11月12日から13日にかけて大阪の枚方市在住の
檀家さんの葬儀に新命が出向きました。
喪主の奥さんの御両親は、正定寺の千巌和尚の
お弟子さんでした。
お父上は妙心寺派の僧籍を持っていた方で
最後までお坊さんでした。
お母上は尼僧さんで、仁田原大鶴の庵主さんでした。
養女になった喪主は佐伯女学校を卒業して結婚後
大阪にお母上をともなって移り住みました。
私が中学生の頃までは、尼僧さんが大阪から
見えていました。
女性の剃髪姿をはじめて見て「仏さまのようだ」と
感じたことを思い出します。
今回の葬儀は、その養子さん(86)の葬儀でした。
亡くなった養子さんも幼少の頃、海福寺の
お弟子さんでした。
観音さまで有名な佐伯市の龍護寺の先住職だった
森本真道和尚が正定寺の小僧さんだった頃、
大鶴の尼僧さんに千巌和尚の使いで行くと
必ず小遣いをくれていたと話していました。
直川村で最後の尼僧さんが大鶴の庵にすんでいました。
お名前を「恵明さん」と行っていました。
戦前の話しです。
檀家さんの葬儀に新命が出向きました。
喪主の奥さんの御両親は、正定寺の千巌和尚の
お弟子さんでした。
お父上は妙心寺派の僧籍を持っていた方で
最後までお坊さんでした。
お母上は尼僧さんで、仁田原大鶴の庵主さんでした。
養女になった喪主は佐伯女学校を卒業して結婚後
大阪にお母上をともなって移り住みました。
私が中学生の頃までは、尼僧さんが大阪から
見えていました。
女性の剃髪姿をはじめて見て「仏さまのようだ」と
感じたことを思い出します。
今回の葬儀は、その養子さん(86)の葬儀でした。
亡くなった養子さんも幼少の頃、海福寺の
お弟子さんでした。
観音さまで有名な佐伯市の龍護寺の先住職だった
森本真道和尚が正定寺の小僧さんだった頃、
大鶴の尼僧さんに千巌和尚の使いで行くと
必ず小遣いをくれていたと話していました。
直川村で最後の尼僧さんが大鶴の庵にすんでいました。
お名前を「恵明さん」と行っていました。
戦前の話しです。