たかはまアーカイブス

吉浜まちづくり協議会 広報部から受け継ぎ2024年4月から「たかはま歴史探検隊」が発信しています。

たかはまアーカイブス『金属類回収令』

2018-02-28 22:37:15 | 懐かしい写真
現在は、日本中に金属類(鉄・銅・アルミ・鋳物等)が豊富にあふれていて・・・戦時中金属類が不足していた時代を知る人が少なくなっていますので、
ブログに書き込み次の世代に残します。



明治27年・28年 未午同年会が厄年記念として、昭和13年高浜小学校正門南に銅製の像を建立した 紹介した絵はがきはその当時の貴重な資料で、
13代校長竹内清市先生が画面右上に有りその下辺りに「楠正成」の馬上に乗った姿が見れます。
しかし戦争が激しくなるにつれ金属類が不足して「金属類回収令」により昭和16年回収されてしまいました。



その後しばらくの間は回収されなかった石台だけが残され・・・・これでは寂しいと再建を計画した人達がいましたその人達は、
明治27年・28年生まれの未午同年会の還暦祝いとして、
昭和29年12月に陶製の楠公親子像が建立されました(残った石台の上に)写真は除幕式の様子です。



高浜小学校に残っていた原型でそれを元に、彫刻 窓庄 杉浦庄之助氏が製作して焼成は森五六作氏 森組陶管の窯で土管焼きした事実が判明しました。

画像提供:高浜小学校

それから、デイサービス等で開催している「たかはまアーカイブス報告会」での情報として、各家庭から鍋・ヤカン・仏具まで供出しお寺の釣鐘まで供出した話を聞きました
それでは生活に困るので代用品として、土なべ・ほーろく等の三河土器として高浜で盛んに作られました・・・
供出した釣鐘の代用品として大きな石やセメント製の釣鐘を釣り下げていましたが代用品を吊り下げていなかったお寺では昭和20年1月の三河地震で鐘楼が倒壊してしまいました。



昭和18年冬 高取専修坊での供出風景


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