ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

グレート草津vsルーテーズ 失神事件

2022年06月30日 | プロレス
国際プロレスの悲哀を思うと
とにかく、この事実上の旗上げ興行
昭和43年1月、日大講堂でのグレート草津vsルーテーズの
TWWA選手権の大失態が全ての始まりと思ってしまう程。
昭和40年に花形ラガーマンとして日本プロレスに入団した草津は
入門前から態度が悪く、入寮した日に袋叩きに合わせる事が決まっていました。
実際、慣行されたそうですし、同じく売り出す東京五輪レスリング代表の
サンダー杉山は歳下の後輩であるカブキを「坊や」と呼び怒ったカブキは
スパーをした後プロレスの練習でシュートパンチを入れ詫びさせたと。
(自伝にて)

東京プロレスと別れた後
国際は元々ヒロマツダをエースに準備していたもの
アメリカンスタイルのマツダと早稲田大学レスリング部出身の
吉原会長と多々合わず、別のエースを立てるという事で
超グリーンボーイのグレート草津をエースにして
TBSをバックに豪華外国人をグレート東郷ルートで確保し
旗上げ興行するも、実際TBSのプロレスに対して傲慢な態度の
TBSに腹を立てていたとの話も有るしトンデモ旗上げ興行となってしまいました。
往年のNWA世界ヘビー級チャンピオンのルーテーズがTWWAチャンピオン。
年齢からしても峠を超えていますがプロレスがまだガチの時代から
負け無し930連勝以上という記録を残すテーズが
ロクに練習していないわ態度も良くない草津の噛ませ犬になる訳にはいかない。
周りにけしかけられテーズにシュートを仕掛けた大木の額にパンチを入れ
大木は血塗れになったそうだし、現役ボクサーのパンチもかわせたテーズ。

一本目のバックドロップで失神KO、二本目以降試合放棄。
まだ娯楽が少ない昭和42年度、TVは大衆娯楽として
国民の日常娯楽。全国のお茶の間の人々の前で
生中継で大失神KO負け。国際プロレスはスタートのつまづきは
SWSどころでは無い屈辱の船出。
この後頑張り18年弱、良く頑張ったと思ってしまいます。

テーズvs草津の試合映像は出回っておらず
正直書きたい事は、何時ものこのYouTubeチャンネルで語られております。

グレート草津、のされる!昭和プロレス事件簿.20


動画後半で谷津の日本デビュー戦や猪木が若い武藤をコテンパに血だるまにした事を
引き合いに出していますが、谷津や武藤場合と草津の場合では
舞台や当時の時代、注目度では草津の方が遥かに重い立場の筈です。

国際旗上げに警戒心を表した日本プロレスが馬場vsクラッシャーリソワスキーとの
インターナショナルヘビー級タイトルマッチを蔵前国技館で
打った「隅田川決戦」ホント、両会場共、隅田川を挟んで直ぐの場所ですな。
リアルシュート。
そのビッグマッチで視聴率も日プロの勝利。
国際は視聴率で負ける以前に試合内容と屈辱的、失態の度合いが酷すぎる。
後年、草津が亡くなる前のインタビュー記事では東郷が
「Keep Down!」(寝ておけ)と言われたと「悪役レスラーは笑う」で
書かれていたそうですが、まともなプロレスの練習していないグリーンボーイ。
アメリカで一番成功した日本人レスラー、ジャイアント馬場とでは役者が違い過ぎる。
日本中のお茶の間で醜態を晒し恥をかいた草津と国際プロレス。
TWWA四連戦、豊登と杉山では‥NWA世界チャンピオンの象徴である男
ルーテーズの前に敵う筈は無く。
四週目にてNWAジュニアヘビー級王者、ダニーホッジに敗れるものの
ホッジは全米アマレス、ボクシングで好成績を収め多くの格闘技団体から
顧問への依頼が来た名レスラー。
今ならテーズvsホッジは物凄く見たいカードなのに、時代の先を走り過ぎた
国際プロレス。当時は日本人vs悪役外国人との闘いが基本。
日本人トップ選手との対決は御法度だった訳ですし
ファンも日本人より体の大きな戦勝国、アメリカ人を倒す事でストレス解消していたのですし。

日本での新団体旗上げ戦でここまでやるか!?と普通思いますよね
ルーテーズのバックドロップ。コレがガチなら下手したら
テーズも五体満足で帰国出来るか?分からないですし。
相当エグい角度で落とされたのかと思いきや
連写写真を見ると、通常のバックドロップ。
草津の受身の未熟さが原因との解釈も出ており。
この暗雲立ち込める国際のスタートの看板役者。

とんでもな船出だった国際、TBSも日本プロレスと同時刻放送は
国際が三週位、日テレに勝ったそうで、旗上げ戦で見切りを
付けなかったプロレスファンが多かったという事ですね。

開幕戦で大失態起こし、エースにはなれず、
国際は直ぐヨーロッパのレスリングスタイルの選手ビルロビンソンを外国人エースとし
草津はの次の日本人のエース、ストロング小林を苛め結局、小林は新日本に
抜かれ猪木戦を迎え二連敗。国際プロレスを立場を決定的に落とす事へと。
新間寿も櫻井康夫も猪木vs小林戦をベストマッチとしているそうですが、それにしても
デビュー戦でこうなった草津は元々の性格も含め
捻くれなければやっていられなかったのかも‥とも。
先輩の草内に虐められ吉原社長も庇ってくれず
(吉原は草津に丸め込まれた説も)パワハラに疲れ果てていた小林。
営業マンとしては才能豊かで国際の役員。
マッチメーカー‥国際女子部‥酒癖の悪さとどれも疑問符が付き、
草津の事を悪く言わなかったのは付き人だったアニマル浜口だけ。
小林の付き人だった元関取、大位山は「酒がなければ草津さん、良い人なんですよ」
そうラジオで話してましたな。
国際後半には腕時計を付けたままリングに上りコールで腕を上げてしまったという‥。
「夢のオールスター戦」で本当は坂口征二と闘う予定だったのに
「俺は出ないんだ」と三島で呑んだくれ、困り果てた付き人の高杉は
当日何とか会場の日本武道館へ連れてきたものの
坂口征二の対戦相手は大抜擢のロッキー羽田へと。
そして草津は坂口に間違えられ、小林は猪木に間違われるという哀愁(泣)
引退後は三島のガス会社の優秀な営業部長だったそうですが
国際の哀愁は、団体の本格的な始まり、
この「隅田川決戦」からマイナスのスタートの様に思います。
結果より試合内容に重きを置く吉原社長の気持ちはどうだったのか?
そして18年弱、新日本、全日本に大きく引き離され
後半は給料無しも人も居ながら頑張り続けた国際プロレス選手、スタッフ。
タラレバをアポロ菅原が自身のYouTubeチャンネルで話していますが
国際が上手く行っていたら、特に阿修羅原はエース、スターとなっていただろうと。
ラグビーで世界選抜に選ばれ人柄も良く、
国際崩壊後に移籍した全日本では中堅とは云え「全日本、第四の男」として
天龍革命前、時々スポットライトを浴びる機会が有ったのですし。


お金で動く外国人選手は当たり前の事ですが
蔵前でメインを張った馬場のプロレスの師匠
フレッドアトキンスが国際の旗上げ戦のメインレフリーだったのですね。
余談ですが、馬場は和田京平に「あんなジジイが何故あんなに強いんだ!?」
と語っていた程、炭鉱夫で鍛えた体が老いても強かったそうです。

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ブルースブラザーズ「 Sweet ... | トップ | フェンダーカスタムショップ ... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
凸樫さん (太郎)
2022-07-01 22:58:33
私としてはテーズvsホッジは観たい所です。(今の時代だからこそですが)
草津をエースにしスターにしようとしたTBSと東郷の思惑、当時の国際のレベル含めて
大失態と思います。後々、草津の行いへの悪評も広まり、より伝説化した感も。
(少なくとも私の中では)全盛期の馬場からも3カウント奪うテーズのバックドロップですし
ラグビーへの未練で上田馬之助に怒られる草津には荷が重いのに、TBSはテーズに負けブックを
飲ませたと思い放送したのでしょうかね。東郷を信用して。
そういえば普段、卑屈ムーブを売りとした東郷がテーズと本気のレスリングした
ストーリーの漫画がビッグコミックで連載された事が有りました。
大英帝国タイトルはJrヘビーでダイナマイトキッドが保持していましたな。
欧州からは最初にしっかりプロレスが出来る選手を呼んでロビンソン達を呼べる様になった、
その辺りの機転の速さは国際、流石と思ってしまいます。
ヨーロッパへ修行へ行く選手も増え、浜口はレスリング色強いAWAで活躍し
小林はその後WWFでもメインを張る訳ですし。
大山や力道山が半島の籍で有った事やプロフェッサータナカ、トージョー山本等
特に反日感情強い南部で日系人でヒールとしてビジネスをしていた人も居たり
東郷は日系と言われてますが力道山の出身が後で判る様に何が合っても当時なら不思議では無いかも。
マツダが合わず東郷&草津で売出しで大コケ、欧州、AWA、金網デスマッチ、カナダと
今より遥かに娯楽の少ない当時、全国放送の事実上旗上げビッグマッチで大失態を晒した
草津事件?から18年で激しい方向チェンジが有れども薄暗い照明の会場で人を集めた
国際の手腕は凄いと思う反面、プロレスラー草津は私が子供の頃からデスマッチでも
盛り上がらなかったという試合の酷評がインプットされております。
行き着く所、TBS、スポンサー、東郷、国際の思惑に大物ルーキーだった草津が乗った形ですね。
後、テーズも後年は新団体旗上げがコケ、ベルト利権テーズ杯ビジネスとイメージ落ちました。
私の中での「ミスタープロレス」はやはりテーズですが。
返信する
もう半世紀も以前ですが…?? (凸椪)
2022-07-01 20:06:21
>>そしてその後の3試合も見られたのですか…?
テーズと草津が開幕戦以降にノンタイトル戦でのテレビマッチを視たのは一戦だけだったと思います(それ以外の対戦はスポーツ紙で結果を知っただけ…)。何故かG東郷をレフェリーとしてセミ辺りで放映されていたのでしたが、東郷の“お粗末な”レフェリングによりデーズの岩石落しは不発のまま、煮え切らない草津のストレート負け。草津(正武)のリングネームは、まさしく新生・国プロのエース候補として東郷の「グレート」を冠したものでしょうが、正月の開幕戦以前、前年末、TBSテレビのボクシングやキックの放送席にゲストとして東郷&草津と並んで出演しているもの視ました。TBS局の新エースに対する期待のほどが感じられましたが、鉄人ルー・テーズとの格の違いがクローズアップされた結果に…。
ブッカー東郷からの法外な要求に異を唱えた国際には、同年2月辺りの次期シリーズで東郷による横槍外人勢が参戦をボイコットした結果、急遽、国際は欧州マット界から選手を招聘することになりましたが、最初からロビンソンやアンドレ、ホースト・ホフマン、G・ゴーディエンコ…といった大物が来日したのではなく、本格的なレスリングができるもののトニー・チャールズやシーン・リーガン…といった比較的小柄で地味なレスラーが多かったように思います(その後IWA世界選手権が制定される期間までは、即製のTWWAタッグタイトルはしばらくの間行われていましたが…)。大英帝国ヘビー級なんて“得体のしれない”タイトル戦も開催されておりました。草津が奪取・防衛を繰り返して、お茶を濁しておりました(笑)。
その数年後、親友だった(?)東郷とテーズは水面下で日本で新団体の設立を企てていたらしく、当時、大相撲の高見山(のちの東関親方)や、格闘技や他のスポーツ界の大物をスカウトして、日本マット界を席巻しようとする動きもあったようです。もっとも東郷は間もなくガンで亡くなってしまい、新団体も頓挫することになりましたが…。余談ですが、力道山時代から“守銭奴”の異名でブッキングした(外人)レスラーからもピンハネをしていた東郷は、草津の引退後のインタビューでは日系人ではなく、韓国系だと草津は語っていました。私は「ジョージ岡村」という日系アメリカ人だとばかり思っていましたが(空手の大山倍達と遠藤幸吉が米マット界に乗り込んだ時にも、当時の戦後間もない頃の反日意識が強かった時代に、日系ヒールとして暴れまわっていたのも雑誌等で聞いておりました)。
まぁTBSで放映する以前に国際を離れたヒロ・マツダがブッカーに就任するのを、テレビ局の意向もあって悪評名高いG東郷を連れて来たのが、そもそもの国プロのツマずきと言えるのではないかと思います。決して草津一人の力不足だけが原因ではないかと…。
返信する
凸樫さん (太郎)
2022-07-01 02:12:09
両方とも見られたのですか。そしてその後の3試合も。
半世紀経ったのも恐ろしいです。草津は早く亡くなってしまいましたし。
インター選手権の歴史はテリーファンク引退記念放送
セミのブロディvs鶴田戦に合わせ過去の主なインター選手権の歴史Vを流してましたな。
敗戦後、血を流しまだ高ぶっているリソワスキーに徳光氏はよくあんな事聞けたな!
そう恐れ慄きました。只でさえ荒くれモノのリソワスキーにブラスナックルで殴られないか?と
そのVを見てヒヤヒヤしました。
殆どはこの動画で語られておりますが伝説の大失態事件は子供の頃に知りました。
草津はA級戦犯にならず、よく引退まで、そして役員として幅を利かせられたな、と。
草津の試合といえば、まずこの試合が頭に浮かびます。
そして最近見たコレも。
https://m.youtube.com/watch?v=yOCmQOAsBKE
デスマッチでの流血顔も印象深いのですが、vsマクダニエルvsブルーザー、リソワスキーと
中々、酷評された試合のイメージも子供の頃から持っておりました。
豊登は思い起こせば、何だか疑惑のWWA世界チャンピオンでもあったのですよね。
トルコの東郷襲撃事件も歴史的ですね。というか当時のプロレス界含め全てが物騒だった事でしょう。
ヨーロッパ路線への切り替えはかなり冴えている様に思いました。
カナダのフランス語圏内からもトップレスラー達が上がる訳ですし。
ただ、国際をリアルタイムで見れなかった私は「国際=金網デスマッチ」と
「猪木vs国際軍」で、今動画で観れる様になった12ch時代の国際プロレスを楽しく拝見しています。
ヒールレスラーとして鳴らした鶴見がバケモノ系が多い日プロが好きでは無く
レスリング見せる国際に入団したという話は驚きでした
後年、本当にバケモノだらけと闘う鶴見の闘いとは正反対ですが。
華やかさと体格面ではどうにも他団体に歯が立たず苦しい経営となりますが
スター選手という面で馬場、猪木に勝る、同等の選手は日本プロレス史においては
力道山とタイガーマスク、前田位しか思い浮かばないです。一時代を造ったという意味で。
返信する
もう半世紀も以前ですか…?? (凸椪)
2022-06-30 18:21:57
この「隅田川決戦」は両方ともテレビ観戦していました。馬場を擁する日本プロレスは夕方5時台からの特番で、クラッシャー・リソワスキーとのインターナショナルタイトル戦。負けたC・リソワスキーが控室でのインタビューも放送されました。怒り狂ったリソワスキーにマイクを向けたのは、当時、NTV局アナだったT光K夫氏で、まだ全身から“湯気”を起ち上らせて興奮したリソワスキーにマイクを奪われ、怒アップの彼が画面に映し出されたのを思い出します。
7時のゴールデン枠に合せて、TBSに日大講堂からの中継が始まりましたが、日テレ側で先に流して“機先を制する”思惑があったのでしょう!?問題の一戦は数分間の攻防のうちで、ヘッドロックからロープに飛ばされリバウンドで返って来るG・草津のラクビー仕込みのタックルでテーズが吹っ飛ぶシーンが唯一の“観せ場”でしたが、リング上に大音響で必殺岩石落しに脳天を叩き付けられて、あえなくG・草津は終わり。2~3本目はレフリーストップにより行われず、さらにその後の2~3戦目も杉山・豊登・ホッジが挑戦者となったテレビマッチで、最終戦でテーズのリングアウトでホッジが辛勝して“世界選手権”を渡されることになったと思いましたが、自分はまだ小中学生の頃だったので、豊登とテーズ以外はよく知らず、後々、草津について色々と情報を得たのが実際です。ヒロ・マツダに代わるエース格としては役不足だったのでしょうが、テーズは怪力豊登と、レスリング五輪代表の杉山については紙(誌)上でそれなりに評価していたと思いました。ただやはりホッジの方を重用したのでしょうか?
草津は開幕戦以外でも、何度かローカル試合で対戦がありましたが、やはり殆んど勝負にはならなかった感があります。
TBSプロの開幕戦には、他に“怪しげな”外人が参戦しており、いわくクラッシャー・コワルスキーとかブルドック・ブラワーとかが、G・東郷の高額なブッキング料で出ていましたけれど、その東郷も大木金太郎の引き抜きに失敗した挙句、日プロのユセフ・トルコに投宿していたホテルで痛め付けられ、国プロともトラブルを起こし、外人勢を引き上げさせて帰国の途に。困った国プロは、アマレス界の八田一郎氏の尽力で外人ルートを欧州路線に切り替えた結果、アンドレやロビンソンを“発掘”したものの、やはり彼らを迎え撃つ日本勢がスター性に欠け、当時、猪木や馬場を擁する日本プロレスと比較すると役不足だったのは否めませんでした。
「理想のプロレス」を標榜して日プロから独立した吉原功氏の描いていた団体の有り様が、テレビ局の意向に引き摺られてしまい、氏の理想の姿とかけ離れたしまったのが、国際プロレスの悲劇と言えるかと思います。
返信する

コメントを投稿

プロレス」カテゴリの最新記事