深見伸介の独学日記

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断片的な自分史

2025-02-10 05:36:34 | 歴史・文章
私は1996年、郵便局に入った。2019年に退職するまで配達員として働いた。いまは、無職である。

茨城県の古い木造の郵便局が、私の最初の勤め先だった。田舎道で道幅が狭かったが、ダンプカーが猛スピードで走り回っていた。あの頃、何を考えて仕事をしていたのだろう?ほとんど記憶にない。ただ覚えているのは、先輩からの怒声におびえながら仕事をしていたことだけである。先輩職員は10人以上いたが、派閥に分かれていて、陰口がいつも飛び交い、仕事場は暗い緊張感に満ちていた。当時、19歳だった私は、どの派閥にも入れず孤立していた。馬鹿にされていたのである。「じいや」というあだ名を付けられたのは、入ってすぐの頃だった。地元の方言で「お爺さん」という意味である。無口で、おっとりした性格の私は、すぐに職場の「余計者」にされてしまった。

不器用だった私は、郵便バイクを上手く乗りこなすことが出来なかった。毎日、夜の7時くらいまで配達していた。労働基準法など、あってないようなものである。配達が終わらない場合、早く配達を終えた職員が助けに行く決まりになっていた。しかし、職場で孤立していた私の手伝いなど誰も来なかった。上司たちも、知らぬふりである。

昼食をとる暇もなかったが、一か月に、2~3回は郵便物の少ない日があり、そんな時は食堂で昼食をとった。田舎の、昔ながらの大衆食堂で、ラーメンでもカレーでもどんぶり物でも何でも安く食えた。だが、食堂のおかみさんは、私に冷淡だった。ほかの先輩職員とはにこやかに話すのに、私とはほぼ会話をしてくれなかった。私は、やがてその食堂に行かなくなり、昼食を取る余裕があるときでも、食堂へは行かず、コンビニでパンを買い、人気のない場所にバイクを止め、食事をとった。食堂のおかみさんは、あいつ、うちに飯を食いにこなくなった、と私の悪口を言っていたようだ。職場の人間に見つからないように煙草を吸うようになったのも、このころからだった。






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