治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

詰めの甘い人の言いがちなこと

2012-01-31 08:26:14 | 日記
感覚統合とかを療育センターで実施され

「なんだかわからないけど、身体を動かせているからいい」
「大人と遊べているからいい」


っていうのは詰めの甘い人の言いがちなこと

う~んと、別の言い方をすると「知的に貧乏くさい」。

先日こうままさんが岩永先生の講演に出かけたらしく

感覚統合は対人関係を促すのね
というブログを書いてらしたけど
そうですよ。
岩永先生はね
「自閉症のお子さんがお母さんを後追いすることを目標に」療育してらしたのよ。
センターで見る、お母さんのさびしそうな顔をうれしそうな顔に変えたい。
それが先生のお仕事の原点なのよ。

たとえば「すくすく」の桃ちゃんママは
療育センターの先生が「三輪車に乗れますか?」としつこく聞いてきたのを不思議に思い
どういう能力が三輪車に必要なのか勉強した。



三輪車に一生乗れなくても困らないけど
三輪車を乗りこなすのに必要な身体機能が備わっていないと生活が不便。

桃ちゃんの例なんかは、本当に典型的に
「早いうちに手をかけたから社会的にメリットがあった」例だけどね。

まあともかく、子どもが療育センターでブランコやボールプールで遊んでいるのを見てその理論を学ぶだけの勤勉さがある人は
生活の中にセンソリーの概念を取り入れていて
子どもがどんどんよくなっていく。

「なんだかわからないけど遊んでいるからいいや」で済ます人と決定的にそこが違う。

っていうことをこの前からつらつらと考えていたら
昨日藤居がムーブメントの本に関してオバカレビューを書いていて
そこにまさに「理論抜きで遊びを」という論が展開されていたので大笑いしました。
発達しないにはワケがある!

え~と、藤居が教育方針をけなした栗林先生はムーブメントの第一人者で
もちろん理論も実践も行っている。
久里浜に留学時代も勉強されていたし
今は北海道内を週末ごとに回ってムーブメントを広めている。

理論を勉強しないとね、皆さん、
日常生活に応用できないですよ。
そしてもったいないです。

知的に貧乏くさくて、勉強を怠ると
せっかく税金をかけてもらった療育センターの経験が活きなくて、結局もったいないのよ。

藤居のレビューはそういう意味で「税金泥棒」とも言えるからリンクしないけど
興味のある人は砂のお城に訪ねていって、そのオバカぶりを笑ってあげてくださいませ。

そういえば昨日、神奈川県庁で被災地のがれき受け入れ処理に関する住民説明会が開かれたみたい。

ニュースで見て、こういう情報をわざわざ見つけてきて、出かけるのって、反対派が多いんだなって思った。
都市部が助けなくてどうするんだろうまったく。
いやなら反対派が神奈川県を出て行けばいいのに。受け入れを表明している都道府県は十一しかないんだから。

その反対派の一人が自宅で食事している風景が移ってたけど
五歳の子が握り箸で、お芋を突き刺して食べていて
その横で憂鬱な顔した父親が微量の放射性物質を怖がっていた。

認知がゆがんでるんだなあと思いましたですよ。

まずは五歳で握り箸の子どもをどうにかしたらいいのに。

私は啓蒙運動的なことを否定しないけど
どうもそっち方面に走る人って
身近なところで対応を怠る人が多いね。

まあ人間、エネルギーは有限だってことだろうね。

アンチも読んだほうがいいね。

2012-01-30 11:44:11 | 日記


今朝起きたら、「『自閉っ子と未来への希望』もっと早く読めばよかった」というついーとがあり御礼を申し上げた。



猿烏賊さんたちも読むといいね(別につぶやいた方はアンチではない)。
アンチなみなさんは、ケチで不勉強な人が多いので、まあ読まない。
そしてよく知りもしないのに、花風社の路線を支持している人を無知蒙昧呼ばわり。
あのね、君たちより教養もやる気も意欲も上だよ、うちの本を喜んでくれる読者の皆さんはね。
ちゃんと敵情視察してから言わなきゃだめじゃん人として。

でもまあ仕方ないよね。
そういう脳みその余裕もないんだろうしさ。

私は脳みその体力がだいたいいつも余っているので
毎日朝起きて、橋下徹大阪市長の夜中の連続ついーとを楽しみにしてきた。
「徹」は鬼門なんだけどさ。

で、それに反論する「週刊文春」の記事も楽しく読んだ。
まあ要するに、相撲見てるみたいなもんかな。

じゃないよね。
橋下市長の改革が成功するかどうかは、相撲の勝敗とは重みが違う。
今後の日本の行方にかかわる。

という風に考えていたところ、なんと「天敵」であるはずの文春から橋下市長が本を出したので買って読みました。
ずっと前に渡した原稿を突如出すことにして(選挙に勝ったから?)加筆したらしい。





アンチも読んだほうがいいね。


大阪っていうところに、私は基本的にあまり興味がなかった。
忌避する気持ちもないし憧れもない。
ただ花風社が編集プロダクションから出版社になるとき、わりと必要があってひんぱんに足を運び
それまで抱いていたイメージとは違って一地方都市だな、とある種がっかりしたのを覚えている。

大阪が一地方都市であってはいけない、というのが橋下市長の主張。
今回この本を読んでそれに納得した。
大阪は都市間競争に勝ち抜ける存在でなくてはならない。そのための大阪都構想。
都市間競争ったって、ライバルは神戸とか京都とかじゃないですよ。
上海、ソウル、バンコク、パリ、ロンドン、ベルリン。
そういう都市に今伍していけるのは東京だけ、っていう状況があかんとおっしゃる。

そのとおりだと思うよ。

一億三千万の人口。五百兆のGDP。
南北に三千キロ伸びた国土。
その国に、大都市が一つでいいわけがない。

というわけで、元々は教育改革とかそういうところから興味を持った私ですが
この本を読んでわりと納得しました。
大阪を応援します。
手初めに行こうかな。三月あたりに。う~ん、大阪府立体育館でなんかイベントやっている気がするぞ!

でもね、この本を読みながら
「同じ政令指定都市だけど、うちらのほうが100万人ほど人口多いけど、同じように区長が公選じゃないけど、横浜市は違うよね~」
「二重行政ここまでひどくないよね~」とか思っていたんですけど

この本の最後のほうに、横浜市に関する分析も出てきて、それがクリアで

「いやいやごもっともです」と思いました。
横浜市民も読んだほうがいい。

そう思いながら書店を歩いていたらこんな本が目に付いたので一瞬遠い目になって思わず買いました。



今はこれを読んでますわ。

これはね、政治と報道の関係がわかって面白い。
中田氏にはまた頑張ってほしいな。

横浜じゃないところでね。

来ないや(^。^)

2012-01-28 08:48:15 | 日記
さて、世に高機能であるがゆえに色々なサービスにたどり着けない親御さんは多く
その方たちは「早めに手をかけたら将来社会に恩返しできるのに」とおっしゃる。
私も、もっともなことだと聞いてきたけれども
そう言えば学校文化の中に「社会への恩返し」という視点への忌避感、反感があるのなら
親御さんのこういう思いは空回りになるなと思って
昨日のエントリを書きました。

今日はゆっくり寝ていたら、地鳴りがして起きたよー。
テレビをつけるとたちどころに震源地と震度がわかるのって
誰かがどこかで頑張ってるからですよ。

学校を離れるとたいていの大人は、自分がなんらかの役割を果たしていかなければならないことに気づく。
そのとき学校って妙な場所だったなと違和感を覚える。そういう違和感とともに生きている社会人は多い。
そういうこと書いたつもりでコメント待ってたんだけど

一個も来なかったわ(笑)

納税額と受けるサービス

2012-01-27 07:20:40 | 日記
さて、1月24日の「療育マネー」の記事にあやみさんからいただいたコメントをもとに今日の話を展開していきますね。

私からのレスの中にも書きましたけど
一般家庭の場合、まず間違いなく行政から受けているサービスの対価のほうが納税している額より多いはずです。

これは教師だってそう。
いや、給与が税金から出てる、とかそれは労働の対価として度外視してもですよ。
教師だって道路を使ったり、落し物があったら警察にいったり、子どもが学校通っていたり、高齢な親がデイケアに通っていたり、一家で健康保険を使っていたりするんですからね。

それでも戦後、大戦への反省を言い訳に、国への貢献をいけないものとみなし、国に不満をぶつけること、国にたかることをひたすら教えてきたのが教育現場。
まあ大雑把に言って私はそう見ています。
共同体への感謝は教えない方針のようです。

そして教え子の自立を望んでいたとしても
それはあくまでその子が輝くため。
いや、これに不同意ではないですよ。輝く子が増えれば増えるほどいいでしょう。
けれども自分が育ててもらった共同体に感謝し、お返しするという発想は、どうもお嫌いなようです。

あやみさんは

=====

ただ、せっかく、多くの予算をかけてくれるのなら、もう少し有効に活かして欲しいなぁとも思います。
特別支援教育はうまく機能してない気がします。幸い我が子は恵まれた学校に通えてますが、格差も大きいですし、本当の支援教育になってほしいです。

=====

とおっしゃっていますが、そもそも教育現場には、予算を勝ち取る意欲はあっても、将来予算を回せる子に育てようという気はなかったのではないでしょうか。
健常児であっても。

そこに堂々と弱者扱いできる子たちが大量に生み出されたのが発達障害という概念。
これはもう、将来できるだけ国にたかれる人間に育てても、どこ恥じるところないでしょう。

っていう発想なんじゃないかな、と思うのですが。

もちろん全員が全員そうじゃないし(私がつきあいのある範囲でも)

先生方からの反論も期待して、こう書いています。

以前は知的障害のない・軽い発達障害の子たちは
「しつけの行き届いていない困った子」とされてきました。

今は「教えてもできないから守るべき子」って思われているとしたら

それは一つの誤解からもう一つの誤解へと移っただけであって
理解が進んだわけじゃないですね。

先生方は、「実は私たちは共同体に守られている」
「力のある人はそれにお返ししなくてはいけない」という考えが
先の大戦以来、心底からお嫌いなのかもしれない。

そして外国人と外国語でケンカをしたこともないくらいドメスティックな人生を送ってきながら
よく知らない外国をうらやみ、それを子どもにも植え付けているかもしれない。

でも教えてあげてほしいですね。

あやみさんのおっしゃるとおり。

=====

通級指導教室に通えることも、病院にかかれることも、その他諸々の支援で育ててくれた社会への恩返しは「働ける大人」になることだと思うのです。そのことは子ども自身も知っておく方がいいと思います。差別したり理解のない人もいるけど、社会全体からは大事に育てられたことを。

=====

そう、社会全体は、大事に育てているっていうことを。

その社会に世話になるときは世話になって
できるときは恩返ししようよ、っていう発想。

やっぱりいけないことなのかな?

教育現場の風潮に厳しいと思われている私ですが

先生方からの反論を期待しています。

楽しみだな。
反論くるかな?

それとも

「死んだふり」しますか?

(おお、これだから「挑発的」って言われちゃうんだな。ベムに。
ベムは千葉県発達障害者支援センターへのメールに、私のことを挑発的って書いてましたよ。もっともベムを挑発した覚えはないんですけど。存在知らなかったし(笑)。)




改善を目指そうという報道

2012-01-26 08:32:12 | 日記
さて、二つ前のエントリ「療育マネー」にトニママさんからいただいたコメントの最後のフレーズ、これです。

=====

浅見さんが指摘されているように、保険や予算が絡んでいるので親は診断名にこだわるより子供の症状を改善する方法をゲットすることが先決だとニュースで言ってました。私もそう思います。

=====

DSMの改変に伴う自閉症の範囲が狭まりそうなことに対する方法として、こういう風にニュースで言っているとのこと。

う~ん、日本だったらここで「支援団体」の情報統制が入るんじゃないかしら。

「生まれつきの障害だ! 治ることはないんだ!」って抗議するんじゃないかしら。

「治ると喧伝することで、苦しむ人がいる!」と。

治らないと喧伝することで、機会逃す人もいるんだけど。
立場が偏ってるんだよね。別にいいけど。
受け止めるほうが「あれはああいう立場の人たちの主張なんだ」って脳内変換すればいいだけ。

私が「汎支援業界的な団体は今のところないよね」って思っている理由はそれ。

アメリカの支援団体は、ファンド作って治療研究に資金提供したりしているけど
日本ではそれやってるの国だけでしょ。
せっかくの税金使った成果もなかなか発表されないんじゃないかしら。この風潮の中では。

IEPだって、それによってメインストリームにどんどん戻していくこと面もあることはあまり知られていない。
でも日本でもそういう人は増えてますよね、実は。
特別支援教育の導入によって
知的障害がないのに一生障害者として生きていく道を選ぶ親子もいれば
支援級から普通級に戻る子もいる。
不思議とそういうケースは話題にならない。

ていうわけで
アメリカは」「改善を目指そう」という報道がされるだけで風通しいいなあと私は思いました。
こういう報道すらされないことによって不利益をこうむるのは
やればよくなる人たちと、そして一般社会ですね。
そういう人の利益まで考えないのが圧力団体。

でもさ、本当に予算がほしかったら

「治らない! でも支援を、予算を」っていうより

「よくなりますから予算を」というほうが通りやすいと思うんだけど

日本でそういう動きにならないのは、遅れているのかそういう文化なのかわかりません。

まあ堂々とアメリカと同様貿易赤字を達成したんだし

そろそろ実利を訴える時期がきたんじゃないかしらね。

保護者のほうが動き早いよね。

これから家庭でできる療育に動く人と、そうじゃない人がはっきり分かれてくるでしょうね。

発達障害者支援と社会正義

2012-01-25 12:20:01 | 日記
発達障害者が他人に関する虚偽の情報をネット上で展開し、方々に郵送している。
そのときに「自分こそ本物の発達障害者である」という証拠に医師からもらった診断書を同封している。

その医師がこの行為を知っていたこと。
そして何も手を下さなかったこと。
そればかりか見るに見かねて介入しようとしたほかの支援者を止めたと知った私は、医師に尋ねた。

「こういうやりたい放題を許す。それが『ありのままを大切に』なんですか?」

「これが治療ですか?」

私はまじめにきいていたのだ。
もしそうだとしたら、発達障害者支援っていうのは社会正義と両立しないんだな、と思って。

私もたった一度の人生の、大事な時間を仕事にあてている。
お金もエネルギーも投資している。

その対象が「社会正義と両立しない」ものだったら私はやりたくない。

そう思ったのだ。

私の仕事は支援ではない。言論だ。
もし発達障害支援が社会正義と対立するものならば
むしろ「発達障害者支援はやめろ」と主張するほうに回る。それが私の社会的な役割である。

もちろん医師からは「治療上の方針については答えられない」という決まりきった答えしか返ってこなかったけれども
それでも私には収穫だった。

その事実をここに書いて、支援者の実態を知らせることができるからだ。
支援は選ばないといけない。
支援者の思うとおりの世の中にはならない、と読者に知らせることができるからだ。

それ以来私は、支援者の話を聞いたり文献に触れたりするたびに

「この支援者は社会正義と支援の両立を意識しているだろうか?」と考えながら情報に接している。

社会正義に反する支援など、実現するはずがないからだ。

いただいたコメントに触発されて
ふだん考えてきたことを書きました。

皆さんも「社会正義」という視点から支援者を再評価してみるといいかも。

本物は、存在する。

ありがたいことですね。

療育マネー

2012-01-24 09:41:00 | 日記
こんな記事見つけました。

話題になりつつあるDSM5の自閉症診断ね。
ぐーっと狭まるので
サービスを受けられない人が増えるだろうと。

そりゃ予測できた揺り戻しでしょ。

だからこそさあ

そういう時代の波に翻弄される幅を少なくするため「修行」が大事なわけで。

ともかくこの記事のサム君。
生後26ヶ月でPDD―NOSの診断がついた。

そこですぐに早期介入サービスを受け(これは公的な療育ね)

保険会社が作業療法をカバーしてくれて感覚調整障害及び微細粗大運動障害を解決。
あと、コミュニケーションに関する療育と薬も保険でカバーできた。

これはみんなが一律に保険に入っているこの国ではわかりにくいかもしれないけど
格差社会のいい面ね。
いい保険に入っていれば、色々なサービスをカバーしてくれるということ。

そして学校では加配がつく。
その費用年間3万ドルに達することも。
アメリカの面白いところって、保護者にこういう金額ちゃんと明らかにするのよね。
「こんだけかかってんだぞ」と。
まあ恩着せがましいけど、不満は減りそう。
成人に対しても「あなたがたのためにこれから何千ドルかかります」みたいなことをちゃんと通知するみたい。
直接本人に渡る年金だけが福祉予算じゃないからね。
年金の少なさを嘆いているだけより、自殺する人は減りそうね。

まあ日本でそういうことやったらまた顰蹙の嵐なんだろうけどさ
羨ましがる前に、そういうことも知っておいたほうがいいと思うの。

でも親御さんも自腹切ってます。
ニューロフィードバック、乗馬セラピー、リスニングセラピー、そのほか諸々。

お母さんはこれを「cost-sharing arrangement」って呼んでる。
公的、民間の保険、親の自腹。
方々が療育マネーを出し合って
こうやってサム君の修行を支えてきたのね。

現在13歳のサム君は目線が合わなかったり手をパタパタしたり
ひと目で自閉症とわかる男の子だけど
学業は普通にできている。最近はフランス語を習いはじめて98点と100点だった。

でもね
新しいDSMで自閉症の基準を満たさない人が増えれば
公的サービス及び民間保険の両方で零れ落ちる人が増える。
そうしたら結局は納税者が増えず、高くつくんじゃないかというのがお母さんの主張。

それはもっともだと思うと同時に、わが国のあり方を振り返って見ると

「支援」の名の下ニート製造になっちゃってたり、そうじゃないところを目指そうとしている人がいたりすると足引っ張ったり、まあそれ以前の問題だわね。
余分の予算をかけて、将来福祉で抱える人材を増産中。親もそれを望んでいる。
こういう人ばっかりじゃないけど
こういう人も多いのが現状。

あ、それと

リンク先の「Is it time to abandon the DSM?」っていう記事も面白いよ。

要するにアメリカの医療システムの中で、薬屋さん、保険屋さんが便利なように作られた基準なのだから
別に日本で個々に修行している人が萌えることないんだよね、DSM。

いや、プロはもちろん勉強必要なんだろうけどさ。

今回の改変だって
増えすぎた福祉教育予算削減が目的なんでしょ? 違うの?

だから過度に当てにすることないんじゃないの?

修行の目安になる特性をつかむにはむしろこっちが役に立つよ。



自然不自然の考え方

2012-01-23 10:05:11 | 日記
野田聖子議員とお子さんのテレビ出演が話題になっている。
私は見ていない。興味がなかったし。
私はこの問題、最初の最初からちょっとつかみきれていないのだ。

う~んと、私はこの本にも書いたけど



こう見えて結構受身な生き方の人なのですね。
だから野田議員のように、出産の機会にたまたまめぐり合わなかった方が
「どうしても産みたい」っていう気持ちがどうしても理解できないのだ。

子どもがいなくても、充実した人生を送ることがじゅうぶんできる方がなぜそれほど実子を望むのか。
名門の生まれゆえなのかもしれないけど。
そこからがすでにわかんないんですね。

で、高齢出産ってリスクが大きいんだな、って言われれば「ああ、やっぱりそうなのね。終わり」みたいな感じなので。
それ以上の興味が持てないのね。

そういえば私は夫に「私が他人の臓器をもらわなければ生きていけないような状態になったら、もう見送ってね」と頼んである。
命はしょせん借り物。時期が来たら天に還す。津波にさらわれる命もある。
他人に与えられた臓器をもらってまで生き延びる必要はないと思っている。

「その代わり脳死になっても臓器提供はしないから断ってね」
そうはっきり告げてある。
どうして?
与えられた臓器で勝負して死んでいくのが人として自然のような気がするからだ。
それに私の臓器なんて、使いこなせる人もあんまりいないかもしれないしさ。
私の臓器は、私が責任持って天にお返しします。

じゃあどうして私が「発達援助」ということにこれほどこだわるかというと


「一生治らない」と決め付けるよりそっちのほうが「自然」に思えるからですね。

神田橋先生の本を持っていらっしゃる方は
P316をもう一度読んでみてください。



「脳は発達しようと懸命に~」っていうくだりね。

こっちが「自然」に思えるからなんです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

新大関場所に十一勝。

直近の場所計三十三勝達成。

素晴らしいのではないでしょうか。

2月の昇進披露宴には、きっとものすごくたくさんの方がいらっしゃるのでしょうけれども

一瞬だけでも直接「おめでとうございます」と言えたらいいな。
新大関に。

楽しみです!

死んだふり系一家の悲劇

2012-01-22 10:08:34 | 日記
先日FBで話題になっていた判決。
子どもの発達障害を苦に、子どもを殺した母親(無理心中未遂)に懲役五年の判決

人一人死んでいるにしては軽すぎない? っていう文脈で語られていた。
発達障害であるから、命が軽いと判断されたのなら、それは人権侵害だ、と。

で、それ以来この事件に関しては気にしていたんだけど。

公判の様子が出てました。

これでわかったのは
こういう事件が起こるべくして起こった死んだふり主義の一家だったんだなあということ。

いいですか。
この母親は発達障害の子に手をかけただけではなく
小学生のその子の姉にも手をかけている。

抵抗されて未遂に終わった。

そしてそのことについて
同居の祖父も父親(被害者遺族であり加害者の夫)も本人の前で触れないつもり。
今も母親が「病院に入っている」「連れ戻してきてやる」と言っている。

そして「一刻も早く一緒に暮らしたいから執行猶予を」と主張。

小学生になったら、母親に殺されかけた記憶なんて残ってるよ。
残らなかったらそれはまた問題。

その記憶に落とし前をつけてあげようともせず
ただ母親を取り戻そうという考え。

五年が量刑として重いか軽いかはわからないが
とりあえずこの母親は実刑判決を受けた。

裁判官の言葉。

「あなたがやったこと、罪の重さを考えて、きちんと罪を償ってほしい。長男については冥福を祈って、長女に対してもきちんと謝った方がいい。うやむやにあなたたちで終わらせるのは良くない」

この一家にとっては「うやむや」こそが最大の戦略なんだろう。
そういう戦略を選ぶ一家、あるいは社会的なかたまりがいるんだろう。

でもその「うやむや戦略」は社会正義とは相反する。
なのにあくまでうやむや戦略をとろうとするのが、性格的なものなのか、勇気のなさなのか、わからない。

でも私はこれが「死んだふり」だと思うし

「死んだふり」は世の中をダメにすると思っているわけです。

母親が実刑判決を受けたのは、
長女の命を重んじたからでもある。
公権力は
母親が長女を殺しかけたことを「いけないこと」と判断したのだ。

そういう判断が、社会正義を支えている。

それをいずれわかってほしいなあ。

「発達障害は治りますか?」を手元に持っている人は
P316の神田橋先生のあとがきを読んでください。

こういうことを言える医療者が増えるだけで
防げる悲劇があります。

そして
この母親が
猿烏賊情報に触れていなかったことを祈ります。


身体は知っている

2012-01-21 10:27:08 | 日記
初雪の朝。
ちょっと風邪気味なことに気がついた。
私は風邪がまず喉に出る。

今日はそれなりに忙しい。
原稿もあるし
電車が止まらなければ約束していたこのパーティにも行きたい。

相撲もあるし。

とりあえず朝から原稿に励み
昼にはまたあったかいものを食べた。

そして、以前喉が痛かったとき病院で処方してもらったけど余った薬をのんだ(よい子は真似をしないように)。

すぐにおなかがいたくなった。

そうだそうだ。

神田橋先生は、誰にでも彼にでも春ウコンを勧めるわけじゃない。
必要な人にしか勧めない。
そして「必要なくなったらほしくなくなるから」とおっしゃる。

あと、せっかくだからと家族がのんでも
不要な人がのむとすぐ身体から出て行くからね、とおっしゃっていた。

ところが、お子さんにあまりに著効するので
思わずのんでみた、というお父さんを私は二人知っている。
二人とも医療者だったのだが
それだけに、実験したかったのかもしれない。
見事にお二人ともお下しになられたそうだ。

身体はなんでも知っているんだよなあ。
頭が知らないこと。


まあともかく、仕事して、運動するかどうかと身体に聞いてみて
運動することにした。

幕内後半をトレッドミルで走りながら見た。

これは以前はよくやったけど、最近はめったにやらない。
心拍数が上がりすぎるから。

稀勢の里の取り組みのとき、166まで上がったのでこのときだけ速度を落とした。
家で見るとき、キセの取組のときだけは正座で合掌して見るけど、昨日はウォーキング。

そのまま結びまで見て、ばるたんのインタビューも見て
シャワーを浴びてパーティ会場に向かいました。

画伯も書いているように
肉肉肉+赤ワインっていう感じのメニュー。

身体があったかくなったよ。

それでみんなで楽しく踊ってね。

でも十一時には寝たかったから、十時に中座させてもらった。

私は結構無頼そうに見えて、この辺の実行機能は結構確かなのよ。
だから仕事してられるんだと思ってる。

というわけで風邪はいつもの通り数時間で治したので
今日も朝から仕事しています。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

新大関として二桁。最低限の仕事はできたなあと思います。
でもあと二日精一杯応援しますけど。

ばるとはまだまだ荒削りだから
どんなに伸びるんだろうと思うけど

どうしても大横綱になるイメージも湧かず

どうなるか楽しみにしています。

まあ味噌つけちゃったみたいだけど。

それにしても一般社会より一足早く市場開放した大相撲は
ある意味これからの日本を表していると思うよ。

日本にまだまだ経済力があるから
日本より物価の安い国から選りすぐりの人たちが来る。
その人たちが上位を占める。

なんとか割って入れるのは、稀勢の里や琴奨菊。
物心両面豊かに、きちんと育てられた子。

そういう時代になるかもね。