A地点まで一緒に行くことを頼まれたら、それ以上のB地点まで付き合うのも優しさである。
それとは対照的に、途中のX地点まで付き合い、それから先は相手にひとり行かせるのも親切である場合もある。
つまり、相手の(成長)状態、状況(他者に頼らなくても自分は出来るという自信を醸成するなど)により、最適な接し方はそれぞれある。
人は尊敬されることを望みがちである。敬われると自尊心が満たされるためであろう。
それは嘗て、劣等感を感じていた裏返しである場合も少なくない。
生まれた時から、周りの人々に尊重されていたら、劣等感を感ずることもないように推察する。
それを因とする尊敬して欲しいという想いも生じないのでははないか、そう至考した。
お金持ちになりたいと感じそうなったのは、貧乏なことを馬鹿にされ、蔑まれた経験があったから、というお金持ちも少なくないように見受けられる。
様々な足りないところを馬鹿にしたり、蔑んだりすることなどなく、優しく、助けもらったような経験をすることばかりなら、シャカリキになって生きる必要性も生じないであろう。
まあ、シャカリキになって生きるのがお好きなら、それもいいだろう。
だが、馬鹿にするのもされるのも、蔑むのも蔑まれるのも、本当に意味がない馬鹿馬鹿しいことだ。
心底そう感じている。
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