今日のことは差し置いて、昨日を責められない
いつも「次」を楽しみにしている「今」を続けたいくらいの、自分。自分というのは、
ただの感覚器官だって言い得るくらい、逆に見れば矛盾や不条理をはらんだもの。
そう考えると、「個人」と「社会」は近い関係にある。ちゃんと影響し合っているのではないかと、考えました。
行動することと、考えること
どうにもできないことと、次の選択肢。
大自然は運命とは違う、と言いたい気持ちがある。自然の流れというのは時間との戦いとは違ったはずだ。
人が生きていく上で、「たたかう」ということと「まもる」ということは、退化した「しっぽ」のようにはなるだろうか。タイムとマネーのバランスについて戦えば、加速していくことに順応、準備をしなくてはいけない。
より繋がろうと、より知ろうと、わかろうと
なにも分けなくてもよいと考えた私のYOU & MEのあいだには、時間が必要だった。
出した答えが簡単だった。ズレがちゃんと出てくることに希望を観る今だが、「共感」以外に次の扉を開けるキーはないと考えるか?むしろ「違い」という発見をどんどん受け入れるか?
そこに「社会」と「個人」の視線の違いがみえてきた。いや、これはうそ。うーん、シンプルが今は大きく人々を隔てちゃうから難しいんだ、否。やりがいある。
昨日のフィクションよりも今日現在感じたことを、私個人としては優先したい。やはり途中で胃がキリキリした。いいことなのか、わるいことなのか、