Toshichanの独り言

海外、国内旅行の旅日記。私の俳句手帳、などなど筆の進むままに書き連ねてまいります。

韓国の仏教寺院とtemplestay、古都、そして両班村 を歩く

2012年06月03日 | 宗教
 プロローグ
ゆったりした3列席の高速バスに身を委ねて私は仁川:インチョン空港から太田:テジョンに向かっている。2012/5/14(月)3p.m. 外は雨が降っているが、私の心は期待でいっぱいだ。
なぜこの旅を思い立ったかと言うとそのきっかけは3年前のブータン訪問に始まる。ブータンはGNH(国民総幸福量)を最大にすることを国是としていると言うことを聞き、また国民が皆チベット仏教の敬虔な信者だと言うことを聞き、ブータンに行った。
そこで分かったのは世界の、日本の資本主義、グローバリズムの行き詰りを解消するには仏教が有効であり、その精神、哲学をいかに今の世に合うように展開、実践するのが大切であると言うことである。
最近、五木寛之(海外版 百寺巡礼朝鮮半島:講談社文庫)とぺヨンジュン(韓国の美をたどる旅:日刊スポーツ新聞社)の2書を読み韓国にその解の一部があるのではないかとの思いになってきた。 また私の住んでいる奈良は日本の古都であり、飛鳥時代に百済、新羅から仏教はもちろん、文化、技術が多く伝えられたことは周知の事実である。
と言うことで10泊11日の予定で韓国の仏教寺院とtemplestay、古都、そして両班村を訪問する旅をスタートさせた。

韓国仏教について

●概略
韓国の仏教徒は20~30%程度と言われている。(韓国は儒教とキリスト教の国だと思っていたが意外と仏教徒は多いようだ。)
・曹渓宗(禅宗系)が仏教寺院の80%程度を占める。(高麗後期に韓国仏教は曹渓宗が大きくシェアを持つようになったと言われている。)
・百済:ペクチェ聖王時代の6Cに、百済から日本に仏教が伝来した。
・新羅、高麗時代も仏教は国が保護し、奨励したが、朝鮮王朝時代は概して仏教は疎んじられ、迫害も受けるようになってきて、儒教が非常に重用されるようになった。仏教寺院は権力から離れ山奥に移り仏教に専念するようになって来た。これが仏教の力強く育った原因の一つであると言われている。
●韓国仏教の特徴
・僧の戒律は厳しく守られ、妻帯禁止、肉食禁止など厳しく守られ、修行に専念していて衆生の尊敬を受けている。(原始仏教に始まる基本原理)
・お祈りの仕方は頭を床につけて掌を上を向けて祈る「五体投地」方式である。そのためお寺にある座布団は縦が横の2倍ほどある長方形で体を投げ出し五体投地してもカバーできるような形になっている。(原始仏教に始まる礼拝の仕方)
・鐘楼には「鐘、大太鼓、木魚、雲形(金属)板」が一式備えられている。これらは朝、昼、夕べのお勤めの初めに鳴らされる。「鐘」は地下の冥府に住むもの(幽霊、迷えるもの)へ、「大太鼓」は地上に住むものへ、「木魚」は水に住むものへ、「雲形(金属)板」は空に住むものへ鳴らされる。
・鐘は日本と違って地表すれすれのところへ設置されていて、鐘の下に穴が掘ってある。多分地下に音が良く届くようにと言う意味であろう。音の響きは日本と違ってより韻々と響くように思われる。
・太鼓は3~4mはあろうかと言う大きなもので、私のtemplestayした海印寺:ヘインサでは3人の僧侶が2分間隔ぐらいに交互に太鼓を非常に力強く、また技巧的に叩いていた。(太鼓の力量を競う全国大会もあるようだ。)
・お勤めは日に3回行われ、海印寺:ヘインサでは朝のお勤めは午前3時から行われる。
 お勤めはメインの僧が進行していくのはどこも同じであるが、違いは ①木魚は手に持って横に掲げて打つ。従って小型のものである。 ②お経を読むテンポが速く、声の高さが高い。節回しも日本と違いリズミカルである。 ③礼拝はもちろん五体投地
・お勤めの後、僧は座禅を組む。これは日本とほぼ同じ。眠った人は板で打たれる。
・五体投地の礼拝を108回行う。これはいろいろなものへ感謝を捧げると言うことで、○○のために祈ると言う掛け声と共に五体投地の礼拝を行うわけで、108回も行うと相当量の運動になる。

百八の五体投地や大手鞠 京都

・食事は3食である。内容的には肉はないもののご飯、キムチ、おかずが3品ほどとお汁で、セルフサービスで好きなだけ取れて、豪華ではないが充実している、僧が使う食器セットは食堂の棚に並んできたが普段は使わないようで(多分儀式、晴れの日などに使うのか)食堂のプラスチックの食器を使っていた。
・仏生会(お釈迦様誕生祭)は国民の休日で、旧暦でカウントされるので今年は5月28日である。寺寺は蓮の花の提燈、お釈迦様生誕の絵が描かれた提燈(信者からの寄進が多い)などが寺の境内所狭しと吊り下げられていて、夜は電気がつけられそれはきれいな眺めである。
・寺の門は①一柱門(入り口の門) ②天王門(四天王の像、もしくは絵が祭られている。鳳凰門とも言う) ③解脱門(ここから中は解脱の世界に入ると言うことを意味している。不二門)
・解脱門を入ると「大雄殿」いわゆる金堂、本堂である。ほとんどの寺の本尊は3仏で、中央は釈迦仏、そうすると両脇侍は文殊、普賢菩薩か?但し、私がtemplestayした海印寺:ヘインサはもともと華厳宗の寺であるので(現在は曹渓宗)、本尊は毘盧遮那仏であり(奈良の大仏と同じ仏様である。) 大雄殿ではなく大寂光殿と呼ばれている。大雄殿(大寂光殿)前の左右には「大学」があり、僧が仏教を学ぶ施設がある。相当の学僧が大学で学んでいると言う。
 なお、海印寺:ヘインサには大寂光殿の後ろ上方に八萬大蔵経を収めた蔵経板殿がある。
・ 韓国の寺の仏像は日本とは違い、黄金色に輝いている。これは仏様は常に光輝き衆生を導かなければならないと言うことから来ており、中国でもブータンでも同じく黄金色に輝いていた。見慣れてくるとそれはそれで神々しく好ましく思える。

青葉風金の仏は半眼に

・仏像と共に、寺の内装、外装も非常にカラフルである。柱,桟、垂木など構造物は緑を主体に朱、青などできれいに細かく色付けされており、また中にいる竜や飛天なども鮮やかである。これも仏像と共に、日本と大いに違う点である。
●海印寺:ヘインサでtemplestayを体験する
 韓国では国を挙げてtemplestayを応援しているようで、韓国観光公社やtemplestayのホームぺージなどで templestayを紹介しているのみならず、予約まで出来るようになっている。私たちの海印寺:ヘインサtemplestayもインターネット予約で実現した。6,7日目1泊で参加したが以下に簡単に紹介する。
☆スケジュールなど
・土曜、日曜にかけて1泊2日で企画されている。
・16:00までに集合
・オリエンテーション(歩き方、五体投地の仕方、座禅の仕方、私語を慎むこと など)
・17:30夕方のお勤め(大寂光殿)
・18:00夕食
・蓮華の提燈作り(カラフルな紙を張り合わせて作る。意外と難しい)
・21:00就寝(部屋は改装済みできれいである。男女別の大部屋でオンドル、床に布団を敷いて寝る。シャワー有り。)
・翌日3:00起床
・3:15朝のお勤めの始めの大太鼓を聴く
・3:30朝のお勤め(大寂光殿)
・4:30 108回の五体投地
・5:30 座禅
・6:30 朝食
・7:30海印寺内案内
・9:00 僧によるお茶会と質疑
・ 11:00解散
☆感想、コメント
・約20人参加、半分は韓国人、後半分は外国人、英語で説明。USA。英国、カナダ、ドイツ、スイス、そして我々日本人2人、欧米人も関心が高いようだ。
・費用 50000w 一人
・21時就寝だが寝付けず、3時起床もしんどい。108回の五体投地は疲れたが、何か功徳を積んだような気になる。また運動になる。トータルでは非常に良い体験、勉強が出来た。
●韓国の仏教寺院を訪ねて
☆2日目:大田:テジョンと公州:コンジュの間にある鶏龍山:ケリョンサン東鶴寺:トンカクサと甲寺:カブッサ
・大田:テジョンでは大林観光ホテルと言うビジネスホテルに3泊したが、新しくはないが掃除の行き届いた親切なホテルであった。2日目はホテルからタクシーを雇い東鶴寺:トンカクサ経由、甲寺:カブッサに向かった。鶏龍山:ケリョンサンは7,800m程度の山々であるが、それなりに険しく、良い形の山々である。ここを目指すハイカーに多く行き交った。ここを挟んでほぼ南北に二寺があり、どちらも落ち着いた古寺である。
☆4日目:論山:ノンサンの近くにある灌燭寺:クァンチョッサ
・ホテルからタクシーに乗って論山:ノンサンの近くにある灌燭寺:クァンチョッサに向かった。タクシーを待たせて寺を見学し、その後大田高速バスターミナルに戻り、バスで大邸:テグ経由で慶州:キョンジュに向かった。
・ここには弥勒菩薩の大きく立派な石仏がある。11C初頭に完成したものである。五木寛之の本で知ったが「私の孫娘に似ている」ようなので是非とも実物を拝見したかった。
 頭とその上に載る宝冠が非常に大きく、体は2頭身半である。お顔は愛嬌のあるような、慈悲の深そうな、そしてきりりとしたすばらしい仏様であった。石仏に相対して弥勒殿がありそこから拝むのが本筋なのだが、そこから見えるお顔は一層きりりとしてすばらしいものであった。実物も孫娘に良く似ていた。
・ここも山の中腹にあるので、論山、扶余に至る平野が目の前に広がっていてゆったりとした風景であった。
☆5日目:慶州:キョンジュにある仏国寺:ブルグッサ、石窟庵:ソックラム
・ボランティアガイドの河:ハ氏の案内でタクシーを借り切って慶州:キョンジュを観光したが、その途中で立ち寄った。仏国寺:ブルグッサは世界遺産に登録されており、仏国に上がる紫霞門と、大雄殿前の石の釈迦塔と多宝塔が鎮座している。石窟庵:ソックラムは車で山の中腹まで上り、それから15分ほど歩いていく。山に半分覆われた石の洞に石仏は安置されている。石仏がまず安置され、その回りに石の洞を作ったと言う。長い間忘れ去られていて、20C初頭に再発見されたと言う。安らかで気品のあるお顔をされて座られており、冬至の日に朝の太陽に光がお顔に当たるようになっているという。
☆6日目:伽耶山:カヤサン海印寺:ヘインサ(templestay)
・慶州:キョンジュの市外バスターミナルからバスで1時間で東大邸トンテグにある高速バスターミナルに着き、地下鉄で聖堂モツに行き、西部バスターミナルに至る。ここから海印寺:ヘインサ行きのバスに1時間30分乗り海印寺:ヘインサバス停に至る。終点の一つ手前で「ここで降りろ」と言うことなのでバスを下車してから20~30分山道を上る。スーツケースを引っ張り上げるのに一汗かいた。
・ここはtemplestayした寺であるが、八萬大蔵経の版木が保存されており、これが世界遺産となっている。(建物群も別登録で世界遺産)大蔵経とは全ての仏教のお経のことを言う。高麗:コウリョウ時代にモンゴル、元が高麗に攻め入って来て大きな戦争が続いていたが、この八萬大蔵経はモンゴル、元を退散させるため国家事業であり、版木を作り紙に刷って配ったと言う。ものすごいエネルギーと言うか執念である。刷ったものは、日本の寺にも収められていると言う。
☆7日目:大邸:テグにある八公山 桐華寺:トンハサ
・海印寺:ヘインサから大邸:テグに戻り、荷物をホテルに預けた後、地下鉄「峨洋橋」駅のバス停から急行バスで桐華寺:トンハサに向かう。急行バスを見つけるのが一苦労、次から次へとバスが来るのですばやくハングルの行き先を見て見当をつけてバスの運転手に桐華寺:トンハサに行くかどうか確認せねばならない。ようやく乗ったら、こんどは降りたところが地図でよく分からなくなり、すったもんだの挙句寺に着いた。しかし名前の通り桐の華が綺麗に咲いている良き寺だった。

ハングルで行き先見つけ夏帽子

☆10日目:ソウル 曹渓寺:チョゲサ
・ソウルでは9日目からJongro 3Ga駅近くのGS hotel Jongroに2泊した。雑然とした小路に面していて「大丈夫かな?」と思ったが、ホテルは新しく掃除も行き届いており、スタッフの応対もよく良いホテルであった。 10日目にホテルから歩いて曹渓寺:チョゲサに行く。ここはソウル仁寺洞:インサドンの西隣にあり、曹渓宗の大本山、さすがに大本山であり、ソウルにあるだけに大勢の信者が参拝に訪れ、大雄殿のみでは入りきれず前の庭にシートを引いて礼拝の場所を確保し五体投地をされていた。今回の韓国仏教寺院訪問最後の場所であり、大都市の真ん中に近く、篤い信者が集まるこの寺を訪れたことは有意義だった。
☆朝鮮王朝時代に迫害を受けて山に寺院を移したと言うことで、文字通り ○○山△△寺 と言う名にふさわしく、人里離れた山の中腹にあり、ちょうど新緑の時期でもありすがすがしかった。
 韓国も中高年のハイキングブームのようで、カラフルなハイキングコスチュームで大勢の人達が寺を通り、山の方へハイキングに向かっていた。
 また山の中腹にあるためどの寺にもきれいで豊富な地下水が湧き出ており処々に水のみ場、手洗い場があった。
●日本仏教について韓国で考える
以下に独断と偏見で素人の私見を述べる。気を悪くされた方がおられたらごめんなさい。
・私は韓国の仏教の方が「原始仏教の原理、原則」に相当近いのではなかろうか、日本の仏教、特に浄土宗、浄土真宗は「原始仏教の原理、原則」から大きくかけ離れ過ぎているのではなかろうか?と考えるようになった。
・上座仏教と大乗仏教は相当違いはあるが、主な違いは前者は出家し、僧となってどう悟りを開き仏道を極めるかに主軸が置かれ、後者は衆生も含めて大きな船に乗せ皆をどう救うか、仏道を極めるかであり、先導役としての僧のあり方の厳しさは違わない。そのような点で韓国仏教は原始仏教の原則を守っている。厳しい戒律のもとで修行する僧がいるからこそ衆生を引っ張っていけると言うか、衆生がついてくるのだろう。
・日本の仏教の場合、江戸時代に確立した檀家制度があり、またそれとも関連して葬式仏教に特化している。檀家制度+葬式を機軸にお布施を頂くという経常的収入の道が出来ているので安定的に寺が維持でき生計を立てられるが、それは一方では宗教としての本来持つべき使命、緊張感を薄れさせてしまったのではなかろうか。韓国の場合(中国、チベット、ブータン、スリランカ、タイなども)は檀家制度+葬式仏教というシステムではなく、原始仏教の基本原則を保っている。日本仏教は一部を除き宗教としての存在感が非常に薄れてしまっているのではなかろうか。これは日本仏教の危機でもあり、日本人の心に危機にも繋がって来ているのではなかろうか。
・法然、親鸞の浄土宗、浄土真宗は平安時代末期の新興勢力の興隆、国家、貴族のための既存仏教の廃退、弱体に対するアンチテーゼとして、衆生を広く救済する仏教として生まれて来て、やがて室町、戦国時代に登場した蓮如によって大きく広まることとなる。時代と人々の要請を上手く掴まえ大きく広まり、支持を受けた。
・今仏教は日本でも世界でも、行き詰った資本主義、グローバリズムから脱却し、全く新しい規範を示す救世主になりうるのではと期待されている。今の浄土宗、浄土真宗のみならず日本仏教はその要請に真に答えられるダイナミズムとパワーがあるのだろうか、また回復できるのだろうか。自己革新が出来るのであろうか。是非ともそうあってほしいと願っている。今の日本仏教界でもこれではいけないと言う動きが色々出て来ているようだ。

韓国の古都を訪ねて

日本の飛鳥時代に日本に大きな影響を与えた百済:ペクチェと新羅:シルラの古都を訪問した。この時代、韓国は百済:ペクチェ、新羅:シルラ、高句麗 の三国時代であった。
●百済:ペクチェの古都、公州:コンジュ
 百済:ペクチェの首都は当初ソウル付近であったが、高句麗の勢力拡大により5Cに熊津、今の公州:コンジュに首都を移した。6C前半第25代武寧王の時代は大いに国力が増し、高句麗にも圧迫を加えることも多かった。ここ公州:コンジュの宋山里古墳群に武寧王の墓が発見された。盗掘を受けておらず非常に貴重な埋葬品が発見され、それらは近接する公州国立博物館に陳列されている。
☆公州:コンジュを歩く
2日目は大田から甲寺まではタクシーで鶏龍山:ケリョンサン東鶴寺:トンカクサと甲寺:カブッサを訪問した。甲寺の下の店でビビンバとビールで昼食をとった後、市内バスで公州に向かった。(1200w安い!40分ほど)
公州バスターミナルから西に歩いて30分ほどの宋山里古墳群に向かう。ここは古墳公園として整備されており、小高い山の斜面に5,6個の古墳が連続している。古墳の中が再現されている展示エリアがあり、武寧王の墓(ここは全く盗掘を受けていないので、埋蔵状況、副葬品などの非常に優れた成果があったと言う。)の内部、副葬品などが再現されていた。そこを出て山を登っていくと古墳群を過ぎやがて下りになり、公州国立博物館に至る。ここでは先ほどの古墳の副葬品の本物が展示されていて迫力があった。
博物館から戻り気味に北東に30分ほど歩いて公州城に至る。ここは緩やかな山城であり、地形に沿った城壁に囲まれている。白馬江:ベンマガン(白村江)に臨んでおり、熊津.公州の守りの要であろう。公州市街地と白馬江:ベンマガンが足下に見渡せる絶景ポイントである。
●百済:ペクチェの古都、扶余:ブヨ
 公州にあった百済:ペクチェの首都は、新羅:シルラに圧迫されたことなどにより第53代聖王(6C中)の時に扶余:ブヨに首都を移した。扶余:ブヨは公州:コンジュから白馬江:ベンマガン沿いに南西に40km下ったところにある。この聖王時代に日本に仏教が伝来された。日本では聖徳太子の時である。
 新羅:シルラは中国 唐との連携を深め連合で百済を攻め、660年に百済は滅びた。しかし、百済遺臣は再興を図るため日本に助けを求め、日本は中大兄皇子率いる軍を663年に韓国に派遣した。一方新羅軍には唐の軍が加わり、白馬江:ベンマガン(白村江)で船戦での決戦が行われたが、百済、日本軍は大敗を期した。(この後中大兄皇子は都を大津宮に移し、福岡を中心とした海の守りを固めるなどの策を実行した。)
 百済滅亡後多くの百済の人達が日本に渡来し、文化、技術を伝えて下さったことで日本の発展は加速した。改めて親近感を覚えた。
☆扶余:ブヨを歩く
 3日目の朝、前述のホテルから大田西部バスターミナルにタクシーで行き、そこから市外バスで扶余に向かった。一時間30分ほどで扶余着。まず百済王の別邸があった宮南池に行く。蓮が咲きかけていた。広い立派な庭園である。その後歩いて10分ほどのところにある、扶余国立博物館に行く。ここには扶余に都があった時の宝物が収められており、特に金銅大香爐はすばらしかった。
博物館から10分ほど歩くと定林寺跡に着く。百済の官寺であり、相当の面積があり、礎石群を見ると往時の隆盛が偲ばれるが現在は立派な石の仏塔と高麗時代のユーモアあふれる石仏が残るのみである。
昼食をとりに店に入る。扶余はうなぎが有名だと言うことであったのでうなぎを注文する。蒲焼で美味かったが、出てきたおかずには圧倒された。焼酎、ビールを飲んで〆て35000wであった。少し高い。5000wから10000w程度外国人価格上乗せのような気がする。そこから歩いて15分ほどで扶蘇山城:ブサンソンに至る。ここも公州城と同じように白馬江:ベンマガンに臨む山城である。公州城より山は高い。山頂から見下ろした白馬江:ベンマガンと、扶余の町並みがきれいに見えた。そこから白馬江:ベンマガン側に下る。相当降りていくと落花石がある。新羅、唐の連合軍が攻めてきて負けると分かったとき、女官たちがこの岩から白馬江:ベンマガンに身を投げたと言う。
下っていくと亡き百済遺臣を弔うために立てられたという皇蘭寺を過ぎ、白馬江:ベンマガンの遊覧船船着場に至る。さて舟下りをしようと切符売り場に行くと・・・・、「もう16:30の最終便は出ました」との非情の言葉。船を雇うなら20000wで出すと言うが真っ平ごめん。また引き返し、息を切らしながら再び山を登っていった。
白馬江:ベンマガン(白村江)、中大兄皇子、防人らが百済:ペクチェとともに戦ったこの地、この河には戦死した日本の戦士が今でも眠っている。一礼をすると共に、悠久の歴史、遠くて近い日本との関係を思った。

飛鳥人眠り続けよ夏の河

●新羅:シルラの古都、慶州:キョンジュ
 新羅:シルラは三国時代、統一新羅時代とも首都を慶州:キョンジュに置き、国を統治してきた。三国時代には積極的に唐と組み、結局百済、高句麗を攻め滅ぼし統一新羅を作るが、統一新羅時代には唐との連合は解消し、対立を深めるようになった。8C後半には国力が衰退しはじめ10C中頃、高麗:コョウリョウに吸収されてその幕を閉じた。
 百済についで日本との関係も深く、仏教、諸技術などが新羅から伝来した。
☆慶州:キョンジュを歩く
・4日目、前述の様に灌燭寺:クァンチョッサに行った後、大田高速バスターミナルにタクシーで到着。新しいターミナルビルで食堂など設備も整っていてすばらしかったが、地下鉄の駅からは相当離れていて底に至るのには不便である。ここから高速バスに乗り、2時間20分ほどで東大邸:トンテグにある大邸バスターミナルに到着。ここで隣にある別のバスターミナルでバスを乗り換えて50分ほどで慶州:キョンジュバスターミナルに至る。雨も降って来たのでタクシーで宿に行き、チェックインする。ホテルはShillabang Guest Houseと言う古い韓屋をリニューアルしたもので、掃除も行き届いており、スタッフも親切でよいところであった。ここで2泊した。
荷物を降ろした後、近場を観光する。大陵苑:テヌンウオン(古墳公園)に向かうが、公園外の町の周辺にも多くの古墳が点在しており、歴史を感じさせるし、街も柔らかくしている。
 しばらく歩くと大陵苑:テヌンウオン(古墳公園)の入り口である。この中にも数十個の古墳が眠っているが、見た感じは円墳である。一番奥に天馬塚がある。この中には入れるようになっていて、発掘時の状況、副葬品の模造などが飾られていた。特に金冠は有名であり、本物は慶州国立博物館に展示されている。
そこを出ると慶州:キョンジュの都跡に至る。瞻星台:チョムソンデが立っている。これは善徳女王の頃作られた天文台であり、独特の形をしている。
 南に歩いていくと半月城跡に至る。名前の通り上から見ると半月の形をしている。そこを過ぎて東に行くと、雁鴨池:アナブチに至る。ここは王の別邸であり、庭の前には池が掘られている。ここからの出土品も相当あったそうだ。
このあたりを散策すると、風景が本当に飛鳥に良く似ている。全般的には慶州の周りを低い山が囲み、盆地状になっていることが一番似ているが、なんと三輪山にそっくりな山、耳成山に良く似た山もある。文化、技術など百済はもちろん新羅からも伝わり、当時渡来した韓国人も多かったであろうが、飛鳥の風景を見て遠く故郷を思ったことだろう。(なお、いくつかの本を読むと公州、扶余の風景も飛鳥とよく似ていると書いてあったが私はそのような感じは受けなかった。)
・5日目、かねてからお願いしていたボランティアガイドに案内して頂き本格的に慶州を観光する。これは韓国観光公社がインターネットを通じて斡旋していただけるもので、交通費、食費など実費を持つだけでよい。案内人は河:ハさんと言う70歳の方でわざわざ釜山から来ていただいた。この方は韓国電力に勤めていたそうで日本の電線メーカにも何度と無く研修などで来られていて、日本のことも詳しく、非常に日本語が堪能な方である。
 タクシーで回ることとし(タクシーの借り上げ料金は昼半日で50000w.昼一日で100000wが相場、距離が遠くなるなら+2,30000w)郊外の両班:ヤンパンの村「良洞村」に行き、次に市内に戻り雁鴨池:アナブチのそばにある皇竜寺跡に行った。ここは6C後半から約100年に亘って建てられた寺で相当大きな規模をであるが、モンゴルとの戦争時に焼けたと言う。発掘により、多くの出土品があり、今慶州国立博物館に陳列されている。それから前述の石窟庵:ソックラムに行った後、仏国寺:ブルグッサに至る。最後に慶州国立博物館で今日見た出土品、宝物などを見学した。

慶州の涼風飛鳥にゆるり吹き


韓国の両班:ヤンパン村を訪ねて
●両班とは
 両班とは「文班(文官)」「武班(武官)」の両方を言い、国を統治する官僚制度の一つである。これは儒教を基本に置く科挙の制度なども含まれる。高麗:コウリョウで始められ、モンゴル支配の後14C末興った朝鮮時代に確立、定着する。但し、高麗時代は儒教より仏教で国を治めようとする考えが強かった。
 朝鮮時代には両班制度、科挙制度が確立されたが、ここで登用されるには儒教の深い教養、知識が必要とされたため、士大夫層が大半の官僚を占めるようになって来た。仏教は圧迫されることも多く儒教が圧倒的優位を占めていた。
●両班村とは
 両班村はその地の士大夫が治める村であり、功なり名を上げた両班が村の中心の高いところに居住し、その分家が次の位置を占め、下の方、周りに農民が居住する形が多い。村は「風水」を考えて設定されており、確かにそれなりの雰囲気を持っている。士大夫が後進を養成する場が書院、書堂であり、両班村内にあるものと離れた地区に立っているものもある。
☆良洞村:ヤンドンマウル
慶州の北東の近郊にあるが、ここは新羅とは関係なく、朝鮮時代から続いているものである。両側に小高い丘があり、上からなだらかに下った地形に、上のほうは両班の家、書院、下のほうには農民の家があり、そこから少し左に行ったところからは広い平地が広がり田となっている。昔ながらの140戸ほどの家が残っている、落ち着いた村である。風水にもかなっていると言う。
支配階級たる両班が高台の良好な地に住んでおり、またその中でも宗家が一番上にいるとハイアラーキーが目に見える形で示されている。別の見方をすれば朝鮮王朝時代に両班となった出世物語が形になっているとも言える。
☆河回村:ハフェマウル
安東:アンドンの北西にある、世界遺産にもなっている両班村である。良洞村:ヤンドンマウルも同じであるが、無電柱化されているなど質の向上、維持管理に相当国が力を入れており、結果として静かなたたずまいを見せている。
 ここは良洞村:ヤンドンマウルと違って川の傍、川が大きく蛇行をした平地に作られている。しかしながらその中でも高台、中心に両班の家があり、書院、書堂がある。その周りの相対的に低いところに農民の家がある。村の配置は風水にかなっていると言う。
 確かに村の中を歩いても、また外周の川の付近を歩いていても不思議に落ち着きがあると言うか、いい気が流れているような気がする。すばらしいところだ!

河回村時揺蕩ひて昼寝かな

 ただ一つ気になったのはここで民泊することとしていたが、予約していなかったので荷物を持ってうろうろいていたら茶店があり、そこのおばさんに隣の民泊を紹介してもらった。部屋は4畳位、隣にトイレと水しか出ないシャワーがあり、夕食(チムタク)朝食(塩さば焼き)付きで120000Wであった。どうもこれは外国人料金であり、3~40000Wは高かったのが残念であった。たいした金ではないが、せっかく河回村:ハフェマウルに来た外国の旅行客の気分をそんなつまらないことで害する行為は、国にも、地域にも、彼らにもいいことでは無いように思う。

韓国旅行雑記

●韓国での個人旅行のコツ
☆地方に旅行するなら断然バス
・安い、早い、回数がある、快適(例えば仁川空港から大田まで22000W。2時間30分)
・バスターミナルが複数ある場合、どこのバスターミナルか良く確かめて
高速、西部、東部など複数ある場合がある(地下鉄の駅が近くにあればいいが無ければタクシー?)
☆少しはハングルを覚えておいたほうが良い
・切符を買う
・乗るバスを探す
料理を注文する
・勘定を頼む
・おいしいよ!と言う。
・ 常に相手に確認する。特に乗るバスの行き先、降りる場所の確認。
☆個人旅行に必須なのは「地球の歩き方」と言う本である。
・旅行の計画はこれを中心に立てられる。
・旅行中のガイドとして必須である。(細かい地図、詳しい行き方、値段など)
☆次に役に立つのはインターネットだ。
インターネットでホテルを評判と、料金と、場所を見ながら事前に予約した方がいい。はずれは少ない。
地球の歩き方と併用して旅行の計画作成に役立つ。
☆i-pad、スマートホンなどを持っていけばホテルのWi-fiででインターネットに接続できるので便利。ただし、ホテルの部屋、ホテルのロビーにパソコンは大体あるのでそれを活用するのも良い。
☆食事、買い物は出来れば余り観光客が行かない、地元の人がほとんどの店に行ったほうが良い。安くておいしい、いい物がリーズナブルに買える。
☆現地での観光は自分の足で歩くことを原則
1日10~15kmは歩きます。健康に良いし、脂肪が確実に減ります!夜の飯も酒もうまい!
☆リタイヤした人は個人で企画し、個人で旅行に行くべし
・インターネットが発達した今、旅行情報も、ホテル予約も、航空券予約も簡単に格安で出来る。シーズンを少しはずせば安く、空いている。金は無いが、暇はある人には最適。
・個人旅行なので適度に緊張感があり、歩くことも多いので健康にも絶対良い。
・リタイヤした人、年寄りは個人旅行が一番。ゆっくり行きたければゆっくり行ける。タクシーに乗っても料金は安い。忙しく回り、みやげ物店は時間たっぷり?パック旅行で行くのは年寄り向きではない。
●道路事情
・日本以上に相当高速道路網が発達していてバス、車での移動がスムースである。
・高速道路の一つ下のランクの「高規格道路」があるようだ。これは町部では1,2箇所信号で町の道路と連結しているが、郊外に行くと信号は無く、立体交差と簡易インターチェンジで道路が通っている。
・今も相当建設中の高速道路、高規格道路が多い。
・ これにより鉄道はKTXを除き衰退し、利用者は高速バスにほとんど流れていると思われる。(在来鉄道は単線、非電化)

エピローグ:韓国の活気と仏教の心を

夕凪や瓶よりマッコリ吹き出でて

ソウルでも地方でも、数十年前も、数年前も、今も、街中で、市場で人々の活気が、エネルギーがあふれている。買い物でも、食事でも、携帯での通話も、寺でも、山でも、もちろん最近の韓国政府のウオン安政策による輸出の増大と言う経済効果もあろうが。
 日本人はどこにこれらを忘れてきたのだろうか。いやいや自分の中に置き忘れているに過ぎない。もう一度燃やそうではないか。
 仏教は行き詰った資本主義、グローバリズムからの唯一の救世主だと思う。しかし、日本の仏教は息絶え絶えではないか?もう一度原始仏教の原点に戻って日本の仏教を蘇らせてほしい。私の孫の世代の日本人のために!
 ソウルの夜、昨年行ったバンクーバーの留学仲間である韓国人のEunjung Choさんと妻と3人で食事をした。彼女は今ソウルの学校に行っているそうだ。世界は一つ、世界は狭いと言うことを実感して韓国の旅を締めくくった。(注:100w=8円ほど(2012.5時点))


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