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室生犀星が「ふるさとは遠きにありて思ふもの よしやうらびれて異土のかたゐとなるとても 帰るところにあるまじや」(小景異情)と詠んだ
らし、さて小生の日本語というコトバは青空文庫ではなく、英国の劇作家の翻訳でもなく、先達の継承のなかで15歳月からの自己教育で纒ったので個体の解像度も含め果たして音と記録の文字で表出の概念が解釈者との楕円の時空で十分に共有できてるかは問えないという小生が解釈する側でもそうで、そんなことは百も承知な輩がいることを知っているので、まだましなのだ。創作活動に向かう。