高浜市吉浜下の神明社が昭和12年頃から工事にかかり無事竣工しました、そんな過程を紹介して記録として残します。
この程、村芝居・海苔養殖調査の過程で尋ねた家から、そう言えばうちのも古い写真が有ったと言われ見せて頂い写真です。
まだ大型建設機械の無かった昭和12年頃で全て人海戦術で行われました、神明社の拝殿建設地は吉浜では一番高台で本山です。
写真は地固めをするために氏子のみならず縁者が協力して力を合わせ櫓に吊るされた大きな丸太を引き上げ一気に落下させた。
写真の中に東京日之出組のハッピや丁度お昼時かも知れませんが、女性2名とおにぎりと思われる食事が運ばれています。
6年程前杉浦三男さんを取材した時に当時を思い出し描いて頂いたスケッチです。
息を合わせるのに歌を歌った堂築歌のお手本
忠臣蔵の一部
工事に携わったのは、社寺大工野々山組で野々山文吉(大文)でした。
昭和13年11月1日建造
この程、村芝居・海苔養殖調査の過程で尋ねた家から、そう言えばうちのも古い写真が有ったと言われ見せて頂い写真です。
まだ大型建設機械の無かった昭和12年頃で全て人海戦術で行われました、神明社の拝殿建設地は吉浜では一番高台で本山です。
写真は地固めをするために氏子のみならず縁者が協力して力を合わせ櫓に吊るされた大きな丸太を引き上げ一気に落下させた。
写真の中に東京日之出組のハッピや丁度お昼時かも知れませんが、女性2名とおにぎりと思われる食事が運ばれています。
6年程前杉浦三男さんを取材した時に当時を思い出し描いて頂いたスケッチです。
息を合わせるのに歌を歌った堂築歌のお手本
忠臣蔵の一部
工事に携わったのは、社寺大工野々山組で野々山文吉(大文)でした。
昭和13年11月1日建造
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