今年の夏は、藤井風ライブ、奄美大島旅行、とお天気になってほしいときにお天気に恵まれましたが、どうやら秋のライド旅行も当たりのようでした。
全国的に晴れの10月11日、早朝6時新横浜発広島行きひかり号に輪行袋に入れた自転車とシウマイ弁当を持って乗り込みます。
早朝新横浜始発で広島行きとか、まるで我が家がしまなみ海道に行くための列車みたいです。
10時前には尾道の駅に着き自転車を組み立てておりました。
そしてすぐ渡船。
各国からライダーが来ています。
向島へ着きます。
80キロのライド旅の始まりです。
夏中お稽古をしていたおかげで、少しはスピードが出せるようになっていました。
ひゅんひゅん進みます。
たくさん島の見える瀬戸内海がきれいです。
その景色の中を走ります。
島から島へとわたるしまなみ海道ですが
橋は当然、上空にあります。海の上なんですから当たり前。
そこに上っていくのが、まあ脚的にはいちばんきついところです。
島をたくさん渡るのは面白いけど
島の数だけ橋があるのです。
向こう側の島に行くには
橋を上らなくてはなりません。
桜島をライドしたときには
「カーブの向こうはまた上り坂であるかもしれない。それが人生だ」と学んだ私ですが
しまなみ海道から学んだのは
「島の数だけ橋がある」ということでした。
あっち側にわたるためには
えっちらおっちら坂を上らなくてはなりません。
先に行ってるからゆっくりでいいからね、と夫が駆け上っていきます。
そして私が一生懸命上っていく姿を盗撮していました(笑)。
橋の上は最高です。
右も左も多島美の瀬戸内海。
青い空と青い海。そして濃い緑の島々。
今日は小さいお宿に泊まるそうです。サイクリスト専門宿みたいな感じ。
室内保管もしてくれるし、メンテ等も相談に乗ってくれるそうです。
定員は最大6名。みんなで食事の時間とかを合わせるので、5時までには絶対入ってくださいね、ということでした。
終わりの時間が決まっているので、向島→因島(因島大橋)を一生懸命走りました。
お稽古の成果が出た気がします。
そしてまた橋(生口橋)。
本日泊まる生口島に入ります。
この時点で時間的余裕があることがわかりましたので、ちょっとふらふらと観光します。
そしてジェラートを食べました。
伯方の塩と瀬戸田レモンのダブル。
アイスクリーム屋さんで、外国人が軒並み戸外のテラスを好むのを見て、海外に行っていたころを思い出しました。
私たちは涼しい室内が好きなんだけど、彼らは戸外が好き。
こういう感覚の違いが、感覚過敏の理解に役立ったところがあります。最初に発達障害の人たちの五感の違いに気づいたのは、実は海外旅行で色々な感覚を持つ人がいると観察した経験のたまものだったのです。
瀬戸田って、レモンと一緒に聴くことの多い地名ですが、私たちが今日泊まるのが瀬戸田なのでした。
宿は海の前にありました。
着いてすぐ、お風呂をどうぞ、と言われました。今日はあと一組二名やってくる。先に入ったのが私たちなので、お風呂を早く済ませてくれると助かる、ということ。
私たちはかわりばんこにお風呂に入りました。サイクルウエアの洗濯もやってくださるそうです。親切です。
そして夕暮れの海を前に、ビールを飲みました。なんか魚がはねています。お宿のホスト犬トイプードルがソファにアテンドしてくれます。至福のひとときでした。
ロードガチ勢は一日でわたるしまなみ海道ですが、アラカンなんだし、海の上一泊で十分じゃないかしら。こんなゆったりした時間も過ごせるし。
もう一組も到着し、マダム心づくしの夕食の時間。
とても美味しかったです。
東向きの宿だったので、朝日がきれいだときいていましたが、天候的にも恵まれて、本当にきれいな朝日をみることができました。
朝日をみながら散歩をし、帰ってくるとコーヒーが淹れてありました。美味しくいただきました。
そしてまた美味しい朝ごはん。
のあと宿の皆様に別れを告げ、出発です。
しばらく走ってまた橋(多々良大橋)。えっちらおっちら上ります。
大三島へ。
ここを走ってまた橋(大三島橋)。
伯方島へ。
この辺で時間的余裕ができたのに気づき、念願だった伯方の塩ソフトクリームを食べました。
たくさん走ったけどたくさん食べた旅でした(笑)。
そして大三島橋を渡り、最後の大島へ。
ここにはかつて、今治側から来たことがあります。
ここでランチ。「タイラーメン」が美味しいんだ、と夫は言うのです。実は夫、大学院のゼミ合宿で私より一足先にしまなみ海道を全部走ったことがあり、そのときに院生の皆さんと「タイラーメン」を食べたそうです。
私は「タイラーメン」ということなので、トムヤムっぽい何かかと思ったのですが、「鯛ラーメン」でした。瀬戸内海ですもんね。お出汁も鯛でとっていて、とてもさっぱりと美味しかったです。
パワーチャージして来島海峡大橋を渡る前にサイクル姿の愛媛県ゆるキャラみきゃんと記念撮影。
またもやえっちらおっちら上り、上空へ。
橋にしてはずっと続くなあ、と思ったのですが4キロあったのですね。
海の上を4キロ走ったわけです。
そして今治へ。
今治では80キロ走った記念写真を撮りました。
お宿は今治国際ホテル。古き良きランドマークホテルといった趣の立派なホテルですが、なんとロードバイクを部屋に持ち込みOKなのです。いかにこの地域が🚴観光に力を入れているかよくわかります。
立派なホテルすぎて、コインランドリーはありませんでした。
が、徒歩三分くらいのところにコインランドリーがあり、そこで洗濯をしてから、今治の名物だという焼き鳥を食べに行きました。とても美味しかったです←こればっか。
ギリギリ予約できたようで、ひっきりなしに人が来ていました。
カウンターで隣り合った人は、登山に来たそうです。
楽しみ方は違うのですが、なぜ私たちに話しかけてきたかというと、モンベルを着ていたからでした(笑)。持ち運び便利なモンベルは多くの人が着ていますからね。
明けて朝。
朝食後、桟橋に行って自転車をたたみます。
そして福山行きのバスへ。自転車で渡ってきたしまなみ海道を今度はバスで本州に戻ります。
福山に着き、あなご弁当を買ってのぞみに乗り込みます。
このまま乗っていると新横浜に着くのが不思議でしたが、もちろんきちんと着きました。
今回の旅で思い出したのは、日本は土木大国でもあったということでした。
あの瀬戸内海の多数の島々に、橋をかけちゃおうという発想がまずすごい。それを実現しちゃったのがすごいです。
そして交通網。最初に東海道新幹線ができたのが昭和39年の東京オリンピックの時。オリンピックの始まる直前にギリギリで開通したそうですね。今私たちは他国がオリンピックのために突貫工事でやっと間に合わせていたりすると笑いますが、昭和30年代は日本もそんな感じだったようです。
その新幹線が今、函館から鹿児島中央までのび、日本海側にものび、日本国は実はそんなに狭くない国土をつなげてきたんだなあと思います。
しまなみ海道はその土木の精粋を、ぎゅっと凝縮したような土地でした。
こうやって日本が作り上げてきたインフラのおかげで、今日本の人も、そして世界中の人が旅をしています。
よくXでは「遊んでいるのは外国人だけ」みたいな自虐的なポストがありますが、私の実感はそうではありません。
京都とか行ったら違うのかな、と思いました。たしかに京都駅からはたくさん外国人が乗り込んできました。でも日本人もたくさん遊んでいます。琵琶湖に行くのか、ロードバイクを抱えた人たちもいました。
旅行者の圧倒的多数は、まだ日本人です。
「遊んでいるのは外国人だけ」と言われると私が思い浮かぶのは、私たちがいっていたころのタイみたいに、本当にホテルには外国人しか泊まっていなくて、みたいな状態です。
内外価格差が行くところまで行くと、そうなります。
でも今の日本はまだそうではないです。
ただ、タイの人が日本に遊びに来るようになったようです。
この国の効率とか清潔さとかインフラ整備を知ってくれるといいなと思います。
それは日本人が代々守ってきたものなのです。
海外からいっぱい人が来るようになったのに、日本人が外国旅行をしなくなったという話がXで出ていました。
私などはコロナ前まで、30年以上連続で必ず海外に出ていましたが、たしかに、2019年を最後に行っていません。最初はPCRがめんどくさくて行かなかったのすが、制限が外された今も、「そろそろ行こうか」という話にもなりません。
なんでかな、と考えてみたのですが、理由はいくつかありました。
1 行けない間に日本の良さに目覚めてしまったこと。
たとえば韓国人は今、日本人より海外旅行しているそうですが、韓国は土地が限られています。奄美とか沖縄は韓国にはありません。よく知りませんが、地図を見る限り瀬戸内海みたいなところもなさそうです。日本は国土が南北に伸びていて、地形にバラエティがあり、列島内で十分に色々な風土が楽しめます。交通網も発達しています。
2 🚴旅行に目覚めた。
一日走ったあとに欲しいのはお風呂とおさかな。ということは日本最高です。よその国は食べ物が違ったり、お風呂が乏しかったり、熱いお湯が出なかったりします。
3 為替。
昔のレートを知っていると、今がいかに不利かわかって行く気がしない。インバウンドの人たちはこの逆で日本にやってくるようになりました。
それに加え、今回思い出したのですが
そうだ、あのコロナ禍で、「今後しばらくは日本にお金を使おう」、と思ったのでした。
医療が傲慢にも観光や飲食などの産業を「不要不急」と決めつけたとき、腹が立って腹が立って仕方なかった。なぜなら私に言わせれば、医療こそ不要不急で、自分の健康維持に役立っているのはむしろ観光や飲食や一次産業だからです。
医療は不要不急なくせに毎月保険料取っていって、しかもいざとなると発熱患者すらみないのです。要するに、不要不急というより反社会的組織に近いのが現代日本の、国民皆保険下での医療の実体です。
今回の旅でも、ケガしないように、ケガさせないように、それを祈りながら走りました。もちろんケガはうっとうしいですが、それ以上に、医療に世話になるのがいやだったからです。弱ったときに威張られながら治療されるのとかいやだし、しかも不調になると7割も他人のお金を使うのが国民皆保険です。ケガや病気は、他人に申し訳ない。仕方ないときは仕方ないけど、できるだけ他人にはたかりたくない。だから、無事に帰ってこられて本当によかったです。医療の要らない日々に感謝です。
今般解散総選挙を迎え、社会保険料が大きなイシューになると思います。個人的には今回は、社会保険料の削減以外はどうでもいいです。ワンイシューです。裏金とかなんとか関係なく、今度は若者の手取りを増やす=社会保険料を抑える方針の政党に投票するつもりです。
選挙はたまにしかないけど、他にも社会保険料を使わない方法はあります。それは、医療なしに暮らすことを覚えることです。
逆から発想すれば、「健康維持のためのお金を医療ではなく他に使う」ということかもしれません。
今は逆に、不健康になるためにお金を使い、弱ると最後は他人負担の医療に健康観を丸投げしている人が多いように思います。
社会保険料を食わずに努力をしている高齢者もいます。
スポーツジムも高齢者がいっぱいいます。
川沿いも高齢者が一生懸命ウォーキングしています。
医療依存ではない高齢者はたくさんいます。
自分はその一人になりたいと思います。
一方で若くてもすぐ医者のところに駆け込む人はいます。
この国の問題は老人ではなく国民皆保険が可能にしてしまった医療依存です。
そのためにも安全に気をつけながら、また自転車を練習し、分相応などこかに走りに行って、美しい景色、美味しい食べ物、親切な人たちにこそお金を使いたいと思いました。
そして自分は国内を楽しんでいるから勝手なのだけど、できれば若者には外を見てもらいたいという気持ちもあります。
なぜなら違う文化に触れることは、本当に勉強になるからです。
私が自閉文化を学ぶことができたのは、若い頃に異文化に触れてきた経験があるからです。
円が安くなって、海外の大学生くらいの若者の集団が来るようになりました。
それくらいの体験を日本の若者が積めるような国であるために、やはり健康観を底上げして社会保険料を削減しないといけないと改めて思った旅でした。
読者のたんぽぽさんのお子さんは、元発達障害児でしたが、奨学金を取って海外留学。今は就活されているそうです。
そういう若者が出てきたことも、花風社をやっていてよかったと思うことの一つです。
今回体力だけではなくお金も結構使いましたが
交通費も宿代もその他遊興費も100パーセント自腹です。
医療に頼らず、自腹で健康維持できる大人が増えるといいですね。
金は天下の回りもの。
回す一人になることが社会人になるということ。
そして治るということかもしれません。
生涯医療と縁が切れないとしても
できるだけ医療に自由を売り渡さずに済む。
そういう若者を増やすためにまた仕事していきます。