新日本プロレス関連動画は早々と消されて、
この記事、前に仕込んでおいたのですが、まだ生きていたみたいです。
ホーガンは既にWWF王者の頃ですかね?
ロックバンドのギタリスト?ベーシスト?からプロレス転向って。
でもその経歴があるからこそ物凄い華の有るレスラーになったのかも?
何やら、レスラー志望でフロリダのエディーグラハムの所に来たのか?
フロリダで活躍中だったマサ斎藤とカブキ(高千穂)がデュークケオムカに呼ばれ
練習場に行ったらガタイの良い頭の薄い兄ちゃんが居て
レスラー志望だから、相手してやってくれとマサ斎藤が四つん這い状態から
攻めさせたら、瞬間に返され締め上げられたそう。
プロレスはそんな甘いモノじゃないと言われたホーガンは
AWAのミネアポリスへ行ったのか、そのままフロリダのヒロマツダの所へ行ったのか?
MSGでテッドデビアス相手に戦慄のデビューをした、と
漫画「プロレススーパースター列伝」では書かれているのですが、
コレはWWWFでのデビューで本当は数居るスーパーデストロイヤー相手の
デビュー連勝街道だったそうで。
漫画では猪木vsアリに刺激を受けてレスラー志望と書かれているも、
本来はビリーグラハムに憧れたそうですね。
でも、過去の発言を取って、イノキと対戦出来るなら全ての予定を
キャンセルしてでも闘う!なんて尊敬を持ってましたね。
初来日、参謀に付いた名伯楽フレッドブラッシーと来日した様で
木偶の坊扱い、ブラッシーには何度も叱られ小さくなってたと。
漫画ではエース、ハンセンやバックランドの嫉妬等
色々面白おかしく?子供用に書かれておりますが、
ハンセンも相手を認めるナイスガイで対戦後仲良くなった光景が描かれてましたな。
初めて観た猪木vsホーガンは‥凄いホーガンコールで入場し
初見で子供の私には「???」でしたが、9分位で
猪木の卍固めでギブアップ。人気外人レスラーにしては呆気ないなぁ、と
そう思ったんです。
しかし、その後スターぶりを知り、ヘビー級転向の藤波を倒し
アンドレと肉弾戦をしたり、突然、日本チームで戦い
毎週猪木とタッグを組み、シングルでブッチャーと流血ファイト。
この試合はホーガンが流血した時点で怖くてTV消してしまいました。
後、日本での必殺技、アックスボンバーはミスター高橋と開発したと
高橋本に書かれてますな。
まあ、日本でホーガンの地位というか頂点に立たせたのは
IWGPの猪木、舌出し失神事件ですね。社会ニュースにもなった。
アレはホントビックリしましたね、後々知る猪木の単独犯事実に。
ホーガンは動揺、坂口は「人間不信!」をデスクに紙を置き
ハワイへ数日失踪と。
ホーガンもアメリカWWFのスケジュールが多忙だった様ですが。
翌年、IWGP王者として蔵前国技館で猪木を迎え打った
コレまた歴史に残る、長州乱入事件でリングアウト勝ち、
そして蔵前国技館で観衆が大暴動と。
暴動事件は後々知るのですが、今のプロレス界では想像も付かない元気な時代ですね。
この猪木の策士ぶりが吉と出るか?凶と出るか?
その後、ホーガンの来日も減り、不可解なリングアウト勝ちで
猪木がIWGP王者となった事でアングル終結か?
個人的にも意識がフェードアウトして行きました。
新日本内でもタイガーマスク引退、コブラデビュー、
長州、UWF勢離脱や、
全日本でもチャボゲレロが大仁田を大流血(コレはやっちまった事件でしょう)
デビッドフォンエリックが初来日でドラッグで急死と。
リアルで衝撃な話題が子供には満載でした。
そういう頭の中、この試合は全く記憶に無いんですな。
ホーガンはベルト巻いているし。
アントニオ猪木VSハルク・ホーガン
二年越しの衝撃IWGPブック破り事件ストーリーから
チト熱が冷めた感じなんですが、
どうして記憶が無いのだろう?観ていないのか?
興味が薄かったのか?塾だったか?
アメリカでスーパースターになったホーガンは
全日本、WWF、新日本の東京ドームで観たハンセン戦が日本マットで最後でした。
SWS来日の頃はSWSはもう金権プロレスと叩かれまくられてましたし。
サイパンで観たマンデーナイトロのホーガンはチト‥。
此方でもUHFでWCWが観れましたが
アックスボンバーで相手を吹っ飛ばしてきたのに、
なぜ、あんな遅いレッグドロップ(ギロチンドロップ)でフォールなんだ?と。
(若い勢いと、日本人と米人の体格差、バンプスキルも関係あるのかな?)
TV解説のタイガー服部は、全ての試合観てイラつき文句言ってましたし。
この記事、前に仕込んでおいたのですが、まだ生きていたみたいです。
ホーガンは既にWWF王者の頃ですかね?
ロックバンドのギタリスト?ベーシスト?からプロレス転向って。
でもその経歴があるからこそ物凄い華の有るレスラーになったのかも?
何やら、レスラー志望でフロリダのエディーグラハムの所に来たのか?
フロリダで活躍中だったマサ斎藤とカブキ(高千穂)がデュークケオムカに呼ばれ
練習場に行ったらガタイの良い頭の薄い兄ちゃんが居て
レスラー志望だから、相手してやってくれとマサ斎藤が四つん這い状態から
攻めさせたら、瞬間に返され締め上げられたそう。
プロレスはそんな甘いモノじゃないと言われたホーガンは
AWAのミネアポリスへ行ったのか、そのままフロリダのヒロマツダの所へ行ったのか?
MSGでテッドデビアス相手に戦慄のデビューをした、と
漫画「プロレススーパースター列伝」では書かれているのですが、
コレはWWWFでのデビューで本当は数居るスーパーデストロイヤー相手の
デビュー連勝街道だったそうで。
漫画では猪木vsアリに刺激を受けてレスラー志望と書かれているも、
本来はビリーグラハムに憧れたそうですね。
でも、過去の発言を取って、イノキと対戦出来るなら全ての予定を
キャンセルしてでも闘う!なんて尊敬を持ってましたね。
初来日、参謀に付いた名伯楽フレッドブラッシーと来日した様で
木偶の坊扱い、ブラッシーには何度も叱られ小さくなってたと。
漫画ではエース、ハンセンやバックランドの嫉妬等
色々面白おかしく?子供用に書かれておりますが、
ハンセンも相手を認めるナイスガイで対戦後仲良くなった光景が描かれてましたな。
初めて観た猪木vsホーガンは‥凄いホーガンコールで入場し
初見で子供の私には「???」でしたが、9分位で
猪木の卍固めでギブアップ。人気外人レスラーにしては呆気ないなぁ、と
そう思ったんです。
しかし、その後スターぶりを知り、ヘビー級転向の藤波を倒し
アンドレと肉弾戦をしたり、突然、日本チームで戦い
毎週猪木とタッグを組み、シングルでブッチャーと流血ファイト。
この試合はホーガンが流血した時点で怖くてTV消してしまいました。
後、日本での必殺技、アックスボンバーはミスター高橋と開発したと
高橋本に書かれてますな。
まあ、日本でホーガンの地位というか頂点に立たせたのは
IWGPの猪木、舌出し失神事件ですね。社会ニュースにもなった。
アレはホントビックリしましたね、後々知る猪木の単独犯事実に。
ホーガンは動揺、坂口は「人間不信!」をデスクに紙を置き
ハワイへ数日失踪と。
ホーガンもアメリカWWFのスケジュールが多忙だった様ですが。
翌年、IWGP王者として蔵前国技館で猪木を迎え打った
コレまた歴史に残る、長州乱入事件でリングアウト勝ち、
そして蔵前国技館で観衆が大暴動と。
暴動事件は後々知るのですが、今のプロレス界では想像も付かない元気な時代ですね。
この猪木の策士ぶりが吉と出るか?凶と出るか?
その後、ホーガンの来日も減り、不可解なリングアウト勝ちで
猪木がIWGP王者となった事でアングル終結か?
個人的にも意識がフェードアウトして行きました。
新日本内でもタイガーマスク引退、コブラデビュー、
長州、UWF勢離脱や、
全日本でもチャボゲレロが大仁田を大流血(コレはやっちまった事件でしょう)
デビッドフォンエリックが初来日でドラッグで急死と。
リアルで衝撃な話題が子供には満載でした。
そういう頭の中、この試合は全く記憶に無いんですな。
ホーガンはベルト巻いているし。
アントニオ猪木VSハルク・ホーガン
二年越しの衝撃IWGPブック破り事件ストーリーから
チト熱が冷めた感じなんですが、
どうして記憶が無いのだろう?観ていないのか?
興味が薄かったのか?塾だったか?
アメリカでスーパースターになったホーガンは
全日本、WWF、新日本の東京ドームで観たハンセン戦が日本マットで最後でした。
SWS来日の頃はSWSはもう金権プロレスと叩かれまくられてましたし。
サイパンで観たマンデーナイトロのホーガンはチト‥。
此方でもUHFでWCWが観れましたが
アックスボンバーで相手を吹っ飛ばしてきたのに、
なぜ、あんな遅いレッグドロップ(ギロチンドロップ)でフォールなんだ?と。
(若い勢いと、日本人と米人の体格差、バンプスキルも関係あるのかな?)
TV解説のタイガー服部は、全ての試合観てイラつき文句言ってましたし。
ホーガンの前身のロックアーティスト時代にも筋トレで鍛えていたらしく、限界を感じていた音楽生活に見切りを付け、自らの体格とパワーを活かせるレスラーとして再起を図ったのかと思えます。ただ後年はいざ知らず、駆け出しの頃はかなりショッパかったように視(観)えました。でもWWFシーンではトップとしてあれだけのスター性を披歴したものの、敵役として出演した映画『ロッキー3』では、ボクサー役のスタローンに飛行機投げでリング外に投げられた結末には…??
ギャラで動くのは当たり前の外国人レスラーですし
華のある2団体、興行の度にどんどん客が減る国際は
悲しいモノがあります。哀愁と名付ける人もいましたな。
人情派のアンドレが新日本に上がっていても、レスラーとして成長させてくれた国際が好きで
ギャラはいくら安くても良いから出たいと自由に国際に上がったというのは
しんみり来る話です。
兎に角外国人ギャラが上がりすぎて、日本人対決へシフトしたのは
名案だったかもです。ただ、馬場がシブ過ぎて結局報われない天龍達が
SWSへ移ったというのもなんだか合点が行きます。
と、ホーガンですが、調べたらある時期にボビーダンカン経由で
全日本とサインしたのを新日にストップされ
面子を潰されたテリーファンクに殴られたという逸話は知ったばかりでした。
ロッキー3に出たりシンディーローパーのボディーガードしたり話題を呼びましたが
当時のマーケット、やはり自分の売り時を見極めていたホーガンだったのかも、と思いました。
日本では長州力ですが。
何にしろ馬塲派・全日派の私(笑)なので、この時期の猪木は「なんで、いつまでもメイン張ろうとすんのかな。猪木信者はそれでもいいのかな」と思ってみてました。
ホーガンが圧倒的に強いとは見えないのに、どう見ても勝ち目ないっすよね。押されまくったあげくに「魔性の闘魂」とか言って反則まがいのスリーパーで勝ってたのもこの頃でしたでしょうか。
スティーブ・ウイリアムでもコンガ・ザ・バーバリアンでも、インサイドワークで翻弄とはもう行かなかったですもん。
ただ、「全盛期だったら勝ってたのかな」とか思って見てました。全盛期猪木って全然知らないのですが、きっとセメントも強そうで魅力的なレスラーだったと思うので(*´ω`*)。
ホーガン、それほどステロイドっぽい体じゃなかったんですね。もっと後にどうなっていくのかな。
と、糖尿病抱えても、やはり猪木がメインという
TV局側の意向も強いと思います。
この頃佐山は居ないですがその前は
タイガー、藤波長州、猪木流れが鉄板でしたしね。
馬場派に嫌われるのも解ります。あの藤井教授のトークが忘れられず笑
まだ猪木はギリギリ強さを保っていたと思います。
この頃のホーガンよりインサイドワークは猪木に軍配の気が。
と、スティーブウイリアムスの頃はもう落ちてましたし、
何より、あの頃のウイリアムスは下手だったんでしょうね。
やっちまったな!事件ですねぇ。
日本プロレスの中でスパー、セメントは北澤氏やグレート小鹿も語ってましたが
力道山でも猪木を止められなかったそうです。
この頃は猪木信者はまだまだ沢山居ますよね。
前田が言った「猪木なら何やっても許されるのか!?」時代ですかね。
ホーガンはこの頃の身体の方が魅力的に思えるのですが
WWFやWCWではやはりマッチョマンで居ないとだったでしょうねぇ。
後々WCWなんかではホーガンが小さく見える位、大型レスラーだらけですし
アメリカという国が大きければ良い!というお国柄も有ったしで。
どうにもWCWに私は乗れなかったです。
この試合後、実際に救急車に乗ったのは、猪木ではなく前田日明だったという事を、徳光和夫の自慢できる話という番組内で、ゲストで出ていた前田本人が、もう時効なのか話していました。
坂口さんが、猪木さんの舌を引っ張りだしていた事まで話していました。
前田は、よく「プロレスではアントニオ猪木には敵わない」と話していますが、
第1回大会では負けても、そこから面白くするのが猪木なのかなと。
猪木は年末のタッグリーグ戦でも、坂口とのタッグで、藤波&木村組に負けましたよね。
あれは、ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦だったと思いますが、途中で2対1に近くなってしまい、
最期はドラゴンスープレックスでしたよね、確か。
引分けの痛み分け、という結末だったかな。動画は削除されてしまい。
猪木下出し事件は猪木が舌を巻いたのを木村健悟が引っ張りだしたら
舌出しになったという猪木の勝手なアングル大変更だった様で。
3年がかりの大構想をたった10数分で周りの全ての努力を無に喫した!かと思いきや
この事を伝説にしてしまう猪木バッドエンド構図。
坂口は猪木の独自のセンスに自分は及ばないと語ってましたが
私は猪木が優勝出来なかった、という事より事故?に全て頭が行きIWGPどころでは無くなってました。
アメリカでは田舎回りだった猪木が力道山の勝負師センスを継承したのかな、とも。
猪木のプロレスセンスを上回る力量を持っていたのは武藤かな?とも思いますが
前田が純プロしていたら猪木の様な伝説にはならなかったでしょうね。
プロレスもリアルフェイトも猪木さんは只者ではないから、とYouTubeで語ってましたし。
しかしカレリンから一本取ってしまう前田も凄いのですが。
タッグリーグの頃は私一時期、新日本離れしていました。
音楽や部活、バイト等でプロレスに関心が薄れてた時期で実際TV観て居ないんです。
ブロディーボイコットの流れで、やはり猪木組が優勝では世にインパクト残せないという
マッチーメーカーや猪木達の考えと解釈しました。