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伝統と新しいこと

私は幼少の頃は空手道などを習っていました。
基礎の型を繰り返し練習します。
学生時代はバスケットボールをしていましたが、毎日シュートの練習をします。単なるパスでも、繰り返し繰り返し強く正確なパスができるように練習しました。大したことないなりに。

学生の頃に先生に教わったことは今も繰り返し使っておりますし、プログラミングは先生の作成したものを修正してから、新しくカラーにしました。

社会人になってからも、工学、経済学、防災などの各分野の大学の先生方、民間企業の専門家、省庁の専門家、海外出張では統計の専門家、実務では仕様書に沿った情報処理などもちろんその都度、上司や担当の方に相談しながら行ってまいりました。

作成した論文も、海外で推奨されているガイドに沿ったもので独自のものではありません。

大学生の頃から、自分の個性は真似して真似して最後に染み出たものという考えでおります。鈍臭いので、真似がカタチになるまでに25年かかってしまったという感じです。

優れた先生方や専門家が言われた何気ない一言をどのような意味だろう、と試行錯誤して来ましたが正解とは思っておりません。明日までにこの分析を行わなければ、と思って生きて来ました。

なぜこの先生方の言われることは、きちんとしていて、納得できるのだろうということを考えることの繰り返しです。

もちろん、身近な方からも参考になることはできる限り取り入れさせていただいております。学問の伝統も、省庁の伝統も、宗教の伝統も素晴らしいものだと、拙いながらも勉強するたびに思います。家庭料理の伝統もおそうじの伝統も素晴らしいものだと思います。

私は人によって認知の仕方がことなり、同じ時空間を過ごしても、その価値観や興味関心によって理解が異なることが不思議で仕方がなかったのです。赤色、といってもイタリア人の赤と日本人の赤とは異なると思っております。朝の赤と夕方の赤も異なっており、子供の頃の赤と大人になってからの赤も異なります。

同じ言葉でも、発声でも、優れた人格を持つ方の言葉は違うということも感じております。事務書類でも清々しい文書というのは存在します。

新しい概念を学ぶことは重要だと思っておりますが、伝統もまた素晴らしいものと理解しております。散歩の途中に祝詞をつぶやいたり、ご真言を繰り返しているのですから、感謝しております。

式年遷宮が続いたこともありがたいと思っていますし、歴史書などを読むと多くの行政官の方がその伝統を繋いで来たのだな、と思います。

でも、今の社会に生きて、できた分析というものも面白いと思っております。価値はわかりません。そのように生きている、というだけです。

伝統文化とは女人禁制の分野が多く、立ち入り難いと思って来ました。いつか男性に生まれたら、そのような仕事ができるかもしれません。また、最近は違うのかも知れず、時代によっても変わるかも知れません。

私だけの感覚かもしれませんが、私の場合はお寺に真面目に参拝できるようになったのは、女性性が薄れた今の年齢になったからだなと思います。まとまった文章が以前よりもかけるようになったのもその影響が大きいのではないかと思います(個人の感想です。女性でも若い頃から優秀で活躍される方は沢山おられます)。
要するに業が解消されてきただけで、性は要因ではないのかもしれません。

私のように修行が足りないものは、身体の影響を大きく受けるのではないでしょうか?

きちんと死ねるような生き方ができたらありがたいのですが、まだ何もできていません。

今日もありがとうございます😊
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