ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

将軍KY若松

2019年04月29日 | プロレス
今、兵庫但馬におりますが、以前MIYUKIさんに頂いた

国際プロレスのパンフレット、家に置く場所が無く

この兵庫但馬の物置家?に持って来てあったのですが70年代~崩壊に向かう迄の

国際プロレスのパンフレット達を見ています。

やはりジプシージョーを大きく売り出してますね。

当時全米でトップを取っていたアレックススミルノフが

全米では無名なジプシージョーをエースヒール外人レスラーにする事を

嫉妬で(もしかしたらアホらしいのか?)

「米でトップ取ってる俺じゃなくて全く売れてないあんな奴をトップにするんだ!?」と

仲の良い日本人記者に愚痴ってたそう。

(その記者の見解はアレックススミルノフは善人過ぎてトップから下ろされたのでは?とも。)

と、話がズレましたが、国際プロレスのパンフレットを見ると

全日本、新日本と比べ「華」が無いというか、よく言われた様に

「元祖インディー」という感じもします。

国際初期はAWAと提携してレスリング色が強く

バーンガニア、ニックボックウィンクル、ビルロビンソン等スター外人選手を招聘してたのが

ギャラが高く(ブッカー、グレート東郷の搾取が有ったかも)

新人で売り出した悪名高き?グレート草津をエースに

招聘した超一流レスラー、ルーテーズと対戦させ日本プロレスと

「隅田川戦争」をしたのに三本勝負の一本目に伝家の宝刀バックドロップを喰らいそのまま失神負けと

後の国際プロレスの行方を見てしまうかの様な大失態を。

(草津はグレート東郷に「そのまま寝てろ!」との指示でそのまま寝てたという説も)

と、パンフレット見てもかなり泥臭さを感じます。

猪木はエースだったラッシャー木村達の国際はぐれ狼軍を

本当に酷い扱いで潰してしまいましたしね。

後に日本のトップ戦線で二番手として光を浴びれたのは

アニマル浜口と阿修羅原位でしょうかね?

ラッシャー木村も可哀想な役割で、人間の良いマイクアピールで人気モノになる位迄

国際血盟軍とか、地味なヒール役。

(馬場・木村vsハンセン・天龍は凄かった)

と、話が本当に脱線してしまい、本題に行きましょう。

私がプロレス観始めた年に国際プロレスは潰れました。

カタログで端の方に案内されている前座選手

若松市政は子供の頃にも何か良いイメージでひっかかってたのですよね。

その若松を初めてテレビで観たのは衝撃のマシーン軍のマネージャー、

山高帽にサングラス、白い服にメガホンと鞭で登場した若松。

あのアングルは衝撃的でしたねぇ。

メガホンで耳障りな罵声で罵り、ファンの憎悪を買い「帰れコール」の日々。

私も当時、本当に若松に激怒して、上手く乗せられていました。

平田扮するストロングマシーンを初め地味な雰囲気のマシーン軍、

完全に若松が主役で一番輝いていたと思います。
トップヒールマネージャーですね。

「猪木!お前を倒すのは三分も要らねぇ!五分で充分だ!」

「おい!高橋!聞こえねぇのか!!おーい、高橋さーん……」

等、名言(迷言を残し)後にアンドレザジャイアンがストロングマシーンの覆面を被り(M高橋案)

ジャイアントマシーンとして登場させた時の衝撃は忘れられないです。

その後、盟友アンドレと組み、アントニオ猪木、上田馬之助と

超一流選手と試合した事は前座レスラー若松市政として最高のハイライトだったそうで。

ホント、ラジオ、真夜中のハーリー&レイスに出演した時の若松

人間としての深みと情を感じて大好きなんです。
何度聴いた事か?


"悪のマネージャー将軍KYワカマツがラジオに登場" を YouTube で見る



中学卒業後、電気技師として8年働き、漁港の荷夫で二年働き

30歳で国際プロレスの資材部に入社、リング設営、

バスの運転、宣伝カーに乗り各地で営業した後、31歳で格闘技のバックボーン無しでプロレスデビュー。

レフリー、名マネージャーとして重宝され

特にカナダのスタンピートレスリングでは残ってくれ!と拝み倒されたり

国際時代からの若松の頑張りを知ってるアンドレから一緒にニューヨークでやろう、

と誘われたり本当に人間力ですよね。ヒール程、善人な人格者が多いという

日本人代表格の一人でしょうね。

プロレスから離れた後、地元、北海道芦別市で四期市議を務めたというのは

ラジオで初めて知りました。

全盛期マシーン軍の動画を探したのですが、上手くヒットしませんでした。

そして、日本プロレス界伝説のアンドレvs前田のセメントマッチ。

リンク下でアンドレのマネージャーとしてメガホンで怒鳴り立てていた若松、

この試合の感想は「良い試合!」と論評しているのが印象的です。

"【伝説】前田日明 vs アンドレ・ザ・ジャイアント" を YouTube で見る


お酒を飲んだ状態でセメントしかけたアンドレは
前田のローキックで逆襲を喰らいますが

マットで倒れた後、大の字で横になったのは

若松曰く「アンドレ程の名人はグランドで仕掛けて来い!」だったと。

前田、アンドレ、そして散々罵声を浴びせた実況の古舘伊知郎、

国際プロレスの吉原功社長、新日本のアントニオ猪木への感謝

義理固さ、人情味。大好きな回です。このラジオ。

カナダでのダイナマイトキッドのいたずら癖やバッドニュースアレン等

とても聞き応えの有る若松のラジオ登場。

子供の私は、まんまと「若松劇場」(近所に同名のストリップ劇場有りました)に

乗せられた私。高いプロレスチケットは滅多に買えないので

テレビの前で、散々ヒートして若松に怒っていた子供の頃が懐かしいです。


ホント、ストロングスタイルとは相反するアメリカンプロレスな演出で、

見事に若松はそれを演じ切った訳ですね。

真面目な苦労人だから出来た仕事だったのかも知れません。

(今月、芦別市義に再当選したそうです)

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4 コメント

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魔神風車固め (喜一)
2019-06-19 08:10:44
マネージャー若松!!
僕は、若松さん大好きでした。
アンドレもマシンのマスクを被った事がありましたね。
ジャイアントマシーン。
ラリアットを得意にしていたかな、その頃は。。
若松さんは、新日本を本当に盛り上げてくれましたね。
藤波さんが、マシン1号のスーパーストロングマシンと試合してた頃が、僕には新日が一番輝いて見えました。
猪木も若松に鉄拳制裁や延髄など最後は容赦なかったですけど、観客は大喜びでしたね。
それだけヒールとしても高く評価されていたんだと思います。
マシン軍団とかがあった新日本はオシャレですね。
スーパーストロングマシンの魔神風車固めも凄い技でした。ダイビングヘッドバットやラリアットを想い出します。。

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喜一さん (太郎)
2019-06-19 22:12:19
突然、変な男が登場したな、と思ったら若松市政でした。
真面目な人というイメージだったのにあのノイジーなメガホン攻撃は
余計神経を逆撫でさせました。
ジャイアントマシーンは強烈でしたね。ミスター高橋が恐る恐るマスク出したら
アンドレはお大喜びで被り、しかもマードックが羨んだと。
マシン4号に高野俊二が登場して、すぐ若松を裏切ったのも面白かったです。
マシーン軍の主役は若松だった位のインパクトでした。
アンドレと組んで猪木、上田と戦った試合もインパクトありましたね。
元々、国際プロレスでは前座レスラーでしたし。
SWS設立には若松が中心に動いたそうですがマッチメーカーの
カブキととことん折合いが悪かったそうです。
PWCでは保坂達、若手レスラーに敬語で話してたそうですよ。
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Unknown (Home In My Shoes)
2019-12-23 23:21:38
こんにちは。

ホント、太郎さんの記事は面白くて刺さるものが多いので、コメントしょっちゅう入れさせてもらってすみません。

当時読んでた「週刊ビッグレスラー」誌(後に廃刊)に、国際プロレスの選手を描いたドキュメント連載があったのですが、若松が印象深かったのを思い出しました。

内容は太郎さんが紹介されている通りのもの(=事実)ですが、その事実が凄いですもんね。地元で応援してくれる人たちに錦を飾りたくて、海外遠征にどうしても出たかったというくだりは泣けました。実際に万歳三唱で男泣きだったそうです。

猪木とのタッグマッチ、無茶すぎるマッチメークでしたが、意外な善戦ぶりもよかったですよね。やりきった人でしたねー。
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Home In My Shoes さん (太郎)
2019-12-25 22:50:01
こんばんは。
いやいや、こんなに読んで頂き恐縮です。
ビッグレスラーって週刊だったのですか。
ザッツレスラー、ビックレスラーとは違う雑誌かしら?
国際プロレスのパンフレットの選手欄には「真面目な常識人」
というような書かれ方していました。
で、SWSの選手集めに奔走した事やカブキの本で「若松はストゥージーだ!」と
人間否定に近い表現と犬猿仲に残念感を持ちました。
バックボーン無しで国際プロレス入社で広報部に居た更に下積みですもんね。
新日本に出た事で人生が変わった!そうで。(良い意味で)
カルガリーでも大活躍し、高野俊二に「お父さん」と呼ばれているそうな。
猪木、上田戦は本人のハイライトだそうですね。
プロレス技らしきモノはボディースラムだけでしたが、
前座レスラー若松一政の大健闘試合にも思えました。

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