、12のお経を説かれています

この方等時に説かれた説法を基にしている宗教は

法相宗 浄土宗 浄土真宗 禅宗 真言宗 があります


四番目の「般若時」はお釈迦様は 14年間 説かれています

摩訶般若経 光讃般若経 金剛般若経 というお経を説かれ

この般若時に説かれた宗教は三論宗 があります


5番目の説法は「法華時」と言われます

8年間説法され、ここで説かれたお経は法華経というお経です。

お釈迦様は、法華時の開教の「無量義経」というお経の中で

このように説かれています

「四十余年には未だ真実を顕さず」

これは何をおっしゃっているかというと

今まで説かれていたお経は本当のことではない(爾前経)

今までの教えは、この答えを教えるために例を挙げて教えたことで

本当のことではない

と説かれています。

今までのお経を信仰しても幸せにはなれない

そういう意味です。


あれ?って思った方もいらっしゃると思います

「だってうちのお寺は浄土真宗。それは方等時に説かれたお経。幸せになれないじゃん!」

そうなんです。

お釈迦様が説かれた仏教という宗教の中で今までの教えは

本当ではなく、仮の教えと言われているのです。

お釈迦様の教えの中でさえ正しいのは法華経しかないと

すでに3000年前にお釈迦様自身がおっしゃられているのです。

しかし、この法華経の中には、もっと恐ろしいことが書かれています

この法華経の功徳(効果)は今から2000年しかありません

2000年後に末法という時代が訪れます。

その時代になれば、世の中は乱れ、救うモノはなくなります

恐ろしいことです。

そこにこうも書いてあります

「東の国に上行菩薩が現れ、その人の教えを学べば幸せになれます」

その法華経を説かれ、お釈迦様はお亡くなりになります。


お釈迦様の最後の一日一夜を「涅槃時」と言われ大涅槃経を説かれています

ここでは、法華経の補足なようなことを説かれています


2000年後の東の国に上行菩薩が現れた話は、次回に書きます。

乞うご期待!!

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004:誰かに人生を編まれているような気がする

2014-02-26 11:19:59 | 日記
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あなたは、「誰かに人生を編まれているような気がする」

って思ったことありませんか?

佐野元春の歌詞にもそういう文言がありました

私も若いころからそう思うことは何度もありました

前の記事の

「結子との出会い」

⇒結子との出会いへ(クリック)

も、そういう出来事の一つです。

実は、その通りなんです。

この世界にあるすべての事柄を管理している人(人ではないですが)

がいるのです

宇宙全体のAdministratorが存在するんです。

これは、信じがたいかもしれませんが

実感しています。



3000年前にお釈迦様が書かれている

お経に書いてあります。

たとえば、女性が妊娠します

その時に、今なら何週目では子供の状態はどんな感じ

目ができました。指ができました

というのがEchoなどの機器によって確認することができます

それが同じ3000年前のお経に書いてあるのです

ではどうしてお釈迦様は、それを知ることができたのでしょうか?

その当時にはもちろん、ECHOなどの機器はありません。

3000年前にそれを知る人がいる

それを知る人は、先ほど述べた宇宙全体のAdministratorに

そのことを教えてもらった

そう考えるのが普通です。


宇宙全体のAdministratorは仏様という書き方になっています

仏様と書くと、宗教色が強くなってアレルギーがある方も

いるかもしれませんが、科学的にそう考えても正しいと思います。

そういう事実を勉強していくと、仏法は宗教でなく科学

それを超えて「宇宙の法理」なんです。

科学は今、必死に仏法についてきている状態です。

(けどまだ3000年以上遅れてますが…(笑))



科学的なことは納得できるけど

仏法(宗教)的なことは うさんくさい

そんな風に私も昔は考えていました

確かにうさんくさい宗教はたくさん存在し、

それを見て、すべての宗教はうさんくさいとおもっていましたが

正しい宗教はうさん臭くないし、むしろ科学より正しい

そう思うようになりました



日蓮正宗の言葉に

「願いとして叶わざることなしの御本尊様」

という言葉があります

宇宙全体のAdministratorにお願いするのですから

叶わないことはないのです。

皆さんも、この本物の仏様にお願いして

幸せをつかみませんか?

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003:スマホとガラケー

2014-02-26 10:34:46 | 日記
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『わたしは今幸せです』

そういうことをいう人がいます



ある人がガラケーを使っていました

『どうしてスマホにしないんですか?』

『別にガラケーで不便していないし』

そういうと思います。

『あなたは今スマホですか?』

『スマホなら、今からガラケーに戻せますか?』



日蓮正宗はスマホのようなものです

ガラケーで十分と思っていても

スマホに変えたらめっちゃ便利で

ガラケーには戻れない

今のままで十分幸せだと持っていても

仏法を信じると

今まで幸せだと思っていたことが全然幸せでないと気付くのです

本当の幸せを感じることができるのです

いつまで 時代遅れの人生のガラケーを使っているんですか?

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002:結子との出会い

2014-02-26 10:18:42 | 日記
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僕はずっと理系の人間だったので
実際、仏法とか宗教とか 50年間ありえなかったんですよ
科学で証明できないこと以外は実在しない
そんな風に考えてました。

僕の親である富岡直士さんからこの話を聞いても
すぐには納得できませんでした

けど、『縁』に関してだけはどうしても
科学的証明ができないんですよね

すべてが偶然と片付けてしまう人もいるでしょう
けどホントに偶然だけで片付けられますか?

あなたも、偶然で片づけられないくらい
不思議なことありませんでしたか?

たとえば僕と僕の宗教上の親の富岡直士さんの話をします

もう今から15年くらい前に
出張で佐賀に来て
泊まったホテルの
近くにあった居酒屋に偶然行ったんです。

そこの店長をしていたのが富岡直士さんでした

きっと富岡直士さんからみれば、
僕は何万人と来たお客さんの一人です。

なぜか、それから付き合いが始まり
彼は店長を辞めミュージシャンになり
いろんな佐賀の店に行くようになり
華月祥というすばらしいミュージシャンも紹介してもらい

2012年には最終的には彼と彼のお母様と僕、僕の母、華月祥ちゃん
で鹿児島の旅行に行くことになったんです。

その時まだ富岡直士さんも華月祥ちゃんも仏法に縁してない状態です

だから、泊まったホテルでもみんなで『縁』て不思議だね

って話してたんです。

そのあと、彼は日蓮正宗に縁してこの『縁』のからくり
を理解したみたいです。(このときに彼に日蓮正宗を縁したのが後述の松岡さんです)

そして彼は、そのことを僕に伝えたくて半年もの間
僕に説明してくれました

けどかたくなな僕は、なかなか彼の言うことを信じようとしません

今考えてみると、その時、信じなかったのが原因と思いますが

僕の会社に全然仕事が来なくなりました

すごく困窮しているときに富岡さんは僕に電話をくれました

そうしてもう一度この仏法の話をしてくれました

それでも、僕は半信半疑でしたが、どうすることもできないので

とりあえず入信してみようと思いました

そしてご授戒(日蓮正宗のこれから一生仏様のご加護していただけるという儀式)をうけ、信心を始めたのはいいけど

何一つ好転しません(たった2,3日で好転するほうがおかしいのですが、その時の僕は困っているのでそう感じました)

『やっぱりなー!トミーの言うことはトミーにはいいことあったかもしれないけど僕にはそんなことはこやんなー』って思ってました

その時、富岡君は電話をくれて松岡さんという人に代わってくれました

松岡さんも会社を経営していて、立場が同じ感じでした

その松岡さんが僕に言いました

『私も最初にそう思いましたよ。けどね。拘束されるわけでもなく、お金を取られるわけでもないんですよ。それなら1年間だけでもとことんやってみよう って私は思って始めたんです』

その言葉は、僕には衝撃的でした。『確かにね。別に損するわけじゃないんだし、時間はあるし、やるだけやってみても いいか』
そう思いました。

それからの僕はまったく違う人になりました
180度転換したという感じです。

まず家にある謗法(他宗に関係するもの)のものを一気に捨てました。ダルマの置物でさえ捨てました

お経を真剣に読みました

お寺にも毎日通いました

そうして1週間後にビジネスの話をしに福岡に行くことになったんです。

けど、どうせならちょうどそのタイミングで僕の所属する八幡の法霑寺の御講があるということでそれも一緒に出ることにしました

旅行を計画した時には、いわゆる『ためしにやってみる』の一環でした。


久々の九州なのでちょっと嬉しくて飛行機の乗ったのですがその日は僕を呼んでくれた富岡直士君が忙しいとのことで、2,3日前に1分ほど話した松岡さんが迎えてくれることになりました

富岡君が『うえちゃん、きれいな人だからデートしても楽しいよ』なんて言うし、
女性不信だけど女性と話をするのは好きな僕は『ならいっか』ぐらいの軽い気持ちで松岡さんに逢いました

僕の第一印象は「きれいな人だけどなんか怖い」って感じでした
彼女は丸一日かけて仏法の話、彼女の過去の話、仕事の話、色んな話をしてくれました

その一日が終わって福岡から佐賀に向かったバスではすごく疲れたけど楽しい一日だったと思えました

次の日は 法霑寺の御講の日です。僕は富岡君と華月祥ちゃんと富岡君の友達二人と法霑寺に行きました。

松岡さんにも逢いました。法霑寺では彼女はすごい人らしく皆から尊敬されるような人でした。『なんかすごいなー僕はこんな人と昨日一日一緒に居たんだ』なんて思いながら、彼女を見ていました。

彼女は昨日のことなんかなかったようにほかの信者さんと同じように僕に接していました。

御講がおわり反省会なども終わり僕は富岡君の車に乗り普通に佐賀に行きました。
彼女も一緒に来た人がいるらしく、その人たちと帰って行ったようでした

次の日はビジネスの話でした。この日のことが後で僕の心に色んな波紋を投げかけることになるのですが、今回は割愛します。
 
ビジネスの話が終わり 天神で3人で焼き肉を食べ、くつろぎました。
松岡さん宅でゆっくりして「あした福岡空港から帰ります」というと 「一度佐賀まで戻ってまた来るの大変だから泊まって行けば」って言ってもらいました

普通に富岡君とふたり泊めていただき、翌朝鈴鹿に帰りました

ここまでだと単なる旅行記ですよね

けどここから展開があるんです。




ここで、話が変わって僕のそれまでの女性観を話します

僕は、1997年から家族と別居し2000年に正式に調停離婚しました

きっかけは僕の浮気です。浮気というかそのときは、本気でした。

この女といっしょになって子供も全部引き取って(合わせて5人)頑張って一緒に育てていこうと考えていました

彼女も結婚していたのですが、彼女はすぐに離婚し、その後一人で3人の子供を育てていました。

すごく大変だったのでしょう。子育てに追われ、仕事に追われ、僕のことなんかかまえなくなっていました。

僕は僕で離婚が遅々として進まない状況で、僕も彼女も疲れ切っていたのでしょう

いつの間にか二人の間には愛がなくなっていました。

僕の離婚が成立して彼女に話した直後に、彼女から別れを告げられました

僕は家族も失い、彼女も失い、本当に自暴自棄になりました

何ども死のうと思いました

けど死ぬに死ねず過ごしていると逆に人の心は楽なほうに向かうものなんです。

『人の気持なんか考えずに好き勝手生きて、死ぬ時は死ねばいいや』

そんな風に感じてすごく荒れた生活をしてました。

女をとっかえひっかえし、(なぜかそういう時ってモテるもんなんですね)

人の気持ちも考えずに遊んでました

いわゆる荒れた状態ですね。

ひとしきり遊んで疲れてきて、けども 『結局、僕に合う女なんか絶対に存在するわけないんだから、女を信用することなく適当に』なんて考えで、ずっと過ごしてきました

女性不信の状態です


ここで話を戻します

それからビジネスの関係で松岡さんと話さないといけないようになりました

SKYPEという顔を見ながら話すツールです。

最初はビジネスの話と信心の話しか話してなかったのですが、だんだんお互いの人生観・今までの生き方・人との接し方 なんて話になって行きました

それと同時にセックス観なども話すようになりました

毎日8時間近く話すうちに、590km離れているのにすぐそばに居るような感じさえするようになりました。

僕はSKYPE上で見る彼女の美しさに改めて好きだなーて思うようになりました。

そのことを彼女に伝えずにはいられなかったので愛の告白を毎日しました

彼女は喜んではくれましたが適当に流して話してました

ある日彼女が過去の話をして、昔の日記を読んだ時、彼女は泣きだしました

彼女の中ではそういう気持ちがあったことを再認識したようです。

そしてそういうシチュエーションになったこと、それを真剣に聞いていた僕に不思議なものを感じたそうです。

僕も彼女のすべてが昔から知っている人のような感覚になっていました

それは仏法で言う過去世に縁していたそうです。

この女性なら、僕のすべてを任せられる。

本当の意味で信じられる。

何十年ぶりに女性に敬意を表せる

そう思いました

ここで、冷静になって、仏法の話ですが、女性に対してむちゃくちゃで荒れた生活を送っていて、それでも、心のどこかでは信じることのできる女性を探していて、もうほとんど無理だとあきらめていた僕に、ご本尊様はすごく素敵なプレゼントを用意してくれたのです。

めちゃくちゃに荒れて枯れた僕の心においしい水を注ぎ込んでくださいました

これは、僕にとっては最高の功徳です。


いずれ彼女とは結婚します。この心の水は一生いや来世までも枯れることはないでしょう。

これが、僕が日蓮正宗に縁して体験したことです。

ただのノロケのように聞こえるかもしれませんが、そうではなくすごい功徳をいただいたと、いうご報告でした


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001:幸せの定義

2014-02-26 10:14:20 | 日記
幸せっていうけど、何が幸せ?
定義って何?

ちょっと前は、お金があることでした

そう思っている人はたくさんいると思います
確かにお金があれば、何でも買えます。
極端な話、愛だって買うことができるかもしれません。

一時期、ちょっとお金持ちになって
何でも買ってました
けど、無くなるのも早いです。

今は、そんなにお金はありませんが
しあわせです。

安穏(あんのん)の言う言葉を御存知ですか?

安らかに穏やかに過ごすことです。
それは、今はあります
それが幸せの定義だと思ってます

お金がある生活から
無い生活になり
それから、安穏を得た
私の体験をお話しします

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