中央アフリカ共和国:イスラム教徒が脱出を強いられている
キリスト教民兵は対象を絞った激しい暴力を加えている
2014年2月12日
中央アフリカ共和国の少数派イスラム教徒が、同国から全イスラム教徒コミュニティーを追出そうとする、相次ぐ無慈悲な組織的暴力の標的にされている、と本日ヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。中央アフリカ共和国政府、フランスとアフリカの平和維持部隊は、キリスト教徒が圧倒的多数を占める民兵組織、及びそれと手を結ぶ住民による報復攻撃から、残っているイスラム教徒住民を保護するため、緊急措置を講じなければならない。
反バラカ(反ナタ)民兵は徐々に組織化し、発する言葉は、彼らの目的が中央アフリカ共和国からの、イスラム教徒住民抹殺にあるのを示唆している。セレカは、イスラム教徒が圧倒的多数を占める反乱グループで、2013年3月に権力を掌握、その後11ヶ月間同国の多数派キリスト教徒に恐ろしい人権侵害を加えてきた。セレカの台頭は、イスラム教徒住民に起因していると、反バラカは考えている。セレカは自らの行為を正当化するのに、宗教的言辞を弄してはいないが、残虐行為を行い続けている。
「このまま、イスラム教徒住民を狙った暴力が続けば、中央アフリカ共和国の殆どからイスラム教徒は居なくなります」、とヒューマン・ライツ・ウォッチ緊急事態局長ピーター・ブッカーは語った。「何世紀も同国で家族と共に平和に生活してきた人々が、追い出されるか、極めて現実的な暴力の脅威から逃げ出しているのです」
2014年1月と2月の第1週を通じて、相当数のイスラム教徒住民を抱える―ボサングア(首都バンギの北約300kmウハム州の州都)、ボズーム(ウハム・ペンデ州)、ブーカ(ボサングアの西、近距離に位置)、イヤロケ(オンベラ・ムポコ州)、ンバイキ(ロバイエ州)、ボセンベレーなどの中央アフリカ共和国北西部および南西部の街から、数千のイスラム教徒家族が、反バラカの恐ろしい攻撃を避けて逃げ出した。イヤロケは金の主要交易拠点で、武装紛争開始前まで、推計で3万人のイスラム教徒住民を擁し、モスクが8つあったが、ヒューマン・ライツ・ウォッチが2月6日に訪れた際には、500人に満たないイスラム教徒と、モスク1つが残っていただけだった。イスラム教徒住民がモスクに集まり、フランス軍平和維持部隊に守られていたが、キリスト教徒民兵と住民は、イスラム教徒住民の民家とモスクを破壊・略奪していた。
AK47(47式カラシニコフ突撃銃)、携行式ロケット弾発射砲、手榴弾で武装した反バラカ戦闘員はバンギで、多くのイスラム教徒地区を襲い、住民は追い出された。バンギで以前イスラム教徒の拠点だった、PK 12とPK13、ミスキネとキロ5の各地区は今やゴーストタウンと化し、イスラム教徒住民は皆無となった。反バラカ民兵の一部はヒューマン・ライツ・ウォッチに、それらの地区にイスラム教徒が残っていたら、殺すつもりだと話していた。
放棄されたイスラム教徒PK13地区でヒューマン・ライツ・ウォッチ調査員は、キリスト教徒が略奪を受け放棄された民家の所有権を主張、反バラカ指導者の財産である旨の印をつけているのを目撃した。その地区の入口には、「注意:反バラカ地域」という印があった。
殆どのイスラム教徒住民は、チャド、カメルーン、コンゴ民主共和国に脱出。多くがコンゴ民主共和国国籍である、推計5万人のイスラム教徒が、チャド・カメルーン・ニジェール・セネガルによって組織された避難用航空機に乗り、バンギ軍用飛行場から飛び立った。他に数万人が、陸路による集団移送で脱出したが、その途中で反バラカによる攻撃に頻繁に遭っている。
時にアフリカ連合平和維持部隊(以下MISKA)のチャド派遣部隊に支援を受けた、チャド軍精鋭部隊もまた、数千人のイスラム教徒を、反バラカの支配下にある街から避難させた。反バラカ民兵組織は今の所、中央アフリカ共和国北東部のイスラム教徒住民を標的にしていない。北東部の多数派はイスラム教徒だ。
反バラカは2013年9月以降、イスラム教徒地区に組織的攻撃を加えてきた。攻撃には、戦闘地域に取り残された、あるいは脱出しようとした、女性や子どもを含むイスラム教徒に対する、恐ろしくて残虐な襲撃もあった。反バラカ部隊は、イスラム教徒一般市民の喉を切り裂き、公衆の面前でリンチし、遺体を損壊し・火を放った。ヒューマン・ライツ・ウォッチ調査員は、幾つもの残虐行為を目撃している。
残存セレカ戦闘員を含むイスラム教徒地区の武装男性たちは、反撃を試みたが襲撃の撃退には成功せず、またフランスとアフリカ連合平和維持部隊にも圧倒された。
「反バラカ指導者が、意図的に民族浄化政策を追求したのであれ、あるいは、イスラム教徒住民に集団罰を加えたのであれ、長く存在したイスラム教徒コミュニティーが消えたという、結果は明確です」、とブカートは指摘した。
「民族浄化」は正式な法律用語でないが、1つの民族あるいは宗教グループが、暴力と恐怖を煽る手法によって、他の民族あるいは宗教グループを特定の地理的空間から排除することを目的とした政策であると定義されている。
反バラカ民兵組織は、強盗団と戦うために組織された村の自衛グループが出自だが、セレカによる人権侵害との戦いに向け再登場した。反バラカ構成員は殆ど、キリスト教徒と土着信仰の住民出身で、秘密を守ると宣誓すると共に、銃弾に当たらず危害から保護する力があると信じる、「グリス・グリス」と呼ばれるお守りを持つ。
セレカがフランソワズ・ボジゼ大統領を倒した後、中央アフリカ共和国武装軍(以下FACA)と精鋭部隊である大統領護衛部隊の内、ボジゼ派の隊員は反バラカ民兵組織によるセレカとの戦いに合流、反バラカ民兵組織に軍事的専門性と武器を与えた。反バラカ戦闘員の大多数は、手製ショットガン・ナタ・ナイフを携行しているが、一部はAK-47突撃銃他の自動小銃を持ち制服を着用しているようだ。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、イスラム教徒地区内で増大する反バラカ部隊が、自動小銃・携行式ロケット弾発射砲・手榴弾を使って攻撃しているのを目撃している。
国際刑事裁判所(ICC)検察官は2月7日、ICCの司法管轄権に入る犯罪が行われているという重大な情報を、予備捜査開始に十分な量、同検察局が入手したと公表した。同検察局は、新裁判開始に向けた次のステップ、正式捜査を開始するかどうか判断する、より十分な調査を行うだろう。中央アフリカ共和国に関連して同検察局は既に1件裁判を抱えている。コンゴ国籍で元コンゴ民主共和国副大統領、ジャン・ピエール・ベンバ・ゴンボは、ボジゼによるクーデターへの抵抗勢力として中央アフリカ共和国に招かれ、同国で2002年から2003年にかけて犯罪を行ったとして、ICCで裁判に掛けられている。
一般市民、とりわけ被害を受けやすいイスラム教徒住民とその財産に、実効ある保護を提供するため、アフリカ連合とEU、そして国連は、中央アフリカ共和国全域へ直ちに平和維持部隊を増派するべきだ。反バラカによるテロの危険に晒されているイスラム教徒コミュニティーを、可能な限り守るべく、駐留部隊員を増強しなければならない。イスラム教徒一般市民への攻撃を行った、反バラカ部隊及び指導者に対峙し、一般市民への人権侵害を容赦しないことを明確にするべきだ。
中央アフリカ共和国の新大統領カトリーヌ・サンバパンザは、少数派イスラム教徒も同国の構成員であり、セレカによる犯罪の報復をイスラム教徒一般市民に行う者は、その責任を追及されることを、彼女を選出した人々に正式に断固として思い起こさせるべきだ。国軍復活後に起きたような公衆の面前でのリンチは、速やかかつ明白に捜査されなければならない。
「国際社会は、これまでの組織的で対象を絞った残虐行為を、速やかに断固として止めさせるべく対応するべきです」、とブッカーは指摘した。「中央アフリカ共和国の国民が、ズタズタになった生活を再建できるよう、人道援助の提供と、和解・寛容・法の正義実現に向けたプログラムを設立する中央アフリカ共和国政府への支援が、緊急に必要とされています」
Revenge of Seleka Abuses by the Anti-balaka
セレカの人権侵害に対する反バラカによる報復
殆どがイスラム教徒であるセレカ反乱グループが、10ヵ月にわたり広く残虐行為に及んだことが、中央アフリカ共和国で現在起きている暴力の根本にある。セレカは2013年3月に権力を掌握、処刑・無差別殺人・村落焼き討ち・レイプを行い、同国を混乱に陥れ、多数派であるキリスト教徒住民の1/4近くを難民化させた。
9月初めから反バラカは報復を開始、中央アフリカ共和国の北西部及び南西部田舎に住むイスラム教徒の大部分が、安全と思われる人口密集地に群がる事態を引き起こした。12月にフランスとアフリカ連合の部隊が到着、翌年1月にはミシェル・ジョトディア暫定大統領が辞職させられ、セレカ部隊は自軍基地に謹慎を命じられた後、バンギと北西部の多くの地域から撤退し始めた。イスラム教徒住民は、チャド軍平和維持部隊から幾ばくかの支援を受け、人口密集地帯を離れて中央アフリカ共和国北東部に向かい始めた。しかしその中心にセレカはおらず、残った脆弱なイスラム教徒は、反バラカ戦闘員と、セレカ支配の下で大きな苦しみを味わった、より広範なキリスト教徒住民の怒りに直面することとなった。
セレカは中央アフリカ共和国内で人権侵害を行い続けている。1月8日にボヤリ(首都バンギから北東に約100km)で反バラカの攻撃を受けた後、セレカ戦闘員は戻って報復を行い、キリスト教徒住民に大惨事をもたらした。反バラカは何人かを即決処刑、逃げる人々に発砲した。セレカはプロテスタント教会牧師ガブリエル・ヤンバサを捕らえ、喉を掻き切った。その日セレカはボヤリで961軒の民家を焼いた。
ある焼かれた家で生き残った住民によれば、セレカ戦闘員が、身体障害があって逃げられなかった妊娠女性クラウディア・セレフェイ(28歳)を見つけ、彼女の手足を縛って、火の中に放り込んだそうだ。彼女は重度のやけどを負って発見され、セレカの虐殺を逃れて村民が隠れていた森の下に運ばれた。ヒューマン・ライツ・ウォッチはその9日後に腕の基部にまで火傷を負い、痛みに震える彼女に会っている。彼女はその後病院に運ばれたが、火傷が原因で死亡した。
反バラカの組織構造
Human Rights Watch has documented a clear structure within the anti-balaka militias. In every region visited by Human Rights Watch during four research missions since November, local anti-balaka fighters immediately took Human Rights Watch to their leaders when asked to do so, and each anti-balaka group had its own base, military leader, secretary-general, and spokesperson. The anti-balaka movement also has a national spokesperson and military coordinator in Bangui, who have been in discussions with the interim government of President Catherine Samba-Panza about their potential role in government and integration into the army.
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、反バラカ民兵の明確な組織構造を取りまとめた。ヒューマン・ライツ・ウォッチが昨年11月以降、4度行った調査ミッションで視察した全ての地域で、地元反バラカ戦闘員は、依頼されると直ちにヒューマン・ライツ・ウォッチを、指導者のもとに連れて行き、更にそれぞれの反バラカグループが基地・軍事指揮官・事務局長・スポークスマンを有していた。反バラカ運動は首都バンギに、国全体のスポークスマンと軍事調整者を有し、政府における潜在的な彼らの地位と軍への統合について、カトリーヌ・サンバパンザ大統領の暫定政府と話し合ってきた。
Anti-balaka leaders are able to coordinate the movement of their forces from one region to another, and have moved significant numbers of anti-balaka fighters to Bangui to participate in attacks against Muslim communities. Colonel Dieudonné Oranti, a founder of the anti-balaka movement, confirmed to Human Rights Watch in a January meeting that he and another anti-balaka leader had brought two groups of 300 anti-balaka fighters each to Bangui from their bases near the northern capital of Bossangoa in December to fight against the Seleka.
反バラカ指導者は、自部隊がある地域から別の地域に移動する場合の調整ができ、イスラム教徒コミュニティーへの攻撃に参加する、反バラカ戦闘員多数をバンギに移動させていた。反バラカ運動の創設者デュドネ・オランチ大佐は1月の会談でヒューマン・ライツ・ウォッチに、自分ともう1人の指導者が12月にセレカとの戦闘に向け、それぞれ300人の反バラカ戦闘員で構成する2グループを、北部のウハム州・州都ボサングアの近くにある基地から首都バンギに移動したことを認めた。
During the meeting with Colonel Dieudonné in the Boeing neighborhood adjacent to the capital’s airport, Human Rights Watch observed large groups of anti-balaka fighters, some armed with rocket-propelled grenade launchers and AK-47s, heading toward Muslim neighborhoods to carry out attacks. A few days later, Colonel Dieudonné called Human Rights Watch from the area of the Muslim PK12 neighborhood that had been under attack, confirming his participation in the attacks and complaining that French Sangaris forces had disarmed some of his members that morning.
首都にある飛行場に隣接するボーウィング地区で行われた、デュドネ大佐との会談の際にヒューマン・ライツ・ウォッチは、携行式ロケット弾発射砲とAK47で武装する反バラカ戦闘員の大きなグループが、攻撃実行のためにイスラム教徒地区に向かうのを目撃した。デュドネ大佐は数日後、攻撃を受けたイスラム教徒地区、PK12からヒューマン・ライツ・ウォッチに電話してきて、その攻撃に自らが参加していたことを認め、その日の朝フランス軍サンガリス(赤い蝶)部隊が自部隊戦闘員の一部を武装解除させたことに不平を述べていた。
Anti-balaka Statements on Removal of Muslims from the Country
中央アフリカ共和国からのイスラム教徒排除に関する反バラカによる声明
In many meetings with Human Rights Watch, anti-balaka leaders have used hateful and belittling rhetoric about Muslim residents of the country, saying that all Muslims must leave the Central African Republic, and that the Central African Republic “belongs to Central Africans,” whom they define as Christians and traditionalists. Muslims are often described as “Chadians” rather than citizens by anti-balaka leaders, even though the vast majority of Muslims have citizenship.
ヒューマン・ライツ・ウォッチとの多くの会談において反バラカ指導者たちは、中央アフリカ共和国のイスラム教徒住民について、憎悪に満ちかつ蔑視する発言を行い、イスラム教徒は全て中央アフリカ共和国から立ち去らなければならず、中央アフリカ共和国はキリスト教徒と伝統主義者として定義される“中央アフリカ人”のものであると述べた。イスラム教徒の大多数は国籍を有しているにも拘らず、反バラカ指導者は多くの場合、イスラム教徒を中央アフリカ共和国国民ではなく“チャド人”と言っていた。
Colonel Dieudonné denied targeting Muslim civilians directly, but admitted that his fighters had participated in the attacks on the PK 12 and PK13 Muslim community in Bangui. He told Human Rights Watch that Muslims had forfeited their right to remain in the Central African Republic by supporting the Seleka rebel movement “and selling our country to terrorists.”
デュドネ大佐はイスラム教徒一般市民を直接ターゲットにしたことを否定したが、自部隊戦闘員のバンギ市内PK12地区とPK13地区への攻撃参加を認めた。彼はヒューマン・ライツ・ウォッチに、イスラム教徒はセレカ運動を支援し、「我が国をテロリストに売り渡した」たことで、中央アフリカ共和国に在留する権利を失ったと述べた。
He added: “I know they were born here, but they are not Central Africans because they tried to kill the Central African Republic. Would someone who loves their country try and kill their country? We the nationalists have fought for our country, we deserve to stay here.”
「ここで生まれたのは知っているが、ヤツラは中央アフリカ共和国を殺そうとしたんで、中央アフリカ人じゃない。自分の国を愛している者が国を殺そうとするか?我々は国のために闘う愛国主義者で、当然にしてここに留まるべきだ」、と彼は付け加えた。
An anti-balaka leader in Bossembélé told Human Rights Watch that he had ordered his men to stop killing Muslims, but insisted that all Muslims must leave the country, saying, “We don’t want any more Muslims in our country.” His deputies were visibly unhappy with even that message, and two insisted that they would continue to kill Muslims. One of the deputies told Human Rights Watch: “Our hunt is not yet finished, we are not finished. We will not stop until every Muslim leaves this country. I don’t care about the consequences, and to show you I will cut the throat of a Muslim in front of you.” He then took out a big knife and told a child soldier to go kill an ethnic Peuhl man [a Muslim] whom they had found hiding in the bush and brought to the camp. A police officer who had accompanied the Human Rights Watch team stopped the boy.
ボセンベレーの反バラカ指導者はヒューマン・ライツ・ウォッチに、部下にイスラム教徒京都殺害を止めるよう命令したが、一方で、イスラム教徒は全員国から出ていくべきだと、以下のように語った。「我々は我が国にこれ以上イスラム教徒いることを望まない」。彼の副官は2人とも上官のメッセージに明らかに不満そうで、イスラム教徒を殺し続けると強調していた。その内の1人は、「狩りは終わっていないし、我々は止めない。イスラム教徒全員がこの国を立ち去るまで止めない。その結果どうなろうと気にしない。あなた方の目の前で、イスラム教徒の喉を掻き切って見せる」、と話し、大きなナイフを取り出すと、1人の少年兵に、森の中で隠れているのを見つけ基地に連行してきたピュール族[イスラム教徒]の男性を、殺し行くよう伝えたが、ヒューマン・ライツ・ウォッチのチームに付き添っていた警官が、その少年を止めた。
Anti-balaka leaders have also directly ordered Muslim communities to leave. On February 2, during a meeting between local civilian officials, anti-balaka leaders, and Muslim leaders in the town of Yaloké, the anti-balaka leader told the Muslim leaders that he was giving the Peuhl and any Muslim of Chadian descent 24 hours to leave the city or face attack. On February 4, Chadian Special Forces evacuated more than 2,000 remaining Muslim citizens from Yaloké for Bangui’s military airport, where they were to be flown to safety in Chad.
反バラカ指導者たちは又、イスラム教徒コミュニティーに立ち去るよう直接命令した。2月2日にイヤロケ町で行われた地方公務員、反バラカ指導者、イスラム教徒指導者との会議の際、反バラカ指導者はイスラム教徒指導者に、ピュール族とチャド人の子孫であるイスラム教徒は、24時間以内に街を離れなるよう、従わなければ攻撃すると伝えた。2月4日には、チャド軍特殊部隊が残っていたイスラム教徒一般市民をイヤロケ町からバンギの軍事飛行場に避難させ、そこからチャド国内の安全な場所に空輸する予定だ。
Tactics of Intimidation and Terror
脅迫とテロの戦術
The attacks on Muslim communities have often involved shocking violence. Since late January, Human Rights Watch researchers have witnessed four public lynchings by the anti-balaka. In each case, the victim’s hands were cut off, and in some cases, mutilation also included cutting off the penis and legs. When anti-balaka fighters were asked about the mutilations, they told Human Rights Watch, “We cut off the hand that killed our parents.” Human Rights Watch witnessed an additional three attempted lynchings; the brutality appears in part motivated to inspire terror in the remaining Muslim population.
イスラム教徒コミュニティーへの攻撃は、多くの場合驚くべき暴力を伴った。1月下旬以降、ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査員は反バラカによる公衆の面前でのリンチを4度目撃した。それぞれの事件で、被害者の両手は切断され、遺体の一部切断はペニスや両足にも及んだ。反バラカ戦闘員は、遺体の一部切断について問われた際、「俺たちの両親を殺した手を切っているのだ」と話した。ヒューマン・ライツ・ウォッチは他にも3件のリンチ未遂を目撃、反バラカの残虐性は一部、残留イスラム教徒住民の恐怖増大に向け発揮されているように思われる。
The anti-balaka control some roads and maintain checkpoints where they inflict abuses. On January 14, at least eight Muslims – three women and five children, including one seven-month-old, fled in a truck from Boyali, a town 120 kilometers north of Bangui, and were stopped by Christian militia members stopped at a checkpoint. Witnesses told Human Rights Watch that the militia members hacked to death three Muslim women and three of the children with machetes on the steps of a mosque. Human Rights Watch researchers saw dried pools of blood marking where they had died. One young boy escaped and the baby survived because her mother, Fatimatu Yamsa, knowing she was about to die, handed the baby to a Christian woman for safety.
反バラカは幾つかの道路を支配下に置き、検問所を維持して、そこで人権侵害を行っている。1月14日、少なくとも8人(女性3人と生後7ヶ月乳幼児を含む子ども5人)のイスラム教徒が、バンギの北120kmに位置する町ボヤリから1台のトラックに乗って逃げてきたが、キリスト教徒民兵によって検問所で停止させられた。目撃者によれば、民兵はイスラム寺院の階段で、イスラム教徒女性3人と子ども3人をナタで切り殺した。ヒューマン・ライツ・ウォッチ調査員たちは、6人が殺害された場所に残った、乾いた血溜りを目撃している。幼い少年が逃れ、更に赤ん坊が、自らの死を悟った母親、ファティマツ・ヤムサによってキリスト教徒女性に託されて生き残った。
Widespread Nature of the Attacks
攻撃の広汎性
Bossangoa, September-December 2013
ボサングア、2013年9月から12月の期間
On September 5, anti-balaka fighters began a carefully coordinated offensive against five secondary trading centers around Bossangoa, attacking small Seleka bases and the Muslim communities in Zéré, Ben Zambé, Ouham-Bac, Korom Mpoko, and Bowaye. The anti-balaka killed hundreds of Muslims and carried out deadly attacks on cattle camps run by a largely nomadic and Muslim population known as the Peuhl. The assaults led to massive displacement of Muslim residents from this regional capital. The anti-balaka attacked Bossangoa itself on December 5, leading to the further displacement of the estimated 10,000 Muslims gathered in the Boro Muslim district of Bossangoa.
反バラカ戦闘員は2013年9月5日、ボサングア周辺にある5ヶ所の補助的交易拠点に対し、念入りに組織化した攻勢を開始、小さなセレカ基地とゼレ、ベン・ザンベ、ウハムバク、コロン・ムポコ、ボワイエにあったイスラム教徒コミュニティーを攻撃した。反バラカはイスラム教徒数百人を殺害すると共に、ピュール族と呼ばれる概ね遊牧生活を送るイスラム教徒が営む、牛の放牧キャンプに激しい攻撃を加えた。襲撃はウハム州の州都からイスラム教徒住民の大規模な難民化をもたらした。反バラカは12月5日、ボサングアをも襲撃、ボサングアのボロ・イスラム教徒地区に集まっていた推計1万人のイスラム教徒を難民化させた、
During the December 5 attack, anti-balaka fighters killed at least 11 unarmed Muslim residents of the Boro district. Among the dead was a young Peuhl man, Oumar Abacar, whom Human Rights Watch had just that morning taken to the hospital to treat a gunshot wound he had received when anti-balaka fighters attacked his cattle camp three weeks earlier. He was hacked to death together with his mother, who had stayed with him to look after him while he recovered from the wound.
12月5日の攻撃の際、反バラカ戦闘員はボロ地区で、少なくとも11人の非武装イスラム教徒住民を殺害した。犠牲者の中にはウマル・アバカルという、若いピュール族男性がいた。彼はその3週間前、反バラカ戦闘員が牛の放牧キャンプを襲った際に、重傷を負い、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、その日の朝、治療を受けさせるべく彼を病院に連れて行っている。彼は治療後に付き添っていた母親と共に惨殺された。
Muslim residents of the Boro neighborhood in Bossangoa fled to a displacement camp at the nearby École Liberté [liberty school], which was heavily guarded by African Union forces. On January 30, the majority of Bossangoa’s Muslims were evacuated to Chad by Chadian troops in the African Union peacekeeping mission. The remaining Muslims are awaiting evacuation to Chad.
ボサングア市内、ボロ地区のイスラム教徒住民は、近くのエコル・リベルテ[自由学校]に設営され、アフリカ連合部隊によって厳重に警護されていた難民キャンプに逃げた。2014年1月30日にボサングアのイスラム教徒の大多数は、アフリカ連合平和維持ミッションの指揮下にあるチャド部隊によって、チャドに避難させられた。残ったイスラム教徒もチャドへの非難を待っているところだ。
This pattern of attacks recurred in many other areas in the country’s northwest and southwest. Muslims fleeing the attacks would gather in major population centers, but then would be attacked in the larger population centers.
同じような攻撃パターンが、中央アフリカ共和国の北西部及び南西部で再三発生している。攻撃から逃れたイスラム教徒は人口密集地に集まるが、より人口の増した密集地がその次に襲われるのである。
Bangui, January-February 2104
バンギ、2014年1月から2月までの期間
On January 22, following the departure of armed Seleka fighters, all the Muslim residents of the PK13 neighborhood on the outskirts of Bangui fled when the anti-balaka fighters arrived. On that day, Human Rights Watch found the remaining 36 Muslim residents of PK13, including women and children, huddled in a single compound at the entrance to the neighborhood, protected by Rwandan peacekeepers from the African Union force, known as MISCA.
1月22日にセレカ戦闘員の出発を受け、反バラカ戦闘員が到着、バンギ郊外に位置するPK13地区の全イスラム教徒住民は逃げ出した。当日ヒューマン・ライツ・ウォッチは、女性と子どもを含むイスラム教徒36人が、MISCAとして知られるアフリカ連合平和維持部隊に所属するルワンダ軍部隊に守られ、PK23地区入口にある建物敷地内に身を寄せ合って残っているのを発見した。
A group of anti-balaka fighters in PK 13, while burning the neighborhood’s main mosque, told Human Rights Watch that they would continue attacking the Muslim neighborhoods of Bangui, and that they would kill any Muslim they could. One said:
PK23地区内の反バラカ戦闘員の一団が、同地区の主要なイスラム寺院を焼きながらヒューマン・ライツ・ウォッチに、バンギ市内のイスラム教徒地区を攻撃し続け、可能な限りイスラム教徒を殺害する意向である旨、以下のように話した。
We don’t have a need for Arabs in this country – they have to leave and go back to their countries because they killed so many from our families. They are foreigners anyway. They have to leave. They continue to kill in the provinces. They have to go. There are still nine Muslims here [under the protection of MISCA]. We will capture them. We will finish them off today. We will kill them. When we finish here, we will go to [the next Muslim neighborhood, PK12]. We don’t want Muslims in the Central African Republic - not Chadians, and not Muslims. We will massacre them, we will kill them.
「この国にアラブ人は必要ない。我々の家族を沢山殺したんだから、ヤツラは出ていき、自分たちの国に帰るべきだ。ヤツラはどのみち外国人だ。出て行かなければならない。ヤツラは色んな州で殺しを続けている。ヤツラは帰るべきだ。[MISCAに保護されて]ここにまだ9人イスラム教徒がいるが、我々はヤツラを捕まえ、今日中にバラす、殺すつもりだ。ヤツラをバラしたら、[次のPK12地区に]行く。中央アフリカ共和国にイスラム教徒は居ない方がいい、ここはチャド人の国でもイスラム教徒の国でもない。我々はヤツラを皆殺しにする、ヤツラを殺すんだ」
Following the flight of the Muslim population, thousands of looters, some associated with the anti-balaka but also civilians, descended on the neighborhood and began stealing from homes and stripping them of their roofs, windows, and door frames. French and African Union peacekeepers on the ground were unable to thwart the violence. As evening fell, anti-balaka fighters warned Human Rights Watch that if the 36 Muslims were not evacuated, they would be killed: “You better get them out of here, because if they remain here we will kill them in the night,” an anti-balaka fighter told Human Rights Watch. Members of the French forces ultimately transferred the remaining Muslims one kilometer down the road, to the PK12 Muslim neighborhood, where thousands of other Muslim residents were waiting to be evacuated to Chad.
イスラム教徒住民が飛び立った後、数千の暴徒が、一部反バラカと一般市民の支援を受けてPK13地区に殺到、民家に略奪を加え、屋根・窓・ドア枠などを引きはがし始めた。現場にいたフランスとアフリカ連合の平和維持部隊は、暴力を阻止できず、夜になって反バラカ戦闘員はヒューマン・ライツ・ウォッチに、イスラム教徒36人が避難させられない場合、殺害すると警告してきた。「ここからヤツラを出した方がいい。ヤツラがここに留まったら、我々は今晩中に彼らを殺害する」、と反バラカ戦闘員はヒューマン・ライツ・ウォッチに伝えた。フランス軍部隊隊員が、最終的に残っていたイスラム教徒を、1km離れた道路沿いにあるPK12地区に移動させて事なきを得たが、そこでも数千人のイスラム教徒住民が、チャドへの避難を待っていた。
The same phenomenon is occurring in the remaining two Muslim neighborhoods of Bangui, Miskine, and Kilo 5, the major trading center of the capital. Day after day, heavily armed anti-balaka gunmen with AK-47s, grenades, and rocket-propelled grenade launchers arrive from their strongholds in the Boeing and Boy-Rabe neighborhoods to attack the remaining Muslim neighborhoods from their outskirts, forcing Muslim families to flee their homes and seek safety deeper into the remaining Muslim areas. As soon as families flee, looters arrive to pillage their homes and take away the doors, windows, and roofs, leaving the areas uninhabitable.
同じ事態が、バンギ市内の残りのイスラム教徒地区、首都の主要な交易拠点であるミスキヌとキロ5で起きつつある。日毎に、AK47・手榴弾・携行式ロケット弾発射砲で重武装した反バラカ戦闘員が、ボーイング地区やボーイ・ラベ地区の拠点から、残存イスラム教徒地区を攻撃するために到着、イスラム教徒家族は自宅から逃げ出し、イスラム教徒地区の更に奥深くに、避難先を求めるしかない状況に追いやっている。家族が逃げ出せばその後直ちに、暴徒が押し寄せ、家は略奪され、ドア・窓・屋根も持ち去られ、地域一帯が居住不能になっている。
In many of the cases Human Rights Watch observed, the looters are not from the neighborhood, and in mixed Muslim-Christian areas, local Christian residents have tried in vain to protect their Muslim neighbors from the anti-balaka attacks and the looting. “We don’t loot our neighbors, we want them to stay and be safe,” said a Christian resident, who was helping a Muslim neighbor evacuate his home following the lynching of two Muslims in the mixed Gbenguewe neighborhood. “The looters are not from this area, they came with the anti-balaka to attack our Muslim neighbors and loot and destroy. We hate them for what they are doing.”
ヒューマン・ライツ・ウォッチが目撃した多くの事例で、暴徒は当該地区の者で住民ではなかった。またイスラム教徒とキリスト教徒の混合地域では、地元キリスト教徒住民が、イスラム教徒隣人を反バラカによる攻撃と略奪から、守ろうとして果たせなかった事例もあった。「お隣さんから略奪はしませんよ、私らは彼らが安全に残れることを望んでいます」、とグブングウェ混合地区でイスラム教徒2人がリンチに遭ったのを受け、隣人であるイスラム教徒の避難を助けたキリスト教徒住民は語った。「略奪している連中は、この地区の者ではありません。アイツらは、イスラム教徒の隣人を襲って、略奪と破壊をするために、反バラカと一緒に来たんです。連中のやっていることは、私たち大嫌いですね」
After weeks of attacks by heavily armed anti-balaka, the Muslim population has virtually abandoned Miskine, and crowds are looting and stripping down the empty homes. Much of the Muslim population of Kilo 5 is also now fleeing Bangui. On February 7, hundreds of vehicles carrying Muslim residents left in the morning, in a convoy protected by Chadian Special Forces. On February 8, thousands of Muslim residents fled Bangui in a truck convoy for Cameroon.
重武装した反バラカによる攻撃が数週間続いた後、イスラム教徒住民はミスキヌ地区を事実上放棄、現在暴徒が略奪を加え、民家を丸裸にしている最中だ。キロ5のイスラム教徒住民もまた現在はバンギに逃げた。2月7日の朝、イスラム教徒住民を乗せた数百台の車が、チャド軍特殊部隊に守られて出発。2月8日には、イスラム教徒住民数千人が、トラック集団に乗ってバンギからカメルーンに向かって逃げ出した。
On a visit to Kilo 5 neighborhood on February 9, Human Rights Watch found virtually every family packing up their belongings and preparing to flee in the next convoys heading to Cameroon and Chad. The remaining residents were clearly terrorized by the violence. One resident, Ali Ousman, a 39-year-old diamond dealer, told Human Rights Watch that the attackers had lynched his mentally disabled brother, Senussi Djalé, and burned his body that morning: “My family has lived here for generations, and I have never even been to Chad, but now we have to flee for our lives,” Ousman said.
2月9日にキロ5地区を訪れた際にヒューマン・ライツ・ウォッチは、事実上全家族がカメルーンとチャドに向かう次のトラック集団に乗って逃げるために、持ち物をまとめて準備しているのを見た。残っていた住民は、明らかに暴力に脅えきっていた。ある住民でダイアモンド取引業者のアリ・ウスマン(39歳)はヒューマン・ライツ・ウォッチに、襲撃者が精神障害者である兄弟の1人、セヌシ・ジャレをリンチし、遺体を焼いたと以下のように語った。「私の家族はここで何世代にもわたって生活してきました、チャドなんて行ったこともありませんが、命のため逃げなくてはなりません」。
Boyali, January
ボヤリ、1月中
On January 8, hundreds of anti-balaka captured Boyali from the Seleka and began to slaughter its Muslim residents. When Human Rights Watch visited the town not long after, Red Cross volunteers were burying bodies and filling wells where corpses had been dumped during the slaughter.
1月8日に数百人の反バラカがセレカから、ボヤリ(首都バンギから北東に約100km)を奪還、イスラム教徒住民を殺害し始めた。間もなくその町を訪れたヒューマン・ライツ・ウォッチは、赤十字のボランティアが遺体を埋葬し、虐殺の際に遺体が投げ込まれた井戸を埋めているのを目撃した。
One man, 25, a survivor of the Boyali massacre, told Human Rights Watch that at least 200 anti-balaka fighters had attacked Boyali on the morning of January 8, and had shot him. His older brother saved him by dragging him into a house. As the wounded man watched, the older brother, along with the survivor’s father and uncle, were hacked to death outside. Thirty-four Muslims were killed that day, including the Muslim village chief.
ボヤリ虐殺の生存者である25歳の男性はヒューマン・ライツ・ウォッチに、少なくとも200人の反バラカ戦闘員が1月8日の朝、ボヤリを攻撃して自分を撃ったと話した。彼の兄が彼を家に引きずり込んで助けたのだそうだが、その彼の目の前で、兄、父親、叔父が家の外で斬殺された。その日、イスラム教徒村落の首長を含む34人のイスラム教徒が殺害された。
Boda, January-February
ボダ、1月から2月にかけての間
In the diamond trading town of Boda, 160 kilometers southwest of Bangui, on February 4, Human Rights Watch found the graves of at least 30 Muslims killed in communal violence that might have claimed as many as 75 lives. Muslim residents of the town said that the anti-balaka attack on the Muslim areas of Boda began almost immediately after Seleka forces left Boda on January 28.
ヒューマン・ライツ・ウォッチは2月4日、バンギの南西160kmに位置しダイアモンド交易地のボダ(ロバイエ州)で、コミュニティー間の武力衝突(75人もの命を奪った可能性がある)で殺害されたイスラム教徒、少なくとも30人が埋葬された墓地を発見した。同町のイスラム教徒住民によれば、反バラカによるイスラム教徒地域への攻撃は、セレカがボダから立ち去った1月28日の殆ど直後に始まったそうだ。
The same day, local officials attempted to broker a deal between the anti-balaka fighters and the wealthy diamond-dealing Muslim traders, offering to pay the anti-balaka if they did not attack the Muslim community. The local Catholic priest also attempted to prevent an attack on the Muslim community, but at 7 a.m. on January 30, anti-balaka forces attacked the Muslim quarter, killing eight Muslims and burning down the town’s main Muslim market.
同日、地元当局者は反バラカがイスラム教徒コミュニティーを攻撃しないならば、反バラカに金銭を支払うという提案をして、反バラカとダイアモンド交易業者である富裕なイスラム教徒との間での仲裁を試みた。地元カトリック聖職者もイスラム教徒コミュニティーへの攻撃を防ぐよう試みた。しかし1月30日午前7時、反バラカ部隊はイスラム教徒地区を攻撃、8人を殺害し同町の主要なイスラム教徒市場を焼き落とした。
The anti-balaka attack intensified on January 31, said a Muslim resident who kept a log: “The attacks from the anti-balaka intensified that day, we had 9 dead and at least 40 people went missing, their fate is unknown.” The attacks continued on February 1 and 2, with dozens more dead. Two more Muslims died on February 3, and many more were wounded.
反バラカによる攻撃は1月31日に激しさを増した、と日誌を記録し続けたイスラム教徒住民は以下のように語った。「反バラカからの攻撃はその日激しさを増した。9人が死亡、少なくとも40人が行方不明、消息は分からない」。攻撃は2月1日と2日続き、更に数十人が死亡した。2月3日にもイスラム教徒2人が死亡、多くが負傷した。
Human Rights Watch researchers arrived in Boda on February 4, and found thousands of nomadic Peuhl and Muslim traders huddled in fear in the remaining compounds. The town’s market had been burned, and Human Rights Watch found people who had suffered horrific machete and burn wounds during the anti-balaka attack. Anti-balaka fighters who carried out the attacks told Human Rights Watch that in their view all Muslims had to leave Boda. French peacekeepers intervened the next morning to stop the violence.
ヒューマン・ライツ・ウォッチは2月4日にボダに到着、「残っていた建物の敷地に恐怖に肩を寄せ合っていた数千人の遊牧民ピュール族とイスラム教徒」、「焼かれた町の市場」、「反バラカによる攻撃の際、恐ろしいナタによる傷と火傷を負った人々」などを目撃した。攻撃を行った反バラカ戦闘員はヒューマン・ライツ・ウォッチに、全てのイスラム教徒はボダから立ち去らなければならないと述べた。フランス軍平和維持部隊が翌朝に介入して、暴力を止めさせている。
Mbaiki, February
ンバイキ(ロバイエ州)、2月
Even in areas where French and African peacekeepers have deployed, they appear unable to quell anti-balaka attacks. In Mbaiki on February 4, despite the deployment of French forces, Human Rights Watch found anti-balaka fighters threatening elderly Muslim men in the main market, running their fingers across their throats in front of the old men. On February 6, Chadian forces transferred to Bangui the entire Muslim community of Mbaiki in 20 large military trucks, carrying at least 4,000 Muslim residents of the town.
フランスやアフリカの平和維持部隊が派遣されている地域でも、反バラカによる攻撃を鎮静化させることは不可能なようだ。フランス軍部隊が派遣されているにも拘らず、ンバイキでは2月6日、反バラカ戦闘員が高齢男性たちの前で、喉を掻き切る仕草をするのを見た。2月6日にはチャド軍が、ンバイキの全イスラム教徒コミュニティー少なくとも4,000人を、20台の大型トラックでバンギに移送した。
Upon arrival in Bangui, one of the main imams of Mbaiki told Human Rights Watch: “We have all left Mbaiki now. Only three or four old men stayed behind because they preferred to die in the place they have lived all their lives. We don’t know what will happen now. We are going to a country [where] we have never lived.”
バンギに到着した直後、ンバイキの中心的イスラム教指導者の1人はヒューマン・ライツ・ウォッチ、「私たちは今、全員、ンバイキを離れました。全人生を過ごしてきたンバイキで死ぬことを選んだ、3・4人の年を取った男たちが残っただけです。今この先何が起こるかは分からない。生活したことのない国にこれから行きます。」