治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

使う言語は違っても

2011-11-30 12:33:00 | 日記
もともと翻訳畑から出版の世界に入った私。

発達障害との出会いもね、そこを通じてだし。

今はASDの世界と定型の世界の橋渡しが仕事だけど
昔は違う言語同士の橋渡しが仕事だったのよ。

今回、ついったーを通じて、日本語じゃない言語を主とする人たちも
胸をワクワクさせながら私たちと同じように大相撲を楽しんでいることを知り、うれしかったです。

そしてネット上で次の記事を見つけて

メインで使っている日常言語が違っても、これほど気持ちが同じ人がいるんだなあと感動し
さっそく連絡を取り、翻訳・転載の許可をいただきました。

もう言葉に尽くせないほどうれしいし、これからの期待も大きいのですが

このChris Gould氏の言葉をお借りして、私のお祝いの言葉にしたいです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

一番新しい大関への公開ファンレター イギリス人の相撲ファンより

稀勢の里関へ

まずはお祝いの言葉を言わせてください。大関昇進、おめでとうございます。
われわれ相撲ファンは、少なくともここ四年くらい、この日がいつか来るだろうということを、話題にしてきました。
誰を贔屓にしている身であっても今は、あなたがこの難関を乗り越えたことに心を躍らせています。

どの取組にも気を抜かず、真っ向勝負で獅子奮迅。
それがあなたの相撲の大きな特徴です。誇るに足ることです。
あなたが土俵の中で真摯に闘っていることを、疑う人は誰もいません。

悲しいことに今年、力士の中にも八百長、あるいは「わざと手加減した相撲」に安住してきた力士がいたことが発覚しました。
けれどもあなたは違います。徹頭徹尾「闘う」姿勢を貫く。
だからこそ力士たちの間でも、大いなる敬意を得て来ました。
その敬意にあなたは値します。その姿勢を保ったまま、大関昇進というこの日を迎えた今は、特に。
あなたは若き日の若の里を相手に部屋で稽古を積み、朝青龍、白鵬、琴欧州、把瑠都と毎場所のように激しい闘いを繰り広げるという、厳しい修行を積んできました。
そして、師匠の死という大きな悲しみを乗り越え、この勝負の本場所に堂々と、二桁の星を挙げたのです。

けれども、言わせてください。
もっともあなたには、これまでの大関の誰にもましてよくわかっているようですが。

人々があなたにささげる敬意、そして今自らの手で見事につかんだ成功には、「責任」が伴うものだということを。

大関は正式に言うと、角界の最高位です。
角界で上位四つの地位をいまだに「三役」と呼ぶのは、横綱は大関の延長に過ぎないからです。
あなたの相撲が白鵬のそれに匹敵しないとしても、威厳では同格でなければいけません。
たとえ得た賜杯の数がモンゴル人大横綱に敵わなくても、あなたの風格は横綱に匹敵します。

大関になるということは、みんなでぬくぬくとやっていくためにそれとなく察して助け合う「仲良しクラブ」へ入会することではありません。
これまであまりに多くの将来を嘱望された力士達がこの罠にはまってきました。彼らのせいではないこともあります。けれどもその結果、相撲への信頼は大きく損なわれることになりました。
けれども稀勢の里関、あなたはそういう器ではないはずです。これまでの道のりの一歩一歩で、それを証明しています。

大関になったという事実を大事に抱きしめてください。輝かしい未来へのチャンスととらえてください。
そして大関になったその日から、他の大関を凌ぐ存在を目指し、さらなる高みに向かって大きな歩みを始めてください。
国技である相撲が、今こそ必要としている日本人の誇りを取り戻すためにも。

稀勢、あなたは相撲の世界に生きた中で誰よりも誠実な力士です。
そして今の理事長も、そういう力士でした。
目先の自分の利益ではなく、つねに伝統に忠実であろうとすれば
あなたは最後まで、支持されるでしょう。
あなたは大きな、大きな飛躍の機会を目の前にしています。
私たち相撲を愛する者たちは、あなたを応援しています。

大関という地位を、よみがえらせてください。
爽やかな風を吹かせて。

頑張れ! 稀勢の里!

Chris Gould

原文はこちら

EBS(エビデンスベースドなお相撲)

2011-11-29 10:02:55 | 日記
昨日になって、突然私から「あれどうなりましたか? これどうなりましたか?」のメールを受け取った皆さん、すみません。
15日間、そっちに脳みその振り分けが出来ていませんでした。

九州場所が始まる前から、わかっていたのです。
11勝4敗が大関昇進の目安。
ストレートに勝って11日目に決まる、というのは考えにくいので
要するに二週間は引っ張られるんだろうな、と。脳みそ的に。

千秋楽に合口の悪い相手が想定されるし
ドキドキドキドキの日々が続くだろうなと予測が最初からつきました。

この状況が、なるべく仕事の邪魔をしないよう
最初から不安対策を考えることにしました。

11勝っていうことは要するに、4敗までは許されるわけです。
そう考えることにしました。

そして何をやってしでかすかわからない稀勢の里関のこと

これから誰との取組が残ってる~とか邪念でくよくよすることなく
(それでもまあ、11時ごろになると毎日相撲協会のHPを開き
明日の対戦相手を確認してしまうわけですが。ていうか誰かがついったーで報告してくれることも多いし)

とにかくこれを基本方針にしました。

「5敗を喫するその瞬間までは、希望を持ち続ける」

それと、必ず毎日原稿に取り組むこと。

毎日有酸素運動をしてセロトニンを増やすこと。

こうやって15日間を乗り切ることにしました。

同じ稀勢の里ファンの間でも「ああもうだめだ、来場所に持ち越せばよい」
「下手すると二桁勝てなくて白紙に戻るのでは」

という悲観論に傾く人々もいれば

「まだいける!」「いける!」と励ましあう仲間もいました。
私はこっちです。

療育に対する保護者のアプローチの違いと同じ世界がそこにはありました。
ある意味、あきらめてしまう方がカンタンなのです。

「未来への希望」を標榜する立場としては、あきらめるわけにはいきません。

「崖っぷち」「正念場」という報道が出始めたときには
「そういえば私も、何度も崖っぷちや正念場を乗り越えてきたなあ」と思い出しました。
じゃないとこんな零細企業が、今もここにあるわけはないのです。

「私はどうやって乗り越えてきたんだろう?」と改めて考えてみると
そこにあったのは、周囲の応援でした。
そして周囲の応援を呼んだのは、やりぬくという自分の姿勢でした。

きせのんは親方の急逝を乗り越えて、万全とはいえない中で頑張っている。
だから私も応援し続けようと思いました。

十四日目を終えて、「明日勝てなくても昇進?」というニュースが出始めたとき
最初に私は「それはないでしょ。ちゃんと勝って決めてほしい」と思いました。

たしかに相手は苦手だけど、一度も勝ったことがないわけではないのです。
私は去年の名古屋で勝った現場にいたんですから。

でも、親方衆が理由に挙げる
・ここ一年安定して二桁上げている
・姑息な手を一切使わず真っ向勝負

という理由には「そうだなあ」と思いました。
そして相撲部で回ってきたデータを見ても、ここ一年の白星は大関たちより多い。
これも裏づけがあるなあと思いました。

何よりも、汗をふかずに土俵に上ったり、姑息な立合いをしたり、締め込みをきちんと締め込まなかったり異様にゆるすぎたりという細かな画策をする横綱大関陣より、きせのほうがずっと清々しい大関になるだろうなあ、と思えてきました。

そして33勝にこだわっていた自分が
「まるでDSM萌えの人たちみたいだ」と考えるようになりました。

DSMで私たちが普段目にするのはこれですよね。



でも本当はこれは「レファレンス」に過ぎず

本物のDSMはすごい分厚くて、どうしてそこに至ったかの説明が長いんだそうです。
そしてそれは日本語に翻訳されていない。
だけどもちろん熱心な先生たちはそれを取り寄せてつぶさに読むわけですね。

そうすると、レファレンスの来し方がわかるので
逆にあれはこの診断名に振り分けられた、これは今度消えたとか
そういう目先の問題に萌えることはなくなるそうです。
きっと障害の本質をもっと見極められるようになるのでしょうね。

だからネット上でDSMの診断名振り分け萌えして素人と遊んでいるバカ医者は
もともとのその分厚い原書に当たってないのかな、って一部で思われているみたいですよ。

なんてDSMのことを考えていたら

こういう記事が目に入り

=====

審判部の藤島親方(元大関武双山)は「われわれは玄人。彼の内容がどれだけいいかは分かっている。ただの白黒だけじゃなく、胸に伝わってくるものがある」と断言。立ち合いの変化を一切しないあたりを、貴乃花審判部長(元横綱)は「けれん味がなく、真っ向勝負だ」とひたむきな取り口をたたえた。

=====

DSMを丸ごと読んでいるみたいなもんでしょ、親方衆は。
だったらプロの意見を聴けばいいや、と納得できました。
それにひたむきなのは素人目にもわかるし。
だからこそファンになったんだし。

第一これをもう一度やられたら、こっちの身がもちませんわ。

花風社の本を待ってくださっている多くの読者の皆様のためにも
一度で決めてくれて、よかったです。

さて、伝達式を待ちましょう。

3月の大震災のあとの募金活動で
私は稀勢の里関に「大関になってください」と声をかけて握手していただきました。

あとで考えたら、ご実家も茨城で被害が出られたとのこと
お見舞いを言うのが筋だったかなと。

でも一緒に言った画伯も
同じことを言ってしまったそうです。

それが私たちの願いだったから。

通過点に過ぎないとしてもね。

心の支え

2011-11-27 10:23:10 | 日記
皆さん、ダジャレコンテストの応募締め切りは11月30日ですよ。

まあそれだけではなく
感想も色々いただいていますが

一つ今日リンクさせていただきます。

大地君の修行仲間の成人の方がブログを書いてくれました。
大地君のシリーズが心の支えだって。

一緒に頑張る仲間の存在は心強いよね。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

M1。

昨日の夜から色々報道されてますが

勝って決めてください。

突破口って考えれば?

2011-11-25 12:15:18 | 日記
ちゅん平さんが、先日の講演で披露してくれた話なんだが

作業所から一般企業へ移りたい、という希望を伝えに最初ハローワークの障害者担当者を訪れたとき
「けんもほろろ」な対応を受けたそうだ。

私はこの話を聞いたとき、「これまで手帳を持った人がたくさんやってきて、就労してはうまくいかない例を一杯見ているから、最初キツメのこと言うんじゃないのかしら」って言ってました。
同じ意見は現場経験者からも上がってきたらしい。

長年の不幸な経験のせいで
支援者のほうも色眼鏡で見ちゃうのよね。でもまあそれって、学習能力の裏側なんで、仕方ないです。

一方で、読者からのお尋ね。

長年膠着状態にある成人を支援している方。

「発達障害は治りますか?」を読み、保護者にも読んでもらい
神田橋先生の外来に行きたいのだが、何しろ遠方。
一度行ったら何度も行ける距離じゃない。



たった一回なんて、行っても無駄なのでは?

そう思うのも無理はないですよね。
これまで医療にかかって、それでも膠着してきたわけですから。
これもまた、学習の結果。

でも私がご縁を得てからも、神田橋先生のところに出かけた人たちが
一回でがらっと変わるのを何度も目撃していますので

しかもそこで与えられたアドバイスが実に理論的なので

私の立場としては、そうお伝えするしかないんですよね。

白くま母さんは、神田橋先生にじかにお目にかかったことはないけど、
そういう先生がいることは、信じられるらしい。
医療の現場には時々そういう先生いらっしゃるようです。

だから発達障害じゃない分野では、スーパードクターっているらしいし
(発達障害でもいるのかもしれないし。神田橋先生のもとには、いつも陪席の先生がたくさんのようだし)

作業所から企業に移るっていうケースだって、別にちゅん平だけじゃないよね。
先日も読者から、うちの子もそうだった。「自閉っ子的心身安定生活!」を重ねながら読んだ、というお便りをいただきましたが

レアなのかもしれないけど

でもそれを猿烏賊風味で「生存者バイアス」とか例外方面で考えるよりも

「突破口」方面で考えればいいんじゃないのかしら。

You could be one of the survivors.

経緯を知ってみると
神田橋先生のところに出かけて、一度で大きく立ち直る人たちをプラセボのみって決め付けるのは不勉強にすぎるよねって思うのよね。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

よく残したよね(ものは考えよう)。

あと三日、堪能させてもらいます。

正念場正念場とマスコミは書くけれど
そんなものは誰だって経験するんだし。しかも何度も。

ただの通過点です。

頑張れ稀勢の里!

私のコーピング

2011-11-24 10:26:27 | 日記
大地君の本の発売当日、待ちきれなくてお店に駆けつけ
まだ店頭に並んでいないのに、奥から出してきてもらって買いましたというお便りをいただきました。
そして車に乗って、すぐに巻末のマンガを読み
涙がこぼれました、と。

私も今リアルタイムで経験していますが
希望を持ち続けるというのは、なかなかしんどいものなのでしょうね。
発達し、成長していくとしても
一切の停滞なしに運ぶっていうことは、世の中の流れとしてありえないからね。
だからこそ
希望を持ち続ける仲間の存在に支えられるのだと思います。
花風社の本はその役目を果たしたいですね。

「僕は、社会(みんな)の中で生きる。」の
役立て方は色々ありますが
私が実は感心したのは、気分の切り替え方なんですよね。

白くま母さんは、別にみっちりスケジュールを組んでいませんね。
リラックスする時間もちゃんとある。
過敏性のある大地君にとって、交流級で学ぶということはそれなりにしんどいことなので
切り替えが必要です。
そしてそれは最低限、日々のルーティンにしがみつくことで達成できることが多いですね。
こうやって、その日の苦労をその日のうちに切り替えることは大事です。
これができないと、不登校や引きこもりにつながっていくんですよね。

さて、私のコーピング。

昨日は結びの一番で、結果にもがっかりしましたが
横綱の横綱らしからぬ立ち合いの汚さにイライラしました。
むしろ様式美の人だと思っていたんですけど、何あれ?
最強の横綱が一年に三回も同じ相手に負けているのですから、横綱相撲を取る余裕はなかったのでしょうが
それにしても昨日の相撲で、ゆるーくアンチ白鵬になった私。
ニュースを見る気もせず、今日はもう寝てしまおうと思いました。
エビスで軽く(当社比)ゲン直しして。
幸い家族のご飯は要らない日のはずでしたし。

ところが思いがけなく早く家族が
半額になった刺身をうれしそうに数種類買って帰ってきてしまいました。
我が家の暗黙の決まりごとは、夕食には魚と肉と野菜を必ず揃えること。
魚がある以上、肉と野菜を揃えなくてはいけません。

仕方なく仙台で買ってきた牛タンや岩手県産のしいたけ、ねぎ、そして沖縄産のいんげんなどを調理し
本格的なゲン直しに。
麦→葡萄→芋でできた水のフルコースです。

でもまあ、一人でろくすっぽ食事もせず眠りにつくよりは
きっと切り替えによかったと思います。
相撲を取るのは私じゃない。私には私で仕事があるんだし。

「めんどくさいな~」と思いながら日々のルーティンをこなす。
そのために、はしょっていいルーティンとそうではないものを分ける。
これっていいですよ。
まあ詳しくは大地君が大地君の目線で語っているので
本を読んでいただけたら、と思いますが。


☆☆☆☆☆☆☆☆

まあとにかく、あの横綱を東の横綱の位置から追い出す力があるのは
現大関陣ではないでしょう。
相変わらず何をしでかすかわからない稀勢の里関ですが
今場所も最後まで応援しようと思います。

PECSと発語

2011-11-23 09:33:00 | 日記
そういえば、仙台でPECSに関する講演を聴いたとき気づいた。
長沼先生の本作った後にPECSのお勉強したのは初めてだったなあと。

講演でもPECSにまつわる誤解の一つとして
発語が妨げられるのではないかと言う人がいるがそれはない、というお話が出たけど

で、VTRで
むしろ発語が促されたお子さんが登場していたけれども

長沼先生の本を読めば、脳みそ的にそれは当たり前だとわかると思いますよ。

発達障害の脳みそのお勉強して、そしてPECSを見てみれば
PECSの実践がむしろ口頭での言葉につながるとわかるはずですよ。


脳みそのお勉強って本当に大事なんですよね。
「仕組み」を知ることって、大事なんです。
小手先のテクニックを覚えても、小手先の支援にしかつながらないでしょ。
仕組みを知ることが、見分ける目を育てるんです。


昨日のエントリに空音さんからいただいた米にお返事の形で書きましたけど

手間にせよ、費用にせよ、時間にせよ、節約してるタイプの先生方
責任感どーしたのよ、
と私は思っています。

私などもこの仕事していて
自分が勉強するかどうかっていうのが、多くの人に影響を与えることを自覚していますよ。
それが社会的責務ってもんでしょう。
で、大人だったらみんな社会的責務背負ってるわけでしょ?

学校の先生だったら、勉強するかしないか、自己投資するかしないかが
直接的に何十人・何百人・何千人の将来に影響を与えるわけですよ。

自分がガジェットに投資するかどうか。

脳みそのお勉強をするかどうか。

それが多くの人の将来に影響するわけです。

それが教師っていう仕事の醍醐味じゃなかったの?
それで教師っていう仕事を選んだんじゃないのかな?

リラックスする時間を持つなというのではないですよ。
サステナブルな社会人生活のためには必要。
このへん誤解する頭の悪い人がたまーにいるから、くどくど書いておきますが。

でもまあ

自己投資を避けるタイプの支援者は選ばないようにするのは当事者保護者にとって大事な基準になっていくと思いますね。

小手先だけのテクニックを追っている人か

仕組みを知ろうと怠らない人か

どういう支援者を選ぶかが
保護者にとっては大きな仕事になっていきますね。

☆☆☆☆☆☆☆☆

もはや大相撲が私にとってリラックスタイムかどうかは微妙なわけですが。

とりあえず、勝ち越し。



PECSはなんで広まらないのか?

2011-11-22 10:48:33 | 日記
「はやぶさ」っていうのは恐ろしい乗り物ですね。
東京・上野・大宮と停まったら次は仙台なんですよ。

でも考えてみれば「のぞみ」も東京・品川・新横浜止まったら次は名古屋です。
あの広い広い静岡県を全部飛ばすのです。

「しずおかけん ひかりあれどものぞみなし あとはこだまがひびくばかり」

って静岡の方が自虐的に詠っていたことがありますが

たしかに神奈川県民として言わせてもらうと、静岡大きすぎます。
新幹線の駅は六つあるけど、まあのぞみを停めるほどのことはないかも(←ひどい)。

なんの話だっけ。

そうそう、栃木県や福島県にノンストップで北に向かう「はやぶさ」に乗り
日帰りで仙台に行ってきました。
ピラミッド教育コンサルタンツさんの

特別講演会~復興を心から願って~in 仙台

に参加してきたのです。

私はPECSはほとんど知りませんよ。ものの本とかもののDVDとかを見たくらい。

でも、PECSは感動的なんですよね。
何が感動的かって、それで意思表示バンバンしている子どもたちの姿が感動的なんです。
本とかDVDとかじゃないところで、こういうお子さんには出会う機会結構あります。

だからまあ、PECSはいいもんだと思ってきたし、
周囲でお話しする機会のある支援校の先生などは取り入れている方も多いので(まあ、わざわざ花風社とつながりを持つっていうのはそれだけ熱心な先生だということですね)

一般の支援校ではPECSのPの字も聞いたことがない先生もいると知ってびっくりしました。

なんでやんないんだろう。

私は各療育方法のマーケティングにわりと興味があるので
なんでこんないいものが広がらないのか、それを考えることにしましたよ。

まあ色々理由はあるんでしょうけど
一つはいつもここで言う、自閉っ子に対する過小評価だよね。

まさかこんな手段で、コミュニケーションが図れるとは思わないんじゃないの。
だから勉強しないんじゃないの、教師。

長沼先生の本を読んで、自閉症の脳みそについて知れば
PECSが効果的なことは自明なんだけど。



言語っていうのはあいまいなんでしょ、言語の遅れがある人にとって。

でもその言語を分節し、視覚化し、構造化すれば
使えるようになるのは不思議ではないんじゃないのかしら。

だからね、特別支援教育推進派の皆さんも

「発達障害の人にとっていいものはみんなにいい」っていうなんかポリティカルな主張は
ほどほどにしておいたほうがいいと思うよ。

TEACCHの構造化にしろ、PECSにしろ
必要な人には必要。だけど必要じゃない人には必要じゃないんです。私なんかないほうが絶対に便利だもん。

脳みそが違うから、やりやすい方法が違って当たり前なのに
「発達障害の人にとっていいものは~」みたいに過度に主張してしまうと
かえって広がらないと思うんだけどね~。

さて、講演内容は、私のような初心者にもわかりやすくよかったです。

ちらっと思ったのは
ICTは便利だし、私も大地君の新刊では大地君とiPhoneのこと、わざわざここだけ大地君に特に頼んで書いてもらったし
自分にとっても、大地君にとってと同様、スマホは「外付け脳みそ」だと思っているわけですが

iPhoneだとかiPadだとか、療育に大いに取り入れるべきだし、逆に
iPod Touchでさえ自腹を切ろうとしない教師ってけち臭くてプロ意識がないような気がしていますが

でもそれと関係なく

対面の、マジックテープをペリってはがすPECSってやっぱりいいよね、と思いました。

身体性が入って、相手の目を見て渡す。
それがもう、貴重なコミュニケーションですよね。


昨日は重い思いをして
一ノ蔵や、東北の山海の幸をたくさん持ち帰りました。
で、夜おいしくいただきました。

新聞

2011-11-21 07:55:18 | 日記
昨日のビジョントレーニング? 大地君はあっさり私を見つけたようだ。
みーつけた、って。

そして大地君は、
新刊を読んだ人からメールがきたことも教えてくれた。

新聞取ることにしたんだって。新聞ていろんな役目があるからね。
それで兄弟と親御さんも修行するんだって。

どういう修行か。
本を読んだ人はわかるよね。

それぞれがそれぞれの役目を果たす。
それが社会。
それを果たせるようになるための修行。
その道具としての新聞。

そういえば、こんなお便りも。

発達障害のある働く成人が不調になったとき
医者は休職せよと言う。

でも今の雇用情勢では、休職はリスキー。

そこで何が問題なのか分析して
本人の「工夫」と家族の「協力」で勤務を続行中。

社会は医療者の意見主体には出来ていませんからね。
新聞読めばわかると思うけど。

それにさ、医療的に休職が正しい、って永遠に真実かな?

閑居して不善をなす、だし。

要するに

二次障害を回避するのではなく
二次障害にならないように育てる。

ちょっとの休息で立ち直れるように育てる。

それが修行系ですね。

☆☆☆☆☆☆☆

ほっとした。

勝ちは勝ち。

無意識の賢さ。

稽古量。

こういう星が拾えたのは大きい。

そういうこと。

ビジョントレーニング?

2011-11-20 08:48:33 | 日記
昨日も緊張の日。
でも大丈夫だと思っていたけど。
で、大丈夫でした。

☆☆☆☆☆☆

私がいた。心配そうな顔しています。
初日の取組の前だからね。

ありがたいことに、この日抱いていた
「精神的に大崩れだったらどうしよう」っていう事態はなかった、
っていうことはすでに証明されてるな。

わかりますか? 私がどこにいるか。

これもビジョントレーニング?

白くま母さんが20代最後のお誕生日だったらしい

2011-11-19 08:33:50 | 日記
ですよ、昨日。
お祝いのブログ書けませんでした。

でもまあ、20代最後のお誕生日は昨日が初めてではなかったようだし
今年が最後でもなさそうなので
またお祝いの機会はあるでしょう。

ダジャレコンテスト応募と一緒に感想がどんどん送られてきますが

本当に大地君との生活スキル+体作りを公開してもらってよかった、とか

例の騒動がなければ白くま母さんはもっと情報発信してくれただろうに、もったいないことをした、とか

そういうお声もありましたよ。

「『難しそうなことを言っているからすごいはずだ』というレベルの低い信者を集めてぎゃーぎゃー騒ぎ立てても
自分の子どもに効果が上がってなければなんの説得力もありません。」

というお声も。

おお、その通り。

玄関掃除のお手伝いを
そっくり真似て成功したというおうちもあるそうです。

「こういう本を待っていました。
具体的な修行のわかる本」

よかったです。

☆☆☆☆☆

あー、毎日毎日緊張します。

でも成長してるなあ。稀勢の里は発達している!