ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

ブルーザーブロディ

2007年04月01日 | プロレス
今は亡きプロレスラー「超獣」、ブルーザーブロディです。
私は昭和56年からプロレスを観出したのですが(タイガーマスクのデビューの時は
観てなかった・・痛い(そういえばその時の対戦相手ダイナマイトキッドの
入場曲を「外道」が生演奏してたな))
その当時、日本プロレス界、新日本プロレスと全日本プロレスは選手引き抜き合戦、
戦国時代でした。両団体とも大体は有名レスラーをうまく生かして盛り上げてて。

新日本はアンドレザジャイアント、スタンハンセン、ハルクホーガン、
そしてアブドーラザブッチャー、ディクマードック(この2人は生かされなかった)
全日本プロレスはこのブルーザーブロディ、ジミスヌーカ、ミルマスカラス
ザシーク、ハーリーレイス、リックフレアー
そしてG馬場のビジネスパートナー、ザ・ファンクス、そして生かされなかった
タイガーJシン(新日本でのブッチャーへの扱いよりはマシか)上田馬之助、等々。

このブロディーは私が観た当時はJ鶴田、大成する前の天龍、そして
ザ・ファンクスのテリー・ドリー(どちらかといえばドリー)と闘ってました。
漫画「プロレススーパースター列伝」にも題材になったし。
今のレスラーには無い激しいインパクトを持ってたレスラーでした。
昭和56年、世界最強タッグ優勝決定戦で、新日本に居たスタンハンセンを
引き連れてレッドツェッペリンの「移民の歌」のカバーで入場した時の
衝撃、あれは日本プロレス界に残るインパクトだと思います。
(しかし、今、日本プロレス界は相当ヤバイ、崩壊しないでくれ!)

その後、J鶴田とのインタータイトルをめぐっての激闘、
ハンセンとのタッグ、ファンが望んだ見果てぬカード
ハンセン、ブロディー組対ロードウォリアーズ
そして、突然新日本の後楽園大会に背広姿に花束で登場、で、全日本にUターン、
そして、プエルトリコでの刺殺された残劇・・・・・。

ブロディーがあんなに評判の悪いレスラーとは当時、知りませんでした。
ブロディー事フランクゴーディシュはユーゴスラビアからの移民、大学時代は
フットボールでならし、引退後新聞記者!(実際はフットボールのコラムを
書く位だったそうですが)そしてプロレス入り。得意技は相手を片手で投げる
ワンハンドボディースラム、キングコングニードロップ等。

頭は良いが人をとにかく信用せず敵視し、プロレス仲間やプロモーターから
とことん嫌われたけど、やはり人気者でお呼びがかかる。
プライドが高すぎた為、絶対的な権限のあるマッチメーカーの
いう事を聞かない・・のでプエルトリコのマッチメーカーの
ホセゴンザレスに刺殺される、しかも刺されのたれ苦しむブロディを見てた
レスラー仲間は笑いながら見てた(死ぬとは思ってなかったからでしょうが)
それ程憎まれてたんですね。
とにかく自分が頂点だと気に入らない、「ブロディー革命」を起こすイコール
「ブロディ、ここに有り」だけ・・・自分は救世主と信じてた・・と
あの髪に髭はイエスキリストを意識してたのでは?という
ターザン山本の私見・・・、新日本でのジャパンカップ優勝決停戦を
自分が優勝するシナリオでないからと新幹線を飛び降り(ホームへですよ)
ボイコット、そして、同日、全日本の大会が行われてた日本武道館へ・・。
(門前払いでしたが)しかし長州を始めジャパンプロ勢の大量離脱の為、
やはり必要とされたから、「一度裏切ったレスラーは二度と使わない」と
信念にしてたジャイアント馬場の理念を覆し全日本に復帰、また
鶴田や天龍との抗争。そして刺殺した犯人のホセゴンザレスの頼みも
全く聞かず、世界中のプロモーターに必要とされても憎まれてたブロディーは
プエルトリコで生涯を閉じたのでした。

大学時代の後輩ハンセンやリングでは敵でも私生活では共感しあってた
ブッチャーは数少ないブロディーの味方だったのですね・・・。
全日本のリングで長州のスタイルが気に入らず、長州の技を全く受けようとせず
一方的に長州を攻め、当時の長州のイメージを下げさせてしまったり。
本気で長州がキレて、もしも(ありえませんが)セメントになったら・・・
興味はありますが(私は長州が勝つと推測します(というより実現不能))

後になってこんなにイメージの下がったプロレスラーは私の中では特に二人
アントニオ猪木とこのブロディー・・・・。

ミスター高橋は「あの刺殺事件は起こるべくして起きた」事件を聞いても
ショックや不思議な気持ちは起きず、マッチメーカーの気持ちが良く理解出来
「ブロディー刺殺される」のニュースに違和感を感じなかったと。
(人を殺して良いハズはありませんが)
(まあ、殺したいほど憎い人が居る人も居るかもしれませんが)
A猪木は「嫌いなレスラーは?」と聞かれ「Bブロディー」と答えたと。
猪木も猪木で恨まれて当然の事をしてきた訳ですが・・・・。
逆にG馬場の様に厳しく優しい人の方が早く亡くなってしまう・・・・・
と脱線しましたが
過去の出来事が相当暴露されてる現在、知って夢が壊れた事が多いです。
(まあ、世の中そんなにうまく行く事は稀でしょう)

ただ、プロレスラーとしてのブロディーは凄いレスラーだった事は
変わりません。こんなレスラー、そうそう居るものでは有りません。

廃刊になってしまった週間ゴングの付録に付いていた
「ディックザブルーザー対ブルーザーブロディ」のブルーザー対決の
DVD観たかったなぁ・・・。

コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« PE\'Z | トップ | 夜桜 »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
う~ん (nenkorhoads)
2007-04-02 11:58:15
天狗だったのでしょうかね・・・
私は頭がよすぎて納得しなければやらないという姿勢をくずせなかったことが原因だったように思います。
お金にシビアだったのは本当だったようですね。

でもいいんです!
私はともかくジャンボ鶴田、ブルーザブロディ最強説ですから(笑)
返信する
nenkorhodsさん (太郎)
2007-04-02 23:45:28
「天狗」は訂正致します。
ただ、態度がマッチメーカーや同僚には「L」だった
可能性が高いですね。
若いレスラー達とは良く話していたみたいですが。

お金も含め、自分が「反則負け」以外の負けは
根本的に負けは認めませんでしたね。
(J鶴田のインター戦のリングアウト負けが特例で)

ただ、本文にも書きましたが、
こんな凄いインパクトのレスラーは後にも
現れた記憶がありませんね。
(昔は良かった・・・)
返信する
当時は (老頭児)
2007-04-10 12:35:24
こんにちは。お邪魔します。
私も夢中になってプロレス見てました。
ブロディカッコよかったな~。強かったな~。
死んだとき、週プロかゴングに棺に入れられた
ブロディの遺体の写真みて泣いたものです。
この記事読んでブロディの以外な?一面を
知ることが出来ました。

これからも伺います!リンク貰っていきます!
返信する
老頭児さん (太郎)
2007-04-10 13:15:51
いらっしゃいませ!

そうですよねぇ、確か記事を拝見したら
確かプロレスの事も書かれてましたよね!

ブロディーは強いイメージ、そして
超強力なキャラクターでした。
私も当時「ブロディー刺殺される」のニュースに
暫く放心状態になってました。

意外な一面・・・まあ、そうなんですよ・・・。
これからも宜しくお願い致します。
こちらもリンク貼らせて頂きます。
返信する
青春の夢 (チビッコ)
2013-09-10 23:19:05
 ブロディは存在から生き様まで男の憧れでした。高校時代は寝ても覚めても憧れの的でした。まさかの刺殺事件を週プロと週ゴンの表紙で見たとき、我を取り戻すのに1ヶ月かかりました。あれから30年が経っても、やはり憧れは変わりません。いま自分が42歳を過ぎて思うのは、あんな生き方が出来たら人生に悔いはないということです。嗚呼、あの頃は本当に夢がある時代でした・・。
返信する
チビッコさん (太郎)
2013-09-12 14:40:04
凄いレスラーでしたね。
あの頃はとても夢のある時代でした。
私も42歳になりますが、高校時代に知った
ブロディー刺殺事件の衝撃はモノ凄いモノでした。
今、多くの名レスラーが亡くなっていく時代になりましたが
あの頃のプロレスは純粋にしまっておきたいですね。
返信する

コメントを投稿

プロレス」カテゴリの最新記事