ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

エディーヴァンヘイレン 死去 大ショック!

2020年10月07日 | 音楽
突然飛び込んだ訃報。
自分達がリスペクトしてきた人達の訃報は増えるモノですが
堪えるし、未だぼーぜん。

長い間ガン手術、治療をして来た
ギタリスト、エディーヴァンヘイレンが亡くなりました。
65歳でした。

私の最初のギターヒーロー。
特にテクニック的に。
一番最初にギターコピーし始めたのって
あの革命的ギターソロ曲「イラプション」
リアルタイムで手に入れたライブビデオテープが擦り切れるほど見て
一曲目、サミーヘイガーの曲のヴァンヘイレンバージョン
「ワンウェイトゥーロック」で1ラウンドKOでした。


Van Halen - 1986 5150 Tour, New Haven, CT HD



当時、看板ボーカリストデイブリーロスが脱退し
歌唱的には上になるサミーヘイガーが加入した頃で
賛否両論でした。
しかし、上のライブ見せられると何も言えないのですよね、
カッコ良すぎて。
MTV的には「1984」の「JUNP」とか、リアルタイムな衝撃でしたが
作品的にも最高のアルバムサミーヘイガーが加入した「5150」聴かされたら
何も文句は言えなくなる。

1987年のライブのこのライブ映像がメチャクチャカッコ良いのですが

5150 van halen


Van Halen - 5150 (live 1989)


ヴァンヘイレンは1stから「5150」そしてボーカルがゲーリーシェロンになった
「VAN HEALN III」迄聞きましたが
1978年当時、あんなギターとアンプで
革命的ギターテクニック見せつけられたら衝撃の大革命だったでしょう。
事実、エディーのプレイ、テクニックから飛躍したモノは多いですし。
Charも衝撃受けたそうですな。
元祖では無いですが、当時ライトハンド奏法と呼ばれたタッピング奏法は
後々皆が猿の様にプレイし始めたのですし、時はズレても現に私もそうですし、
ボーカルの奴がヴァンヘイレン信者だったので、ライブでやる曲も
必然的にヴァンヘイレンの曲が多かったのです。
当時、私の周りにハードロック聴く、演奏する人間は多くなく
ボーカルがドラマーになり、私がボーカル、ギターになりこの5150やったり。

と、ダラダラ書いてしまいましたが、突然のニュースの衝撃で
テンパっているんですな。
いや、ガンでヘビースモーカーでこの時が来てもおかしくはなかったのですが‥。

また、改めて記事にしたいですが
私の最初のギターヒーロー、エディーヴァンヘイレンの死。
ベース&コーラスのマイケルアンソニーを追い出し
息子のウルフをベースに入れた事で完全に気持ちが離れたのですが
やっぱり来日公演は観ておくんだったなぁ‥。
エディーと開発した、又は独自で改造したギター、アンプ、
エフェクトプレイ、そしてテクニックに曲のセンス
偉業は数知れません。

今は追悼も何も頭に浮かびません‥。

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4 コメント

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悲しいですね・・ (Call_M)
2020-10-08 11:10:25
太郎さんご無沙汰です。
本当に突然でしたね・・
体調悪いというのは数年前から聞こえていましたが
まさかの訃報でした。
なんか一部の記事によれば。
彼はメタルピックを使用し、それをタッピングなどする時に口に咥えていたことでそこから癌が発症したとの本人談がありますがどうなんでしょうね?
いずれにせよご冥福をお祈り申し上げます。

彼の思い出というのは数限りなくあるのですが、
個人的にはこういう状況下で言うのは不謹慎だとは思いますが・・・
一番に思い出すのが彼がついた数々の嘘です(笑)
俺のマーシャルは200wまでパワーアップした。
(実際には80w)
新しい弦は貼る前にグラグラゆだった鍋で煮てから貼れば伸ばさなくてもいいなど・・
たくさんあります。まあ騙されましたね(笑)
彼のサウンドの事が知りたくていろいろ振り回されましたねえ・・
でもまあいい思い出です。
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Unknown (Home In My Shoes)
2020-10-08 23:15:34
こんにちは(´・ω・`)。追悼の意味でちょっと悲しい顔文字です。

太郎さんの最初のギターヒーローがエディだったんですね。それはさぞ衝撃も大きいかとお察しします。

78年デビュ−だったんですね。私は80年に高校生になってヘビメタブームが始まったので、雑誌にもよく取り上げられていたのを覚えています。

ギタマガで復活を祈っての彼の特集がありましたよね(自身がカットしたアイバニーズ・デストロイヤーぶら下げた表紙の)。あの中でしたか「真に革新的なギタリストはジミヘンとエディだけ」って書いてあったのは。違ったかしら。

息子入れたいのはわかるけど、最初から一緒にやってたベースマン追い出したのは私もがっかり(´・ω・`)でした。
返信する
Call_Mさん (太郎)
2020-10-08 23:59:16
ご無沙汰しております。
ヘビースモーカで長年ガン治療、手術したり、その後
デイブ体制で復活ライブで東京ドームで公演したりでしたが
参りましたね・・・・。
ジミヘンドリックス以降のロックギター革命児といえば
イングウェイとこのエディーバンヘイレンですからね、
今の子たちはルーツを知らずタッピングしている人も居るでしょうし。
と、メタルピックなんですか???癌発症。私、ステージのイメージで煙草かと・・・。
ギターのワット数を大きくしたはリッチーブラックモアでもありましたが
当時で200wですか。あの頃の機材であれだけドライブ音を出すには色々工夫が有った事ですが
エディーのマーシャルは普通よりも壊れるでしょうねぇ。
そして、ギターの弦の茹では私もやりました。
当時のロクfとかでもやっていましたが、私はエディー好きギタリストがやっている
その影響でしたが。初心者の頃にやったので全然分からず錆びて終わりました(笑)
今でも煮ている方は居るのですが。
プレイでも機材でも相当な革命児でしたねぇ・・・。
未だ現実感が無いです。
返信する
Home In My Shoesさん (太郎)
2020-10-09 00:11:05
こんばんは。ヴァンヘイレンフリークだった友人が入手した上のフルライブ動画は
エレキギター始めたばかりの小僧には衝撃的でした。
時代はイングウェイやスティーブヴァイでしたが、プレイに関してはほぼ興味持てなかったんです。
80年頃はまさにヘビーメタル系復活の年ですね。日本では翌年ラウドネスもデビューですし。
エディー復活号は、持っていないのですが
WASPのギタリストだったクリスから借りたデストロイヤーを
自分で鋸で切り使うもカットして音が悪くなったなんて書いてました。
ジミヘン、エディー、イングウェイがエレキロックギターの革命児ですよね。
その後になると誰が居?パンテラ位?しか思い浮かばず。
元々、何度もベースのマイケルアンソニーをクビにしようとしてビリーシーンを
勧誘しては断り、ビリーシーンは断られた後に自分のライブで
人生最高のプレイをし、その後トイレに籠って大泣きしたそうです。
後にヴァンヘイレン兄弟と決別した
サミーヘイガーとマイケルアンソニーがチキンフットというバンド組みましたが
マイケルアンソニーのハイトーンコーラスがあってこそ生きたデイブリーロスの歌でしたし。
チト、肥り気味な息子入れて気持ちは大きく離れましたが、観ておけば良かったと
今後悔しています。サミーヘイガーが悲しいツイートしてました。


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