昨年は自分にとってかなり酷い1年でしたが
音楽面ではちょこっと動きがありました。
で、勝手にTOP5というカテゴリーを作り
自分の気持ちを奪われた事(まあ、自分の事も)を書こうかな・・と。
5位
「PRSカスタム22との格闘、そしてPRSを諦め、何とか1つだけライブが出来た」
数年ぶりに高いギターを購入したのに、アーミングが多い曲が多いという事で
このPRSとのスタジオ格闘でちとチューニングノイローゼになりそうな勢いで
ライブ直前で諦め、フェルナンデスのフロイドローズ付きギターで
ステージに立ってライブし、スケールが違うので、チョーキングが上がりきらないとか
指板を間違えるとかしましたが、無事ライブ終えたと・・・。
4位
「夏、マリーナショウ、冬単独公演でデビットTウオーカーを観れた事」
弟の病気で死線との闘い、泊り込み看護とその後遺症で
終電ギリギリのクタクタで、それこそ、ギリギリにチケット取れた
このデビT爺の公演。
夏はマリーナ、そして世界一好きなドラマー、ハービーメイスン
そしていぶし銀のチャクレイニーのベースも観れました。
ただ、席が悪く(本当に売り切れ寸前滑り込みでした)
低音をあまり体感は出来ず、コレはちと惜しかったなぁ・・と。
ただ、冬はサインを貰い、会話をして、ピックを貰い、
おまけに大尊敬するデビT爺と2ショット写真も撮れ
軽くだけどコミュケートが取れた事でした。
3位
「ストレスか?風邪か?でまともに歌が歌えなかった」
冒頭にも書いたのですが、とにかく散々な1年でしたので
ストレスか風邪か判らず、1年中(今も)風邪薬(PL顆粒)を
飲み続け、声のハリが落ち、おまけに疲労でSOUL行方不明状態と
歌い手としては歌う元気が無くなってしまった事でした。
少しづつまたコラボ音源で練習していますんで
また公開出来ればな・・・と思います。
2位
念願の「ギターマガジンチャンピオンシップ、1次審査通過」
とにかく応募をはじめ5年越しで難易度の高い楽曲で審査に通って
名前が載ったという事は、有る意味、ギタリストとして
認めて貰えた・・・という事でやはり褒められる事は嬉しいです。
そして、このコンテスト自体の難易度を毎年、体感してきたので。
(腕前だけでは無く音色やアレンジ、自我を出すか、サイドマンに徹するか?他)
色々難しいコンテストです。
2次審査は通過出来ませんでしたが、今年も応募したいと思います。
で、栄えある(?)1位
「ロニージェームスディオ死去」
全然、栄えあるでは無かったですね(爆)
本当にショックでした。
沢山の人が昨年この世を去って行きましたが
音楽的となると、もうこの時のショックは言葉では表現出来ません。
多くの方が、訃報が流れたその日、1日、仕事にならなかったのでは?
私はこの人「エゴイストで高飛車の塊」という悪いイメージから
入って行ったんです。しかし中学3年生で「BURN」を聞いて
HR/HMにハマり、初めて買ったHR/HMのレコードが
DIOのライブ「インターミッション」でした。
丁度、ライブエイドや「WE ARE THE WORLD」に対抗して
地獄のエゴイストの集団のHR/HMミュージシャンを集め
「HEAR’N AID」をまとめ上げ成し遂げた時でもありました。
イングウェイ、ケビンダブロウ、ブラッキーローレスと、エゴの塊だらけ・・
スタジオ入り口に「エゴはココで置いていって下さい」という
「エゴ預かり看板」を立てかけたそうです。
(ロブハルホードのインタビューより。この人は紳士だし。)
そして、DIOのアルバムは勿論の事、
ロックアルバムの歴史に名を残すレインボーの「ライジング」や
ブラックサバスの「ヘブンアンドヘル」に参加し名作中の名作を
作り上げた一人です。
(勿論リッチーやアイオミ等、他のメンバーが有っての事です。)
この人の偉業は一口では語れませんね。
まさに「巨星堕つ」でした。
長々になりましたが・・・
その他に・・・
5位以下ではしまさんとのコラボ「移民の歌」
「LONG LIVE R&R」の成功や
バッカスのテレキャスターとエピフォンコリーナVの改造終了等
新たなチャレンジとかもありました。
音楽面ではちょこっと動きがありました。
で、勝手にTOP5というカテゴリーを作り
自分の気持ちを奪われた事(まあ、自分の事も)を書こうかな・・と。
5位
「PRSカスタム22との格闘、そしてPRSを諦め、何とか1つだけライブが出来た」
数年ぶりに高いギターを購入したのに、アーミングが多い曲が多いという事で
このPRSとのスタジオ格闘でちとチューニングノイローゼになりそうな勢いで
ライブ直前で諦め、フェルナンデスのフロイドローズ付きギターで
ステージに立ってライブし、スケールが違うので、チョーキングが上がりきらないとか
指板を間違えるとかしましたが、無事ライブ終えたと・・・。
4位
「夏、マリーナショウ、冬単独公演でデビットTウオーカーを観れた事」
弟の病気で死線との闘い、泊り込み看護とその後遺症で
終電ギリギリのクタクタで、それこそ、ギリギリにチケット取れた
このデビT爺の公演。
夏はマリーナ、そして世界一好きなドラマー、ハービーメイスン
そしていぶし銀のチャクレイニーのベースも観れました。
ただ、席が悪く(本当に売り切れ寸前滑り込みでした)
低音をあまり体感は出来ず、コレはちと惜しかったなぁ・・と。
ただ、冬はサインを貰い、会話をして、ピックを貰い、
おまけに大尊敬するデビT爺と2ショット写真も撮れ
軽くだけどコミュケートが取れた事でした。
3位
「ストレスか?風邪か?でまともに歌が歌えなかった」
冒頭にも書いたのですが、とにかく散々な1年でしたので
ストレスか風邪か判らず、1年中(今も)風邪薬(PL顆粒)を
飲み続け、声のハリが落ち、おまけに疲労でSOUL行方不明状態と
歌い手としては歌う元気が無くなってしまった事でした。
少しづつまたコラボ音源で練習していますんで
また公開出来ればな・・・と思います。
2位
念願の「ギターマガジンチャンピオンシップ、1次審査通過」
とにかく応募をはじめ5年越しで難易度の高い楽曲で審査に通って
名前が載ったという事は、有る意味、ギタリストとして
認めて貰えた・・・という事でやはり褒められる事は嬉しいです。
そして、このコンテスト自体の難易度を毎年、体感してきたので。
(腕前だけでは無く音色やアレンジ、自我を出すか、サイドマンに徹するか?他)
色々難しいコンテストです。
2次審査は通過出来ませんでしたが、今年も応募したいと思います。
で、栄えある(?)1位
「ロニージェームスディオ死去」
全然、栄えあるでは無かったですね(爆)
本当にショックでした。
沢山の人が昨年この世を去って行きましたが
音楽的となると、もうこの時のショックは言葉では表現出来ません。
多くの方が、訃報が流れたその日、1日、仕事にならなかったのでは?
私はこの人「エゴイストで高飛車の塊」という悪いイメージから
入って行ったんです。しかし中学3年生で「BURN」を聞いて
HR/HMにハマり、初めて買ったHR/HMのレコードが
DIOのライブ「インターミッション」でした。
丁度、ライブエイドや「WE ARE THE WORLD」に対抗して
地獄のエゴイストの集団のHR/HMミュージシャンを集め
「HEAR’N AID」をまとめ上げ成し遂げた時でもありました。
イングウェイ、ケビンダブロウ、ブラッキーローレスと、エゴの塊だらけ・・
スタジオ入り口に「エゴはココで置いていって下さい」という
「エゴ預かり看板」を立てかけたそうです。
(ロブハルホードのインタビューより。この人は紳士だし。)
そして、DIOのアルバムは勿論の事、
ロックアルバムの歴史に名を残すレインボーの「ライジング」や
ブラックサバスの「ヘブンアンドヘル」に参加し名作中の名作を
作り上げた一人です。
(勿論リッチーやアイオミ等、他のメンバーが有っての事です。)
この人の偉業は一口では語れませんね。
まさに「巨星堕つ」でした。
長々になりましたが・・・
その他に・・・
5位以下ではしまさんとのコラボ「移民の歌」
「LONG LIVE R&R」の成功や
バッカスのテレキャスターとエピフォンコリーナVの改造終了等
新たなチャレンジとかもありました。
ニャロメは、ロニー・ジェイムス・ディオ御大の訃報か、
デビ爺御大とのツ-ショットかと思っていましたニャン。
今日は、我がムスタングの調教??を一日中していました。
結論として、このパーツを試してみる事にしました。
↓
http://www.sound-loft.com/mustangparts.htm
強化スプリングは、かなりの効果を期待出来そうですニャン。
それでは、おやすみニャさいませ~
「こんなにショックなんだ・・・・」と
改めて痛感したものでした。
「小さな巨人」でしたしね。
ESPのCharモデルを初めてみた時は
センスを疑ったモノです。
ただ、ブリッジはESPの方が安定してそうですね。
私ムスタング、65年のを1回しか弾いた事ないんです。
しかもJCM900で(爆)