礫川全次さんの著書「独学の冒険」の第6章には、独学者にすすめる100冊の本が紹介されている。その100冊のなかから、絲屋寿雄「大村益次郎」(中公新書 1971年)を読む。国会図書館デジタルコレクションを利用した。
考えてみれば、大村は謎の人物である。日本陸軍の基礎を作った人であるのに、西郷隆盛や大久保利通と比較すると、地味な印象がある。日本史の教科書でも目立たない印象だ。
さて、絲屋寿雄「大村益次郎」によると、彰義隊戦争に突入する前におこなわれた軍議で、大村は薩摩側の参謀、海江田信義と激論を繰り広げたようである。兵が足らぬ、と主張する海江田に対し、大村は「いや決して其様な御心配はない。是で充分戦さの出来ぬことはない。益次郎御請合申します」(引用・131頁)と答える。よほど自分の戦略に自信があったのだろう。喧嘩のような激論だったらしいが結局、西郷が大村に指揮を任せると判断し、彰義隊討伐は行われる。
だがその軍議の前に、実は大村と西郷は衝突していたのだ。
西郷だけには事前に、今回の作戦の事を大村は知らせていた。薩兵を皆ごろしにする気か、と言う西郷に対し、「・・・大村は静かに扇子をあげとじしながら天を仰いで無言のままであった。しばらくして『左様』と答えたので、西郷は無言のまま退いたといわれている」(引用・132頁)