以下の論考は感情的にならずに、冷静に論理だけを働かせて考察していただきたい。
「神」が自分に似せて、人間を創ったのであれば、以下のようなことが導き出される。
もし、人が邪悪で非道で醜いものであるならば、当然、「神」にもそのような一面があるのだ。
すべての被造物が神のエッセンス(本質)を受け継いでいるとするならば、すべての好ましきもの、厭われるものもすべては「神」の所持しているもの・現れである。
つまり、今現在の善悪を争うこの世界の様相は神の巨大な想像(創造)の中での悲喜劇で吾々はその中で一役を担っている、ということ。
その中で個々人はどのようなパフォーマンスをするか、それが問われている。
ある人はシリアス過ぎるほどシリアスに。また、ある者はおちゃらけ全開で‥‥
いろいろな役があり、取り組みの様子もそれぞれバラエティに富んでいた方が楽しかろう。
深刻にやりすぎていたら時には力を抜き
「所詮、芝居にすぎない。最後は上手くいくに違いない」
と、心を解(ほぐ)し、楽しもうという方向へ。
他人事のように取り組んでいて白けていたら、楽しいものも楽しくなくなる。
物事はどのようなものでも、大概は真剣に取り組んだ方が本当に楽しいし感激もできる。
そして、自身も「神」であることを想い出し、活躍を !
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