ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

ゲーリームーアの思い出(一部)

2011年02月08日 | 音楽
訃報を知って24時間経ったというのに
未だ、信じられません、というか、信じられない。
ロニージェイムスディオが死んだ時以来の衝撃というか。(プロレスは別で)

長い間、温めていた「ブロディーvsマードック」がすっかり
吹っ飛んでしまいました(爆)

私のゲーリー、リアルタイムって、アルバム「ワイルドフロンティア」の頃でした。
高校生の時です。
来日時には「夜のヒットスタジオ」に出演して(多分口パク)
TUBEのメンバーが(特に春畑)興奮して街で見かけたゲーリーを
追いかけたという話がとても印象深かったです。
実は、その頃、ゲーリーってHR畑の人とは思っていなかったんです。
しかし、翌日、数少ない洋楽ファンの友達達と
「昨日のTV、ゲーリームーア観たか!?超カッコ良かったなぁ!」
そんな話で盛り上がりました。
そして、今は亡き、伊藤正則、和田誠、後当時、YG誌の編集長の山本さんの
日曜深夜のHR/HM専門番組、「PURE ROCK」(TBS)で
「ザ、ローナ」を弾く姿に、シビレました。
それは、同じく数少ない洋楽ファン達も同じで、
翌日学校で、「昨日TV観たか!?ゲーリームーア、超カッコええ!!」
そんな話題でした。

Music Video - Gary Moore - The Loner



当時、シャーベルのストラトタイプや
ヘイマーのエクスプローラタイプを使っていましたね。
(PVではジャクソンのソロイストですね)
ただ、このアルバムがリズムマシーンの打ち込みだった事を知り
ショックを受けた事があります。

後年、TBCの子達との恒例だった忘年会で
彼女達を迎えに行く時、女の子ばかりだった車の中
この「ザ・ローナ」(ライブバージョン)をかけていました。
それを聴いた一人が「えらくムーディーな曲をかけているじゃん!」と
笑って言われ恥ずかしかった事があります。

そして、アルバム「アフターザウォー」で
これまた、コピーするバンド、特にプロ系の
知り合いに多かったです。ライブでカバーを1曲挟む。
そこにこのアルバムからチョイス。

で、降って沸いたようなブルースブームがやってきて
ブルースなんてまだまだ理解出来ない10代のガキに
ゲーリーの「STILL GOT BLUES」は
とてもBLUESに入りやすかったです。
そして、あのアルバートキングと「Oh プリティーウーマン」で
競演を果たすという偉業?で、伊藤正則のラジオでは
タイトル曲とこのプリティーウーマンがやたらヘビロテされていました。
で、お決まりの、皆、コピーしまくり・・・(当然BLUESフィーリングなんて出せず)

しかし・・・あれ以来、BLUESに行ったきり状態・・・。
一度ハードロックに戻ってきたのかな・・・確か。
でも、BLUES畑の人になっていて、人気のあった日本でも
すっかりゲーリームーアの存在は忘れられてしまうように・・・。
BLUES2作目後のBLUESライブビデオをダビングして
1回観ただけで、押入れの何処かに閉ってしまいました。
(今度、見てみよう)

その後、今は亡き銀座の中古レコード屋「ハンター」で
「大いなる野望」のLPを買い、
取り付かれたように、サーモンピンクピンクストラトで弾かれた
この作品をむさぼるように聴いたのでした。

手元でLPはグレックレイクとのコラボと
シンリジーの「ブラックローズ」位しか無かったんで・・・。
(現在貸したまま行方不明)

長くなってしまうんで、ここで止めますが
ギタープレイにおいても、マイケルシェンカー、リッチーブラックモア同様
ゲーリームーアからインスパイアされたモノがとても大きかったです。
高校生当時、イングウェイ、ジョージリンチ天国だったので
私は、それに反抗して、レイドバックしていました・・・・。




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