元、国際プロレスのグレート草津さんが癌で亡くなりました。
享年66歳。
S56年の国際プロレス崩壊と共に引退し、静岡県三島市で
湯沸かし器の営業マンをし、成績優秀で、営業取締役になっていたそうな。
息子は故アンディーフグのチームアンディーとしてK-1でデビューし
18戦こなし引退したそうですね。
ミスターデンジャー、空手家、プロレスラーの松永相手にK-1デビューした
その時は覚えています。
今では母親の鬱病の経験を生かし、アドバイザー的な事やっているとか。
その亡くなった、父の草津はラグビーをからS41年に
ジャイアント馬場の付き人を経てデビューするも、
日本プロレスの酷い会社組織に嫌気がさし
故、吉原勇氏と共に飛び出て、国際プロレスに参加。
やはり、一番イメージが大きいのはやはりルーテーズのTWWA戦での
バックドロップKO失神の不名誉なイメージですねぇ。
後年、憶測が飛びますが、本当に受身を取り損ね失神したのか?
アングルによる失神なのか?やはり不明ですね。
大きい試合だっただけに、そのイメージは強かったです。
私がプロレスを観るようになった頃には国際プロレスは崩壊していましたが
私は雑誌等でガキながら情報収集をしていました。
その1つが写真のラッシャー木村に継ぐデスマッチの達人に仕上げようとして
これまた失敗・・。
写真はS47・11.27の、ストロング小林と組んで、
デックザブルーザー、クラッシャーリソワスキーの「ぶち壊し屋タッグ」との
金網デスマッチで「ぶち壊し屋」チームにKOされ、「ぶち壊し屋」が
試合放棄して帰ってしまい、観客が暴動を起こした、
インデアンストラップマッチの名手、ワフマクダニエルとS48.11.28
金網+インデアンストラップマッチでKO勝ち、
それも、マクダニエルのアクシデントで負傷によるKO勝ちと
アングルにしては、草津も気の毒な展開で・・・またS50年代の雑誌
(S58年の別冊ゴング「デスマッチ」参照)でも評価が低い。
そして、唯一、良い評価を得ているのが、木村が「金網デスマッチの鬼」として
成功。草津を「チェーンデスマッチの鬼」にしようとした
覆面レスラーのザ・キラー相手に、アメリカで経験のあるチェーンデスマッチで
本場仕込みのチェーンさばきを見せ、バックドロップで見事KO勝ち。
マクダニエルのインデアンストラップマッチは後年DVDで観れましたが
草津氏のイメージは子供心に、こういうイメージとなっていました。
しかし、才能と立派な体格を持ちながら、未完の大器をして
引退した感が強いのが残念です。
当時、手腕を買われ、現場責任者をやっていて、引退後、
営業マンとして、出世したのも、こういうバックボーンがあるからかもですね。
ご冥福を祈ります。
享年66歳。
S56年の国際プロレス崩壊と共に引退し、静岡県三島市で
湯沸かし器の営業マンをし、成績優秀で、営業取締役になっていたそうな。
息子は故アンディーフグのチームアンディーとしてK-1でデビューし
18戦こなし引退したそうですね。
ミスターデンジャー、空手家、プロレスラーの松永相手にK-1デビューした
その時は覚えています。
今では母親の鬱病の経験を生かし、アドバイザー的な事やっているとか。
その亡くなった、父の草津はラグビーをからS41年に
ジャイアント馬場の付き人を経てデビューするも、
日本プロレスの酷い会社組織に嫌気がさし
故、吉原勇氏と共に飛び出て、国際プロレスに参加。
やはり、一番イメージが大きいのはやはりルーテーズのTWWA戦での
バックドロップKO失神の不名誉なイメージですねぇ。
後年、憶測が飛びますが、本当に受身を取り損ね失神したのか?
アングルによる失神なのか?やはり不明ですね。
大きい試合だっただけに、そのイメージは強かったです。
私がプロレスを観るようになった頃には国際プロレスは崩壊していましたが
私は雑誌等でガキながら情報収集をしていました。
その1つが写真のラッシャー木村に継ぐデスマッチの達人に仕上げようとして
これまた失敗・・。
写真はS47・11.27の、ストロング小林と組んで、
デックザブルーザー、クラッシャーリソワスキーの「ぶち壊し屋タッグ」との
金網デスマッチで「ぶち壊し屋」チームにKOされ、「ぶち壊し屋」が
試合放棄して帰ってしまい、観客が暴動を起こした、
インデアンストラップマッチの名手、ワフマクダニエルとS48.11.28
金網+インデアンストラップマッチでKO勝ち、
それも、マクダニエルのアクシデントで負傷によるKO勝ちと
アングルにしては、草津も気の毒な展開で・・・またS50年代の雑誌
(S58年の別冊ゴング「デスマッチ」参照)でも評価が低い。
そして、唯一、良い評価を得ているのが、木村が「金網デスマッチの鬼」として
成功。草津を「チェーンデスマッチの鬼」にしようとした
覆面レスラーのザ・キラー相手に、アメリカで経験のあるチェーンデスマッチで
本場仕込みのチェーンさばきを見せ、バックドロップで見事KO勝ち。
マクダニエルのインデアンストラップマッチは後年DVDで観れましたが
草津氏のイメージは子供心に、こういうイメージとなっていました。
しかし、才能と立派な体格を持ちながら、未完の大器をして
引退した感が強いのが残念です。
当時、手腕を買われ、現場責任者をやっていて、引退後、
営業マンとして、出世したのも、こういうバックボーンがあるからかもですね。
ご冥福を祈ります。
しかし、太郎さんの記事を読むとあまり世間での評価は高くなかったんですかねえ。引退も早くで残念でした。木村や浜口なんかと一緒にやってれば、新日で結構いいポジションにいけた気もします。
私はイメージが坂口征二と近いような感覚でしたが
(NO2だし髪型も角刈り系で)
サンダー杉山、豊登、ストロング小林、アニマル浜口、阿修羅原等、国際プロはパワーファイターが
多かったですね。
新日本にヒールとして上がれた、木村、浜口、寺西
(扱いは本当に悲惨でしたけど)的、悪役のイメージが
無かったかもですねぇ。(若松や稲妻二郎とかも個性が強かったしで)
全日本に行った、マイティー井上、阿修羅原、鶴見五郎と個性が強い
そして、井上、寺西のような飛びぬけた上手さ等に比べると
草津氏は、一般的なイメージのような感覚がしましたね。
R木村達も崩壊と共に引退するつもりでしたが
個人的な感覚だと・・生き残れた人は泥臭いイメージの人が多かったかもですね。
「国際プロレス」=「元祖インディー」的見方があるみたいですし。
一時期のインディーブームとかがタイムリーにあったら
注目され続けたレスラーだったかもですね。