[12星座のウラ]/[偽善者の見分け方]偽善者とは

2014-05-13 04:24:44 | 日記
※悪にはこう言え!→「おいバカガキクソマヌケ」』※善言葉
この世には、悪のほうが強いと言い聞かせたい勢力がいる。それが宗教だ。それらの『脅し』と『ひれ伏す』の怨念(思念)が『反省しようとする人の心』を「クソガキほんまにw」などという言葉とともに悪の側へと引っ張りこもうとする。→怒ってくる。※やたら。
それは形をなして「黒い大仏」の形で形容する。

※(こいつらはずるさを頭がいい事だと称している。例えば、「殴っておいて転んだ事にしといて。などがずるさだが、それはただのバカである。何故なら口裏を合わせていなければずるさは成り立たない。裏切れば終わる。)
倒し方:
(ずるさには必ず言う事に噛み合わない点があるので、正直に接すればもろくも崩れ去る/粗が出る事をこいつらはよく知っている。「暴言を吐いて」裏切らせないようにするのが目的である。「クソガキ」などと言うが、安心しているうちはいいが、善には勝てなく、殺される。)

「こいつらは必ず2人セットで生存している為に、引き剥がされることを恐れる。引き剥がされれば後に殺される事を知っているから。」

この記事は後にどこかにもっと詳しく記載する。
恋とは終わらせるもの。
※殺意、追記!

http://blog.goo.ne.jp/takacchi1116/e/8c74f64560b15b1dd9fe73aa7d20abc6
【絶対倫理観、追加】
http://blog.goo.ne.jp/takacchi1116/e/d09aa92aaff48b3310b7d4e2e2eeac42

この世には、自分のもののようでも、自分のものじゃないものがある。例えば、このブログだって、自分だけのものじゃないかもしれない。俺の一存で、消していいものではない...
それは、「生命」にも言える...関係性にも言える...
人は、自分で作り出したものに思えて、おごり高ぶると、人を巻き込む...
生まれることに責任は持てなくても、
消す事に関しては誰かの同意を得なくてはならない。
それがこの世...
【テーマ曲】
http://m.youtube.com/watch?v=xqlkk8vhTNc#

※絢香ver.のほうがいいよ♪
ブッダは「見えないもの」を認識していないからいけない/ダメ/→甘い。※ブッダは、机上の空論性が高い。→世間知らずの坊っちゃん(人の発想からモノは生まれる、霊界からメッセージがある、ここを見落として後世に伝えて混乱を招く。=ブッダ)
[今日のニュース]は1番最初のほうに移動しました。※
http://blog.goo.ne.jp/takacchi1116/e/ff5cc0d5e51bfd724ef39af3f3dd2bb2

[筆者のいい思い出↓]
http://blog.goo.ne.jp/takacchi1116/e/07b38fbe62f72e893f114aef2519f909


こうがこうとか都合のいい方弁

ぜんぶがそうだ


じつはこの世の「言い草」に決められる事はない
「起こった事」がほんとうのことだ


「文字」がある

「何を参考にするか


「この世には作為がある」

どういう方向に導くかなんて簡単

「ばらまけばいい


全時代の人間が作ったものはすべて作為だと思えよ


なんで恋を潰そうとするか?

恋が自然体だから


恋っていうのは自然体になる事だ
エロい事をする事じゃない


そして恋とは『この世の悪を憎むこと』

熱しにくく冷めにくい。

遊ばされてたんだよ 言葉に


悪を憎み続ければ
『冷めない。』
永遠に。


いいか、よく聞け、
「12星座」ってのはな、
「悪に甘くさせる目的(ため)に作られた。」


星座うらないとかこの世の
『定説』は全て逆だと思え。

ぎゃく読みしろ。
それこそが真実。

─────────────────────
【偽善者とは】

人の必死な行動を自分の功績にしようとするのが偽善※ギゼン
(支離滅裂+思い上がり+独断+言い張り症)
=支離滅裂思い上がり独断言い張り症
※練習しましょう!

例えば、いじめる→乗り越える→成長させたのは自分のおかげ

子供を捨てる→子供が戦う→親が強く育った子を見て→自分のおかげ

↑ふ ざ け るな!
成長は誰の手も借りてないし、それでいい気分になってる人間はこっけいだ。

偽善中の偽善 そ れ は
『溺れてるさなかの人間を見て「あなたのため」だと言って(自分の為に)ジーンとしている人種』(※苦しみを全て自分の功績なのだ)

それは「見殺し」に行き着く

そこに加担したなら「殺人」となる

それが心地いいなら その心はもはや


※危険危険危険((((;゜Д゜))))思い込んでいる!
それで成長したなら(自分が)感謝される。(にちがいない。)だから…(私のために)苦しめ。
※危険危険危険((((;゜Д゜))))思い込んでいる!

→そして『将来の自分の為に
現在の他者の犠牲を正当化する理由
がある事に対して
ジーン(自分は受け入れられてる)と』
※危険危険危険((((;゜Д゜))))思い込んでいる!
つまり 偽善者の根底には、
『自分には倫理観がない』=『受け入れられる存在ではない』というのが根付いている。そこから目を逸らす『屁理屈』がぴったりとはまっ(てしまっ)た時、【そいつらは助長する。】
※つまり【自分が悪い事がわかっていて、】
【それでもなお】【居直ろうとする。】
→【ふてえやろうだ。】という。

【それは赤子が可愛さだけで許されるように。】
(それを逆手にとっていたならどうなる?)
【自分はかわいい=許される】

【悪を好む計算高い赤子(だと思っている人)】
それが偽善者

だがしかし
かわいくもないX
感謝される事もないX
許される事もないX

この3点が揃った時、【ガタガタに崩れる。】
(そいつらが正当化したい3点。)
【クソの役にも立たない。】

【何故なら】これまで自分のやってきた事が、
(この3つの事実を突き付けられると)
【殺される理由にしかならない事が証明されるからだ。】

その瞬間、【逃げ回るだけ】のバカ】となる。
(それを正当化してくれる人間を探すだろう。)
これが偽善者が【バケの皮を剥がれた瞬間の行う行動。】
であり、→【いつか
殺さなくてはならない。】

つまり 偽善者の思考回路とは、

『人を苦しませれば自分が将来偉大になると思い込まされて【きた】人』
=『人を殺せば自分が人気者になるという思考』
=『他者が苦しめば自分の成功』
=『倫理を捨てるほど良い事が起きる』という思考
=『倫理観のない人間』
=犯罪を助長
=犯罪者そのもの
=悪魔
人望を自ら捨てて喜ぶ人種でしかない

それをデメリットという 悪という

悪に加担したなら 誰がどうあがいても 醜い

そこだけは変わらない

そして悪は自分を立て直す事は不可能

悪はどうあがいても善には勝てない

善『とは悪を憎むこと

つまり加害者は被害者には勝てない

被害者は加害者を一生バカにする事ができる

自殺に追い込むまで

偽『善者になると=自殺に追い込まれるまで嫌われる

【偽『善者にはなるな。殺される】理由になる】だけだ。】
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
(この世に灰色ゾーンなどない。)
(白か黒か。)(グレーだと主張する奴は、)
(間違いなく黒)(黒いものを一生懸命
白く見せかけてるだけだ。)
※※※※※※※※※※※※※

偽善者の見分け方:
『溺れている人間を助けるかどうか』を聴く。
1.助ける」と答える。→
2.助けたいけど助けれるかわからない」という人は、助けるとみなす。

助ける」と答える。→

助けると答えた方へ
その理由は?

【加害者側に立ちたくないから仕方なく】というのが正解〇→偽善者ではない→善

【可哀相だから】というのは偽善者→可哀相なものを助けて人気者になりたいから→そのパターンだと『良い人』呼ばわりされる事を計算している

【苦しい人を放っとけない】というのは偽善者→感情移入しているが正義感が強い→『この世でいう正義感』とは犠牲愛の事だ。→『犠牲愛』だと人に八つ当たりする=偽善者※『痛みを善だと捉えるところからおかしいX=男尊女卑側の思念を感じる。』
=人に押しつける(痛みを与える事に善を感じる)

』』』『『『』』』=─·─\\···_((○..● 】≪≒≡≫
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
3.人が死のうが関係ない、助けん」と答えた方は...
』』゜゜゜゜゜゜゜』』=─·─((○..● 】≪≒≡≫
そっち側へ行きたい人。→メリットだと思っている
=それを望んでいる(溺れる身の危険があるからと答えた人は、『助ける意志があるか?どうか?』という最初の質問を無視している。)

→溺れる危険があるなら違う方法を試せばいいから。
それでも助けれなかった場合、その道理は成立するが、最初から口実に使うのは『助けない』という主張にしかならない。
=見捨てる人間→デメリットを自分の幸せだと思う人
何故なら>·─((○..● 】≪≒≡≫
『自分が気持ちよくなる事』=『人が溺れる』
を繋ぎ合わせてしまう思考だからだ。
ここを繋ぎ合わせてしまうと何から何まで正当化しないと自分が成り立たない。助ける意志があれば良いのだ。
意志だけあれば人は自分に善になれる。
助けれなくても良いのだ。
悪を憎む気持ちがあるかどうかだ。
\/((○..● 】≪≒≡≫/\_回Г
※もし目の前で人が死んだ場合...上の3つのパターンだとそれを正当化してしまう。!
《結果》

あなたの元に残った気持ち それは 善 か 悪 か 。

(お まえらの概念、覆してやろうか。)※くつがえしてやろうか。by殺呪師
http://m.youtube.com/watch?v=XCuZxRKDpmo#

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2 コメント

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打算 (GOOD LUCK)
2014-10-23 21:41:03
あまりに打算的な人に接すると、頭が廻るなーと関心する反面、ああはなりたくないなあ、とも思う。

打算は愛か、恋か。

しかし、そういう方法でしか生きる術を知らない人もいるだろう(成育歴、素質等)

そして、悪と善の区別が曖昧な者(自分のように)もいるだろう

知らない事は罪か?やはり永遠のテーマに思われる
返信する
真善美の探究 (Unknown)
2014-10-11 11:08:23
〈真理と自然観〉

《真理》

結論から言って, 真偽は人様々ではない。これは誰一人抗うことの出来ない真理によって保たれる。

“ある時, 何の脈絡もなく私は次のように友人に尋ねた。歪みなき真理は何処にあるのか, と。すると友人は, 何の躊躇もなく私の背後を指差したのである。”

私の背後には『空』があった。空とは雲が浮かぶ空ではないし, 単純にからっぽという意味でもない。私という意識, 世界という感覚そのものの原因のことである。この時, 我々は『空・から』という言葉によって人様々な真偽を超えた歪みなき真実を把握したのである。我々の世界は質感。また質感の変化からその裏側に真の形があることを理解した。そして我々はこの世界の何処にも居らず, この世界・感覚・魂の納められた躰, この意識の裏側の機構こそが我々の真の姿であると気付いたのである。


《志向性》

目的は何らかの経験により得た感覚を何らかの手段をもって再び具現すること。感覚的目的地と経路, それを具現する手段を合わせた感覚の再具現という方向。志向性とは或感覚を再び具現させる基盤としての目的経路の原因・因子が再び具現する能力と可能性を与える機構, 手段によって, 再具現可能性という方向性を得たものである。志向は複数あり意識中にある凡ゆる感覚的対象に支配される。

『意識中の対象の変化によって複数の志向性が観測されるということは, 表象下に複数の因子が存在するということである。』

『因子は経験により蓄積され, 記憶の記録機構の確立された時点を起源として意識に影響を及ぼして来た。(志向性の作用)』

我々の志向は再具現の機構としての躰に対応し, 再具現可能性を持つことが可能な場合にのみこれを因子と呼ぶ。躰に対応しなくなった志向は機構の変化とともに廃れた因子である。志向が躰に対応している場合でも因子の具現に対応した感覚的対象(条件)がない場合はこの志向は生じない。但し意識を介さず機構に直接作用する物が存在する場合もある。


《生命観》

『感覚器官があり連続して意識があるだけでは生命であるとは言えない。』

『再具現性を与える機構としての己と具現の方向を決定する志向としての自。この双方の発展こそ生命の本質である。』


生命は過去の意識の有り様を何らかの形に変換し保存する記録機構を持ち, これにより生じた創造因を具現する手段としての肉体・機構を同時に持つ。

生命は志向性・再具現可能性を持つ存在である。意識の有り様が記録され具現する繰り返しの中で新しいものに志向が代わり, この志向が再具現の機構としての肉体に作用して変化を生じる。この為, 廃れる志向が生じる。


*己と自の発展
己は具現機構としての躰。自は記録としてある因子・志向。

己と自の発展とは, 躰(機構)と志向の相互発展である。志向性が作用した然としてある意識(現象)から新しい志向が生み出され, この志向が再具現の機構である肉体と意識に連動して作用する。生命は然の理に屈する存在ではなくその志向により然としてある意識と肉体を変革する存在である。

『志向(作用)→肉体・機構』



然の理・然性
自己, 志向性を除く諸法則。志向性を加えて自然法則になる。

然の理・然性(第1法則)
然性→志向性(第2法則)



【世界創造の真実】

世界が存在するという認識があるとき, 認識している主体として自分の存在を認識する。だから自我は客体認識の反射作用としてある。これは逆ではない。しかし人々はしばしばこれを逆に錯覚する。すなわち自分がまずあってそれが世界を認識しているのだと。なおかつ自身が存在しているという認識についてそれを懐疑することはなく無条件に肯定する。これは神と人に共通する倒錯でもある。それゆえ彼らは永遠に惑う存在, 決して全知足りえぬ存在と呼ばれる。

しかし実際には自分は世界の切り離し難い一部分としてある。だから本来これを別々のものとみなすことはありえない。いや, そもそも認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう?

言葉は名前をつけることで世界を便宜的に区分し, 分節することができる。あれは空, それは山, これは自分。しかして空というものはない。空と名付けられた特徴の類似した集合がある。山というものはない。山と名付けられた類似した特徴の集合がある。自分というものはない。自分と名付けられ, 名付けられたそれに自身が存在するという錯覚が生じるだけのことである。

これらはすべて同じものが言葉によって切り離され分節されることで互いを別別のものとみなしうる認識の状態に置かれているだけのことである。

例えて言えば, それは鏡に自らの姿を写した者が鏡に写った鏡像を世界という存在だと信じこむに等しい。それゆえ言葉は, 自我と世界の境界を仮初に立て分ける鏡に例えられる。そして鏡を通じて世界を認識している我々が, その世界が私たちの生命そのものの象であるという理解に至ることは難い。鏡を見つめる自身と鏡の中の象が別々のものではなく, 同じものなのだという認識に至ることはほとんど起きない。なぜなら私たちは鏡の存在に自覚なくただ目の前にある象を見つめる者だからである。

そのように私たちは, 言葉の存在に無自覚なのである。言葉によって名付けられた何かに自身とは別の存在性を錯覚し続け, その錯覚に基づいて自我を盲信し続ける。だから言葉によって名前を付けられるものは全て存在しているはずだと考える。

愛, 善, 白, 憎しみ, 悪, 黒。そんなものはどこにも存在していない。神, 霊, 悪魔, 人。そのような名称に対応する実在はない。それらはただ言葉としてだけあるもの, 言葉によって仮初に存在を錯覚しうるだけのもの。私たちの認識表象作用の上でのみ存在を語りうるものでしかない。

私たちの認識は, 本来唯一不二の存在である世界に対しこうした言葉の上で無限の区別分割を行い, 逆に存在しないものに名称を与えることで存在しているとされるものとの境界を打ち壊し, よって完全に倒錯した世界観を創り上げる。これこそが神の世界創造の真実である。

しかし真実は, 根源的無知に伴う妄想ゆえに生じている, 完全に誤てる認識であるに過ぎない。だから万物の創造者に対してはこう言ってやるだけで十分である。

「お前が世界を創造したのなら, 何者がお前を創造した?」

同様に同じ根源的無知を抱える人間, すなわち自分自身に向かってこのように問わねばならない。

「お前が世界を認識出来るというなら, 何者がお前を認識しているのか?」

神が誰によっても創られていないのなら, 世界もまた神に拠って創られたものではなく, 互いに創られたものでないなら, これは別のものではなく同じものであり, 各々の存在性は虚妄であるに違いない。

あなたを認識している何者かの実在を証明できないなら, あなたが世界を認識しているという証明も出来ず, 互いに認識が正しいということを証明できないなら, 互いの区分は不毛であり虚妄であり, つまり別のものではなく同じものなのであり, であるならいかなる認識にも根源的真実はなく, ただ世界の一切が分かちがたく不二なのであろうという推論のみをなしうる。



【真善美】

真は空と質(不可分の質, 側面・性質), 然性(第1法則)と志向性(第2法則)の理解により齎される。真理と自然を理解することにより言葉を通じて様々なものの存在可能性を理解し, その様々な原因との関わりの中で積極的に新たな志向性を獲得してゆく生命の在り方。真の在り方であり, 自己の発展と自分の理解。


善は社会性である。直生命(個別性), 対生命(人間性), 従生命(組織性)により構成される。三命其々には欠点がある。直にはぶつかり合う対立。対には干渉のし難さから来る閉塞。従には自分の世を存続しようとする為の硬直化。これら三命が同時に認識上に有ることにより互いが欠点を補う。

△→対・人間性→(尊重)→直・個別性→(牽引)→従・組織性→(進展)→△(前に戻る)

千差万別。命あるゆえの傷みを理解し各々の在り方を尊重して独悪を克服し, 尊重から来る自己の閉塞を理解して組織(なすべき方向)に従いこれを克服する。個は組織の頂点に驕り執着することなく状況によっては退き, 適した人間に委せて硬直化を克服する。生命理想を貫徹する生命の在り方。


美は活き活きとした生命の在り方。

『認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう? 』

予知の悪魔(完全な認識をもった生命)を否定して認識の曖昧さを認め, これを物事が決定する一要素と捉えることで志向の自由の幅を広げる。認識に囚われ自分の願望を諦めることなく認識と相互して願望を成し遂げようとする生命の在り方。
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