ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

ウイリアムルスカ 死去

2015年02月15日 | プロレス
もう、訃報ブログです(泣)
人間の寿命とは仕方の無い逆らえない事ですが
人々のメモリアルとなる人物がこの世を去るというのも
キツいですね。


若い方はご存知ないと思いますが
ミューヘンオリンピックの柔道・無差別級、重量級の
金メダリスト、当時最強の柔道王で
A猪木の初めての異種格闘技戦の対戦相手で
その後、常連外国人レスラーとしてもたびたび来日していた
オランダのウイリアムルスカが亡くなりました。
享年74。

私はその異種格闘技戦をリアルタイムでは見ていないのですが
某暴露本によると、奥さんの病気の治療費が高額だったという事で
ジャブ役を受け入れたといわれる歴史的一戦。
コレが後のモハメッドアリ戦に繋がるのですが
(この試合はガチ)
1度目の敗戦後、数度、再戦が行われ
確か、全て猪木の勝ち。

ただ、実際にスパーリングしたら
猪木も長州もルスカには敵わなかったという逸話。
そして大のイタズラ好きからトラブルになって
最強喧嘩王に変身すると。
確かブッチャーも語ってたか?有名な意地悪の話
あの怖いスタンハンセンが試合に出かけた後
かなり度の強いハンセンの眼鏡をマジックペンで
真っ黒に塗ってしまい、試合から帰ってきたハンセンが
眼鏡をかけて、どビックリ、そして犯人はルスカ・・・
流石のハンセンもルスカが犯人では、笑うしか無かったという・・。

ストリートファイトも最強伝説と
大のイタズラ好きというリング外のエピソードが
面白くて、子供の頃にイタズラ好きの金メダルレスラーというイメージでした。

私がリアルタイムで見たのは
もう50歳を越してから
猪木の引退カウントダウン(いや、カウントアップ)試合の1つとして
メモリアルバウトとして実現した猪木vsルスカの再戦。
途中、猪木がルスカに絞め落とされてしまい
試合途中なのに長州が命じて猪木をおんぶして
控え室に帰ろうとした時、猪木が蘇生し
最後、逆転勝ちという、とても卑怯な一戦・・・。
インタビューでは試合を中断されたというルスカが激怒。
まあ、本当に落としたとしたら、やってはいけない事ですが
実際、猪木も散々やってきた手ですしね・・・。
馳、天龍・・・他。

その他は動画サイトで見ましたが
最強の柔道王として名を馳せたルスカ。
プロレス転向後も決してプロレスが巧いとは言えなかったらしいけど

日本プロレス史の歴史に残る一戦の男。

ご冥福をお祈りします。

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2 コメント

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ミルクマンさん「 (太郎)
2015-02-16 20:19:24
シーナさんの死はショックでしたねぇ・・・。
オランダ読みと英語読みだと微妙に誤差があると
以前、コメント頂いたような。
相手が大マジの格闘家でも試合を成立させてしまうのが
やはり全盛期の猪木の天才と言われる所以なんでしょうね。
昨夜、ルスカ続きで前田vsカレリン、ディックフライ
そして前田vsアンドレ
女子のセメントマッチだったジャッキー佐藤vs神取の
動画を見ていたりしていたのですが、
有名な力道山vs木村の約束破り・・・
力道山は平凡な技の掛け合いのお客の反応を恐れ
わざとボコボコにしたとの説・・・
そのセメントではなくて初の異種格闘技という試合の
相手が、赤鬼のルスカですからねぇ、
私が中学生位ならもう大熱狂だったと思います。
(私のリアルタイムの初異種格闘技戦は前田vsニールセンでして)
ただ、子供の時買った
「プロレススーパースター列伝」での猪木vsルスカの試合模様は相当の迫力でした。
胴衣を脱ぎ捨てたというのは当時相当なインパクトだったでしょうしね。
(ホイスが吉田戦で胴衣を脱いだ時もビックリでしたが)
赤いマフラー爺さんは、
まあ・・ノーコメントにして置きましょう(笑)

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うーん、 (ミルクマン)
2015-02-16 01:03:32
朝、出勤前(厳密には昼か)シーナさんの記事を見て
前日車でジュディマリ聴いてた事思い出して、帰ったらコメ入れよ!と思ってたのですが、、、
当時余裕で小学生の私には、ウイレムルスカ(って聞こえてた)って誰?猪木がんばれ!で試合に突入。子供ながら選手同士の間合いにいつものプロレスと違う緊張感を感じ猪木負けないで!とテレビ応援してましたが、生放送は時間切れ。翌週に改めて頭からの録画中継に「やっぱ特別な試合なんだ!」と興奮したものです。今ではDVDもあるので解説も余裕ですが、当時の感覚だと後半猪木のバックドロップをくらってから興奮したルスカさんが柔道着の上着を脱ぎ捨て、プロレスの見た目になったところで「あ、この人プロレスの土俵に上がった」と嬉しくなったのが忘れられません。
異種格闘技戦を正しく始められた功労者として赤いマフラーの爺さんはちゃんとコメントできるか心配ですが、ご冥福をお祈りします。
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