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ヒューマン・ライツ・ウォッチ コンゴ民主共和国:国連報告が重大な犯罪を暴露

コンゴ民主共和国:国連報告が重大な犯罪を暴露

法の裁きを確かなものとするメカニズム創設に向け国際的な取り組みが必要

(ニューヨーク、2010年10月1日) 国連が取りまとめたコンゴ民主共和国での重大な人権侵害に対する司法捜査開始と責任者を裁判にかけるため、国連加盟国は国際的に協調して取り組むべきである、と本日ヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。

2010年10月1日、国連人権高等弁務官事務所はコンゴの人権侵害事件をマッピング・エクソサイズ(mapping exercise)したレポートを公表した。1993年3月から2003年6月までの間にコンゴで発生した最も重大な人権侵害及び国際人道法違反を取り扱ったものである。

「詳細で徹底したレポートはコンゴで行なわれた犯罪と法の裁きのショッキングなまでの欠如を強く思い起こさせる。」とケネス・ロス、ヒューマン・ライツ・ウォッチ事務局長は語っている。「それらの事件はもはや隠しおおせるものではない。周辺各国及び国際社会が続いて強い行動を起こすならば、このレポートは、アフリカ大湖沼地帯で繰り返される残虐行為の陰に潜んでいる不処罰の終焉に、大きく貢献することになるだろう。」

レポートは全ての地域に及ぶ617件の暴力事件を記録し、その主な責任者である全てのコンゴ人及び外国関係者(ルワンダ、ウガンダ、ブルンジ、アンゴラから来た軍若しくは武装勢力)が果たした役割を報じている。

レポートの当初バージョンはニュースメディアへ8月にリークされ、その中でルワンダ軍は報じられていた最も重大な犯罪を一部実行したとして批判されていた。そのためルワンダ政府は怒りをあらわにし、国連がレポートを公表するならば国連ミッションから自国平和維持要員を撤退させると脅していた。

「国連がそのような脅迫に屈することなくレポートを公表したのは正しかった。」とケネスは語り、「この情報は余りにも長く圧殺され続けて来た。世界は何が起きたのかを知る権利があり、犠牲者は法の正義が実現するのを目にする権利がある。」

国連はレポートで報じられている事件の一部に対する調査を、とりわけ1997年と1998年に試みている。ジョセフ・カビラ(Joseph Kabila)現大統領の父親であるローレント-ディシル・カビラ(Laurent-Dsir Kabila)が当時率いていたコンゴ政府は、それを繰り返し妨害した。にもかかわらず国連や人権保護団体は、1990年後半におけるルワンダ人難民とコンゴ民間人に対するジェノサイド・レイプその他の人権侵害を、その時明らかにした。しかし一方、犯罪を行った者に責任を問う行動は取られなかった。

「指揮系統を登り詰め、このような残虐行為を実行・命令した者たちを特定し訴追する時が来たのである。」とロスは語り、「世界各国政府はコンゴで非武装の市民が数十万人も殺害されている時に沈黙を守っていた。彼らには法の正義実現を確約する責任がある。」と続けた。

レポートが最も論争を呼んだ記述の一つは、ルワンダ軍が行なった犯罪に関係している。国連レポートはその幾つかが「ジェノサイド罪」に分類される可能性についての問題を呈している。ルワンダ軍の行動を言い表すのに「ジェノサイド」という言葉を使用する可能性があるということが、リークされたレポートに関するメディア報道の大半を占めていた。

「特定と用語の問題は重要であるが、犯罪がどのように表現されるのかに関わらず、レポート内容に関して行動を起こす必要がそのことで脇に追いやられるべきではない。」とロスは語り、「どう控え目に言っても、ルワンダ軍とそれと同盟関係にあった者が戦争犯罪と人道に反する罪を犯し、膨大な数の民間人が不処罰のまま殺害されているのであるから、その事実を私たちは忘れてはならない。 そしてその事実こそが協調して行動を起こすことを求めているのである。」と続けた。

220ものコンゴの団体がレポートを歓迎し法の裁きを行なうための様々な制度を求める声明に署名するなど、レポートはコンゴの市民運動から広い支持を集めている。

マッピング・エクソサイズは1993年から1997年にかけてコンゴで行なわれた犯罪に対して、国連が初期に行なった調査に由来している。2005年9月にコンゴでの国連平和維持ミッションであるMONUCは、1996年と1997年に発生した犯罪に関係する多数の遺体を埋めた穴を3か所発見した。そのおぞましい発見が調査を再開するきっかけとなった。国連人権高等弁務官事務所は国連事務総長の支援を受け、マッピング・エクソサイズを開始し、1998年から2003年までの第2次コンゴ戦争の際に行なわれた犯罪をも含むようそのマンデイトを拡大した。

マッピング・エクソサイズはコンゴ政府の協力を得て行なわれたものの、コンゴ司法制度は犯罪への法の裁きを適切に確約する能力も、十分な中立性の保証も持ち得ていない、とヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。レポートはそれ故に、コンゴ国民、外国人そして国際的な司法権のコンビネーションを取込んだ、別の選択肢を示唆している。

それらは普遍的な司法権に基礎を置き、コンゴ国民と外国人両者の要員で構成される法廷に加え、他の国々による訴追を含むこともありうる。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、コンゴで過去と現在に発生した戦争犯罪及び人道に反する罪に司法権を持つ、混成司法機関の設立を支持している。

レポートで関与を指摘された軍を持つ大湖沼地帯の各国は、独自の調査を行い、犯罪者の個人的責任を問う措置を取るべきである、とヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。

今回のレポートは、過去において法の裁きが為されなかった事件に光を当てるということ、そして現在のコンゴの状況に関係しているということの両方で重要である、とヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。

「これは歴史的なレポート以上のものである。」とロスは語り、「国連チームが取りまとめた、不処罰文化に煽られた民間人への人権侵害のパターンの多くは、現在もコンゴで継続中である。過去と現在の犯罪に対処する司法制度を創設することは、不処罰と暴力の連鎖を終わらせるのに非常に重大となるだろう。」とも述べた。

国連レポートとヒューマン・ライツ・ウォッチの対応に関して更に背景を知りたい方は以下のサイトをご覧ください。

http://www.hrw.org/node/93364

http://www.hrw.org/en/africa/democratic-republic-congo

コンゴ民主共和国に関してヒューマン・ライツ・ウォッチのレポートを更にご覧になりたい方は以下のサイトを訪ねてみてください。

http://www.hrw.org/en/africa/democratic-republic-congo

Q&A

2010年国連10月1日、コンゴ民主共和国に関する国連人権マッピング・レポート

このレポートは何についてのものですか?

国連マッピング・レポートは国連人権高等弁務官事務所によって作成され、1993年3月から2003年6月までの間にコンゴ民主共和国(DRC)で起きた最も重大な人権侵害と国際人道法違反を記載しています。それは確固として詳細な文書であり、外国人とコンゴ人からなるおよそ20人の人権問題専門家チームが12カ月以上に渡り行なった、克明かつ信頼度の高い調査に基づいています。レポートは10年間にコンゴ全域で起きた最も重大な617事件に焦点を当て、外国軍・反乱勢力・コンゴ政府軍を含む様々な武装勢力が行なった、大量殺人・性暴力・子どもへの襲撃・その他の人権侵害などで重大な事件についての詳細な情報を提供しています。

調査団が取りまとめた暴力事件の犠牲者の殆どは女性と子どもである、とレポートは述べています。最も弱い者に対して「全武装勢力が慣習的に行った暴力事件のスケールを適切に反映するために、レポートは女性と少女への性暴力犯罪及び子どもへの暴力犯罪に特別な章を設け、またコンゴで行なわれた犯罪に関係した天然資源開発が果たす役割についても1章を充てています。

記録された犯罪の大多数は人道に反する罪及び戦争犯罪の要件を満たしていると、レポートは結論しています。1996年から1997年の間に起きた特定の一連の事件に言及して、レポートはルワンダ軍とそれと同盟関係にあるコンゴ人で構成されたコンゴ-ザイール解放民主連合(AFDL)反乱勢力が、ルワンダ人フツ族難民とコンゴ人フツ族民間人(詳細は以下を参照)に加えた特定の犯罪は、ジェノサイド罪に分類されるのではないか、という問題を提起し、そのような判断を下すのは管轄権を有する法廷となるだろう、と明記しています。

マッピング・エクソサイズの目的は「個人的責任を確定することでも責任を負わせることでも」ありませんでした。そうではなくマッピング・エクソサイズは、「時に苦しみを伴うものの、武装紛争後に真実を語るという必要不可欠な過程に向かう最初の1歩として」意図されています。加えてレポートは、「過去と折り合いをつけ、不処罰と闘い、そのような残虐行為の再発防止策における現代の課題に向き合うために、コンゴ人社会が追及出来る数多くの道筋を特定する将来を展望しています。」 レポートのかなりの部分は、現在のコンゴ司法制度の評価・それらの犯罪を裁判にかける法律構成・暫定的司法への選択肢への評価に充てられています。

なぜこのレポートが重要なのですか?

国連マッピング・レポートは、コンゴで行なわれた犯罪の重大性と法の正義の驚くべき欠如を、再認識する強力なきっかけです。マッピング・エクソサイズで取り扱われた期間は「おそらく昨今のコンゴ歴史上で最も悲劇的な時期」であることを、レポートは示しています。この10年は、「大きな政治危機・戦争・多数の民族間及び地域間の紛争に特徴づけられ、その結果数百万とはいわなくても数十万人の犠牲者をもたらしてきた。」とレポートは述べ、「コンゴ民主共和国領土内に居住していた者で紛争を逃れられたのは、極めて少数のコンゴ人と外国人民間人だけである」と指摘しています。

マッピング・レポートは様々な勢力によって実行されたこれらの犯罪を、正式な国連報告書で初めて総合的に分析・編集・組織的に体系化したものです。事件の多くは国連自身やNGOによって以前にも取りまとめられていましたが、その他に概して未報道だった事件もありました。国内外の強力な行動にフォロウされれば、レポートはコンゴ及びより広範な大湖沼地帯での不処罰を終わらせ、暴力の連鎖を断ち切ることに重要な貢献できる可能性があります。

8月にメディアにリークされたバージョンと10月1日に国連が公表した正式バージョンに何か違いがあるのですか?

実質的な違いはなく、レポートは大きく変えられことはありませんでした。10月1日に公表された正式バージョンに加わったのは、ジェノサイド罪の法的定義に関する追加的説明と1996年と1997年の事件の一部を、ジェノサイド罪と見なすことへの賛成・反対の議論です。またレポートは、法廷がこれらの犯罪をジェノサイド罪と判断することにつながる可能性のある要因の幾つかと、ジェノサイド実行に必要な計画性に乏しく、ジェノサイド罪は行なわれていなかった、という法廷の判断をもたらす可能性のある反論要因も同様に提示しています。「管轄権のある法廷にこの件に関して判断を下すことを容認するためには、1996年から1997年にザイールで起きた事件について十分な司法捜査が必要となる。」とレポートは結論しています。

公式バージョンはコンゴ政府のコメントを組み込んでいます。他の政府も国連人権高等弁務官事務所のウェブサイトに自国対応を表明する機会を与えられています。

ルワンダ政府は今回のレポートにとりわけ強い異論を唱え、レポートが公表され、コンゴで自軍がジェノサイド罪を犯したという主張が文書から撤廃されなかった場合、ダルフールのアフリカ連合-国連平和維持ミッションから自国平和維持要員3000名を撤退する、と脅しました。国連はこの圧力に抵抗、9月24日にルワンダ大統領ポール・カガメはその脅しを取り下げました。

このレポートの由来はなんですか?国連はコンゴで行なわれた過去の犯罪に、今何故、目を向けることを決断したのですか?

国連は以前にも今回のレポートに記述のある犯罪の幾つかを調査しています。とりわけ1997年、当時国連事務総長だったコフィ・アナンは、1993年3月から1997年12月までの間に行なわれた重大な犯罪を検証する調査団を任命しました。しかしそれらの調査は、ルワンダとウガンダの支援を得て権力の座に就いたローレント・ディシル・カビラ(現大統領ヨセフ・カビラの父親)が率いていたコンゴ政府によって、繰り返し妨害されたのです。

妨害行為があったにもかかわらず、国連は1998年に調査団の予備調査結果を公表、そこで1996年と1997年にルワンダ軍とそれと手を組むコンゴ人反乱勢力AFDLが行なった大量殺人の幾つかはジェノサイドを構成するかもしれない、と結論付けました。彼らの活動は激しく妨害されてきたので、調査団は更なる調査を求め、入手してきた証拠と公にしにくい情報を、より徹底的な調査が可能になるまで安全な場所に保管することを要請しました。

2005年9月、コンゴ国連平和維持活動ミッションであるMONUCは、コンゴ東部の北キブ(North Kivu)州ラットシュル(Rutshuru)で、1996年と1997年に行なわれた犯罪に関係する3か所の集団埋葬地を発見しました。そのおぞましい発見は、事実起きていた戦慄の事件と法の裁きが為されないままでいる事を思い出させ、調査を再開する引き金となりました。国連人権高等弁務官事務所は国連事務総長の支援を受け、マッピング・エクソサイズを開始しました。それは特定の期間及び地理的領域の中で起きた最も重大な犯罪を取りまとめるはずだったと言われていますが、その後1998年から2003年までの第2次コンゴ戦争の際の人権法及び国際人道法への違反をも含むようそのマンデイトを拡大しました。

2007年5月、ヨセフ・カビラ大統領はマッピング・エクソサイズを承認、2008年7月には活動開始のため調査団がコンゴに到着しました。その時調査団は妨害されることなしに活動出来ています。

何故ルワンダ政府はこのレポートにそんなに怒ったのでしょう?

レポートに名を挙げられているルワンダ政府や他の政府は自国軍が行なったという犯罪疑惑に当然のことながら神経質になっています。レポートはコンゴで起きた多くの武装勢力による恐ろしい犯罪を取りまとめていますが、最も重大な犯罪は1996年と1997年、ルワンダ軍(ルワンダ愛国軍、the Rwandan Patriotic Army, RPA)及びそれと同盟関係にあるコンゴ人反乱勢力AFDLによって実行された、とレポートは述べています。

レポートは、RPAと AFDLが行なった攻撃は、「管轄権のある法廷で証明された場合、ジェノサイド罪と見なされる可能性のある、有罪につながりかねない数多くの要素を明らかにしている。」と述べています。「今日までに収集した情報で、そのような攻撃が実際人道に反する罪であったことを、極めて明確に立証出来る。」とどう少なく見積もっても、レポートは結論付けているのです。

ルワンダ政府は7月にレポートの見本を受け取り、以来レポートを否定しかつその信用性を傷つけようとして、「ジェノサイドを行ったという非難は馬鹿げており信頼できず、レポートはルワンダ政府に反対する人々に後押しされている。」と主張してきています。ルワンダ政府はレポートの公表を中止させるため、ダルフールから平和維持要員3000名を撤退するという脅しに加えて、潘基文(Ban Ki-moon)国連事務総長に大きな圧力かけてきました。また他のアフリカ諸国にレポートを激しく非難するよう働きかけてきています。9月24日付の声明で、ウガンダ政府はレポートを否定するとともに、レポートは平和維持活動に貢献し続けようとするウガンダの決意を損なうと述べています。

そのような反応は大湖沼地帯の不処罰を終焉させ、コンゴで継続中の紛争に恒久的な解決策を見出そうとする努力の障害になるだけです。このように重要なレポートの公表を脅迫で妨げようとすることによって、ルワンダとウガンダの両政府は自軍の行動についての疑惑を一層拡大し、何か隠していることがあるという印象を与えたにすぎませんでした。レポートは真剣な反応を引き起こしていて、それはかつて発生していて既に十分な証拠書類がある犯罪を全面的に否定するものではありません。

ルワンダではツチ族に対するジェノサイドがあったのでしょう?なのにフツ族に対するジェノサイドがどうやって起こりうるのでしょうか?

1994年にルワンダでは、ツチ族少数派に対するフツ族過激政治家及びその他役人が計画したジェノサイド事件で、50万人を越える人々が残虐に殺害されました。過激派たちは1994年に、現大統領ポール・カガメが率いるツチ族が多数派を占めるルワンダ解放戦線(RPF)によって打倒され、ジェノサイドは終わったのです。報復攻撃を恐れて100万を超えるルワンダ人フツ族がルワンダを離れコンゴ東部(当時ザイールと呼ばれていた)に逃げ込みました。この難民には、元ルワンダ軍や(interahamwe)民兵を含むジェノサイドを行った犯人たちが同行していて、ルワンダとコンゴの国境近くに国際援助団体のコミュニティが設立した難民化キャンプに対する支配権を確立してしまいました。1996年、ウガンダの支援を受けたルワンダ政府はコンゴ東部に侵入、キャンプを破壊し、急遽構成されたコンゴ人反乱勢力AFDLと伴にコンゴ首都キンシャサに進軍して、フツ族過激派を支援していた大統領モブツ・セセ・セコ(Mobutu Sese Seko)を倒したのです。

マッピング・レポートは、ルワンダ軍及びそれと同盟関係にあるコンゴ人反乱勢力が1996年にコンゴ東部に侵入した後、「明らかに組織的かつ広範囲な攻撃」を実行し「数万人」の犠牲者をもたらしたと述べ、その攻撃を「フツ族難民に対する血も涙もないと思われる追跡と大量殺人」と表現しています。「刃の付いた武器(主にハンマー)の広範な使用と[難民]キャンプ占領後に生存者が組織的に虐殺されていると思われる事実は、膨大な数の犠牲者を戦禍による偶然の結果と出来ず、或いは、巻き添え被害と同一視出来ない」ことをさし示している、とレポートは明言しています。また「犠牲者の大多数は、多くの場合栄養失調状態にあり攻撃部隊に何の脅威にもならない、子ども・女性・高齢者・病人であった。」こともレポートは付け加えています。

レポートは、ルワンダでのジェノサイドに何の役割も果たしてはいないにもかかわらず、ルワンダ軍及びそれと同盟関係にあるコンゴ人反乱勢力AFDLが設置した検問所や市民集会で狙いをつけられ、連れ出されて殺害された、コンゴ人フツ族への組織的大量殺人事件についても述べています。「難民ではないザイール[コンゴ]のフツ族に対する膨大な数の襲撃は、狙われていたのはフツ族全てだったことを立証しているように思われる。」とレポートは明言し、もし管轄権のある法廷で証明されたなら、ジェノサイド罪と見なされる可能性のある、有罪につながりかねない数多くの要素を、調査が明らかにした、とレポートは結論付けています。

ルワンダ人なのかコンゴ人なのか、戦闘員なのか民間人なのか、こういったことに関わらず民族性を根拠に個々人をターゲットにしていると思われる事実は、コンゴで「ジェノサイド罪」が行なわれていた可能性についての疑惑を浮かび上がらせています。ジェノサイド罪には非常に明確な法律的定義があります。すなわち「ある国家、民族、人種若しくは宗教勢力全体を破壊する意図を持って」の(殺人や身体若しくは精神への傷害行為も含む)様々な行為が構成要因となっています。[1]「ジェノサイド」という言葉は犯罪のスケールではなく、ある集団を全部若しくは部分的に抹殺するという明確な目標を持って意図的に狙ったという事実に言及しているのです。

ルワンダ解放戦線はルワンダでのジェノサイドを終結させたことで当然のように高い評価を得てきましたが、その評価が、その後数カ月・数年の後にルワンダとコンゴで、自軍が行なってしまったかもしれない犯罪に対する責任を免除するものではありません。数万人のコンゴ民間人とルワンダ人難民に法の正義を実現することは、アフリカ大湖沼地帯での恒久的平和達成に極めて重要です。

このレポートはコンゴよりむしろルワンダについてものなのでしょうか?

このレポートはコンゴについて、及びコンゴ人が苦しめられた外国人とコンゴ人両者による恐ろしい残虐行為についてのものですが、ルワンダ軍とその同盟関係にある武装勢力が行なったものとは別の多くの残虐行為も取り扱っています。レポートには、コンゴ人反乱勢力、コンゴ国軍、だけではなくウガンダ・ブルンジ・アンゴラ・チャド・ジンバブエなど各国の軍及び外国人武装反乱勢力が行なった犯罪に関する情報も相当量含まれています。

コンゴでは少なくとも500万人の人々が死亡したとよく言われていますが、このレポートはその死亡者を取り扱っているのですか?

国際救命委員会(International Rescue Committee)が行なった詳細な死亡率調査は、紛争の結果1998年以来コンゴでは500万人近い人々が死亡していることを明らかにしました。その圧倒的多数は栄養失調と医療を受けられなかったことに起因しています。マッピング・レポートは民間人に対する殺人や他の意図的人権侵害に特別に焦点を当ており、紛争の結果としての間接的な数十万の死を取りまとめたものではないのです。

このレポートは性暴力犯罪を取りまとめているのですか?

国連マッピング・レポートは、女性と子どもが大多数の暴力の主な犠牲者だったことを明らかにし、女性と少女に対する性暴力犯罪にある章を充てています。「1993年から2003年までの間、性暴力は日常的な現実であり、コンゴ人女性は休む間もなく苦しみ続けていた、ことをレポートは明らかにしています。女生徒、母親、婚約済み女性、既婚女性、未亡人、質素な農民女性、政治指導者・元軍人・公務員の妻、野党活動家、人道援助従事者、NGOメンバー、社会的地位や年齢に関係なく、彼女らは皆、様々な理由で最も多様な形での性暴力の被害に遭っています。」

マッピング・チームは、以前取り扱われず、若しくは限られた範囲でしか取りまとめられなかった集団性暴力事件、とりわけ1996年と1997年に起きた、フツ族難民女性と子どもに対するレイプ事件を立証することが出来ました。

レポートは天然資源開発に何か言及しているのですか?

ハイしています。レポートは一つの章をこの問題に充てています。レポートが指摘しているように、「簡略であろうとも、これらの犯罪が実行される上で天然資源開発が果たしている役割について考えることなしに、1993年3月から2003年6月までの間、コンゴ民主共和国で行なわれた、人権法と国際人道法に対する最も重大な違反事件の目録を作成することなど考えられませんでした。事件の相当数でコンゴ民主共和国の資源へのアクセスそして支配を巡る、異なった武装勢力間の抗争が、民間人住民に対して犯行に及んだ背景となっています。」鉱物、木材その他の資源を支配したいという欲望が、紛争当事者であるコンゴ人と外国人勢力にとって強力な動機になっていたのです。

これは歴史的なレポートですが、どこが現在のコンゴに関係するのでしょう?

このレポートは今日のコンゴの状況に即関係し、不処罰の行き着くところに思いをはせる明確なきっかけとなっています。このレポートに取りまとめられた民間人への残虐行為の様式の多くは継続しています。コンゴ治安部隊と武装勢力の多数は、以前に犯した残虐行為への説明責任の欠如という事実に勇気づけられ、今も同じ人権侵害の戦術・戦略を使っています。

このことはメディアで広く報道された、2010年8月にコンゴ東部ワリカレ(Walikale)で起きた、300人を超える女性と少女に対する集団レイプ事件においてとりわけ明確になっています。国連レポートは犯人に対する説明責任の欠如と、民間人住民への重大犯罪の継続の間に直接的な因果関係があることを明らかにしています。これらの犯罪に関してその犯人の責任を問うことを始める司法制度の創設が、これらの暴力の繰り返しを止めることにとって重要でしょう。

レポートに対するコンゴ政府の反応はどうだったのでしょう?

国連は2010年6月にコンゴ政府にレポートの文案を手渡しています。コンゴ政府は国連に詳細なコメントを提供し、それはレポート最終バージョンに取り込まれていました。10月1日、コンゴ政府は声明を発表、そこでレポートの公表を歓迎し、コンゴ国民苦しんできたこのレポートに取りまとめられている犯罪の恐ろしい本質と範囲に愕然としている旨を述べています。さらに声明は「犠牲者には法の正義が実現されるべきであり、彼らの声は[コンゴ政府]と国際社会から傾聴されるべきである。」と述べています。政府は「コンゴ政府は犯罪を裁判にかけ犠牲者にある程度の補償をするために出来ることをする。」と述べ、マッピング・レポートが提示した司法上の選択肢を更に議論し将来の成功する手段を決定すべく、法律家及び国際資金提供国とのコンゴでの会議を呼びかけました。

コンゴの市民運動はレポートを強く支持して来ています。9月3日には、全国220の人権保護団体の連合がレポートを擁護し、犠牲者のために犯罪を行った者に責任を問い裁判にかける適切な司法制度が設置されることを求めるプレスリリースを発表しました。ある人権保護活動家の言葉を借りれば、「コンゴの社会は、コンゴ民主共和国に住む全てのコンゴ人及び人類に好意的である、2006年2月18日制定の憲法で規定されているように、司法・平等・平和・友愛・国民の団結などに対する高潔な考え方を基礎としている。[レポートは]私たちがそのようなコンゴの社会に道徳的均衡を再構築しようとして、長い期間行なってきたロビー活動に対応したものです。」だそうです。

当時においても既によく知られていた人物であったとしても、そのような犯罪で誰も裁判にかけられてこなかったのは何故でしょうか?

これらの犯罪に対して法の裁きがなかったことは、大湖沼地帯各国政府及び国際社会の大きな失態であり、コンゴ民間人への攻撃継続に疑う余地なく貢献してしまっています。それらの犯罪を調査しようとする継続的試みは妨害され、コンゴ国内や国際的人権保護団体による犯罪のスケールについてのレポートは無視されました。1994年にルワンダでのジェノサイドを止める行動をとれなかった事への罪悪感に囚われた多くの政府は、コンゴ内でルワンダ軍が行なう恐ろしい犯罪と、更に拡大解釈されコンゴ国土内での他の武装勢力が行なった犯罪まで見て見ぬふりをしてしまいました。この間違った政策の高い代償を支払ったのは民間人住民だったのです。

 コンゴ政府は1998年から2003年までの第2次コンゴ戦争の際に、ルワンダ、ウガンダ、ブルンジが行なった侵略犯罪及び国際人道法違反に対して、国際司法裁判所(ICJ)を通じて幾分かの賠償請求を試みました。国際司法裁判所は2005年12月に判決を下したのですが、それは「ウガンダ軍は1998年から2003年まで間にコンゴで広範な人権侵害行為を行った。」「国際関係における武力不行使の原則と不干渉の原則に違反した。」と評決したものでした。同裁判所はウガンダにおよそ60億ドルの賠償を支払うよう命令したのですが、金はまだ1ドルも支払われていません。

コンゴ政府がルワンダに対して行なった同様の訴追に、同じ裁判所が判決を下せないと述べました。ルワンダはICJを承認せず、国連拷問等禁止条約や他の人権法律文書の批准していないからです。特にルワンダは集団殺害罪の防止および処罰に関する条約(ジェノサイド条約)[2]第9条への保留に言及しました。ICJは両当事国が同意している場合にのみ訴追を受理できます。ウガンダに関する同裁判所の判決と同様の評決になると予測される事態から自国を守るために、ルワンダは同意しなかったのです。

2003年の国連総会で、ヨセフ・カビラ大統領はコンゴ国際犯罪法廷に犯罪を調査し、犯人の責任を問うよう要請しました。彼の要請にコンゴ人市民運動は賛成の意を表明したのですが、そのアピールは無視されました。

国際刑事裁判所(ICC)はマッピング・レポートに記載されている犯罪を裁けるのでしょうか?

国際刑事裁判所(ICC)は、同法廷を創立したローマ規定(Rome Statute)が発効した2002年7月から先に起きたジェノサイド事件・人道に反する罪・戦争犯罪を裁くために設立されました。マッピング・レポートに記載された事件の多くはこの日以前に発生していました。しかしながらイツリ地方(Ituri District)での事件のような2002年後期と2003年に行なわれた犯罪の幾分かは、国際刑事裁判所(ICC)の管轄権に入ることになります。2004年4月にコンゴ政府はコンゴの状況を国際刑事裁判所(ICC)に付託しました。検察官事務所はその2カ月後に2002年7月1日以降にコンゴで行なわれた犯罪に関して司法権を有したと判断し、その時以来調査が進んでいます。またコンゴ人武装勢力の指導者3名が国際刑事裁判所(ICC)の訴追に引き続いて逮捕され,ハーグで裁判にかけられていますし、国際刑事裁判所(ICC)検察官は2002年7月以来に行なわれた犯罪に対してコンゴ東部キブ(Kivu)州での調査を行っています。

ルワンダ国際刑事法廷(ICTR)はこれらの犯罪を調査できないのですか?

ルワンダ国際刑事法廷(ICTR)のマンデイトは1994年にルワンダで行なわれたジェノサイドと他の国際人道法に対する重大な違反行為です。同期間に隣国でルワンダ人が行なった犯罪も裁けますが、ルワンダ軍による犯罪で国連マッピング・レポートに取りまとめられたものの大多数は1994年以降に起こっていて、それゆえルワンダ国際刑事法廷(ICTR)のマンデイトから外れてしまっています。同法廷がそれらの事件を捜査できるようにするにはそのマンデイトを変更する必要があります。更にまず第一、同法廷は2011年年末までに裁判を結審する予定であり、新しい事件を捜査はしていません。同法廷のマンデイトを拡大し、現在の終了期限を越えて活動を続けようとすることに国際的な関心が十分に寄せられることは期待できません。

ならばそれらの犯罪をどの法廷が裁くべきなのでしょうか?

それは国連マッピング・レポートが対処しようとし、幾つかのオプションを提起する、主要な問題の一つです。マッピング・チームはコンゴ司法制度が、国際的資金提供国の支援を受けて政府が開始した最近の司法改革にもかかわらず、レポートに取りまとめられた犯罪を起訴するには短期的にも中期的にもその能力に欠けると判断しました。レポートは提起した幾つかのオプション中で、ハイブリッド・モデル(犠牲者に法の正義を実現するため、コンゴ司法制度に組み込まれた、外国人判事とコンゴ人判事その他の要員からなる混成司法機関)の創設に強い選好を示しています。これは多くの国連特別報告者及びコンゴの市民運動団体からの同様の勧告に従ったものです。ヒューマン・ライツ・ウォッチもそのようなモデルを支持しています。

提案された「混成司法機関」は大枠において2005年初頭にボスニア国家法廷の一部として設立されたボスニア戦争犯罪法廷のモデルに習ったものです。[3]つまりそれは、独自の法廷・調査&訴追部局・記録&犠牲者&被告人事務所を備えつつ、コンゴ司法制度に組み込まれた国の制度となり、コンゴの法律と手続きを適用することになるでしょう。また過去と現在の戦争犯罪、人道に反する罪、ジェノサイドをもっぱら取り扱い、当面は非コンゴ人スタッフを抱えることになるでしょう。国の司法制度内に「混成司法機関」を設立するということは、国がその領土内で行なわれた重大な人権侵害を訴追する第一義的な責任を持つという原則に沿ったものとなります。コンゴ当局によって創設され国の司法制度に組み込まれたものなら、「混成司法機関」はコンゴ人の所有ということになります。能力創出を通じて長期的にはコンゴ司法制度を利することになり、コンゴにおける法の支配を強化するため現在行われている国際的な努力を変更することもないでしょう。国際的な法律専門家の支援を受けつつコンゴ司法制度に「混成司法機関」を付け加えるのは、最悪の犯罪に対してはびこった不処罰に立ち向かう必要のあるコンゴ司法制度を後押しできるはずです。

更に、国連マッピング・レポートに取りまとめられた犯罪を取り巻く緊張した政治的背景を配慮すれば、「混成司法機関」内における外国人スタッフの存在は、非コンゴ人加害者によって行なわれたと言われている犯罪の調査に対して必要な信頼性と正当性を添えることになるでしょう。

 

このレポートが公表された今、何が起こるべきなのでしょうか?

マッピング・レポートに取りまとめられた重大犯罪はこれ以上放置できません。レポートは国連及び自国軍が残虐行為に加わったコンゴ政府とその他アフリカ諸国政府など国連加盟国の真剣な対応を求めています。しかし現在まで悲しいかな、本腰を入れた対応はありません。

国連安全保障理事会は国際的な平和と安全保障に対する脅威に対する主な国連機関として、このレポートを議論し、自国民が犯罪に加担した全ての国が法の正義を実現するための努力を支援するよう強く主張するべきです。レポートが提起した司法的・非司法的選択肢を検討し新たな前進の手段を決めるために、コンゴ政府は関係する専門家と資金提供国との会議をコンゴで開催するという自らの提案に基づいて、速やかに行動すべきです。

ヒューマン・ライツ・ウォッチはマッピング・エクソサイズに関与していたのでしょうか?

いいえ。マッピング・エクソサイズとレポートの文案づくりは、もっぱら国連人権高等弁務官事務所が行なっていました。国連チームは、ヒューマン・ライツ・ウォッチを含む多くの全国的NGO及び国際的NGOに助言を求め、問題になっている事件に関係する出版物を参照しました。それらにはヒューマン・ライツ・ウォッチが公表してきたレポートも含まれていて、マッピング・レポートの添付書類に載せられています。マッピング・チームはまた広範囲に及ぶ他の消息筋を使用し、詳細な自分たち自身への調査も行い、1280名の目撃者に聞き取り調査を行っています。多くの事件において、ヒューマン・ライツ・ウォッチが独自に行なった調査結果は、国連のマッピング・レポートと符合しております。

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