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リュックサック

2017-08-12 15:06:04 | 社会
リュックサック
  最近のリュックサックは形や色が豊富で洗練された物が多くなっています。昔のようなリュックサックは見かけませんし、多くの老若男女が使用されているのを見かけますが、形がどうであれ、リュックサックを見れば、どうしても私は戦後の食糧難の買い出し姿をを思い出してしまうのです。だからどうしてもリュックサックを使う気にはなれません。
  戦時中に疎開した私どもは、幸いにも終戦直後の食糧難の時も、食事に不自由した事はありませんが、でも私は基本的にサツマイモで育ったのだと今も思っております。
  終戦直後は食べ物が無くて、私どもの田舎にまで、少しのつてをたどって、お客様が来られました。私の両親は、それを歓迎して白いご飯とすき焼きでもてなしました。その度に、私が餌をやっているうさぎかニワトリが1羽減るのです。我が家ではお米は作っていなかったので、近くの農家から少し分けて貰って居て、その様な時にご飯を炊くのです。ですからお相伴でご飯が食べられるのはその時だけ。あとはサツマイモとだんご汁が主食でした。そのサツマイモは畑で一杯作っていましたから豊富にありました。
  そしてお客様がお帰りになる時は、リュックサックに一杯サツマイモを詰め込んで、野菜などは袋に入れて両手に持って電車の駅まで1里の道を歩いて帰られるのです。遠慮して来られたお客様には、唐草模様の大きな風呂敷にイモを一杯包んで、この次はリュックサックを持って来て下さいね、と言うのです。
  その中で印象深いのは、私が通っていた幼稚園の園長さんが来られた事です。ホンのささいな縁でも頼ってこられた。その方は、後に関西主婦連の会長さんになられました。偉くなる人だったのですね。話が横道に逸れましたが、間もなく終戦記念日(戦争に負けた日)です。リュックサックを見ると、(敗)戦後の混乱期の事を、どうしても思い出すのです。

  参考ブログ
  ビバモール寝屋川


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