☆阪神尼崎駅前のホテル12Fからの景色(今朝時ごろ)
尼崎市の概要
・兵庫県の南東端に位置する。南は大阪湾に面し、西は西宮市、北は伊丹市、北東は豊中市、東は大阪市(西淀川区)に接しており、市域は大阪平野に含まれる。兵庫県下第4位の規模の人口(かつては県下2位であったが、人口減により、姫路市および西宮市に抜かれた。下記参照)を有しており中核市の指定を受けている。保健所政令市の一つ。
主に市南部に工業地域、中南部には商業地域、そして市中部から北部にかけて住宅地が広がる形で発展している。鉄道を利用することにより、20分以内に大阪市や神戸市へ到達することが出来るが、独自の旧尼崎藩領や旧旗本領の元農村地域を中心に構成された工業都市である尼崎独自の都市圏を構成するために、大阪のベッドタウンとしての要素は薄く拠点性がある。人口密度は兵庫県内では最も高く、日本国内においても20位以内に入る。また、南部の海岸部は阪神工業地帯の中心部でもあるが、埋立地の部分が多く、海抜ゼロメートル以下の地域が少なくない。当地を含めた京阪神都市圏内の住民からは日常的に「尼(あま)」と略して呼ばれ、親しまれている。明治初期に旧尼崎藩士族や地主の出資による近代紡績工場設立の際、資金難からやむを得ずに商業地大阪の資本参加を受け入れ、繊維取引の場所である大阪船場との電話通信費節約の目的で大阪市内から直接電話回線を引いたため、以来、市外局番は「06」となっている(#市外局番も参照)。同じ幕府大坂城代地だった商業地の神戸市に比べ、商業地である大阪市との交流は、もともと農漁村地域であった西淀川区や此花区などを除いてほとんどなく、他の大阪神戸の都市圏とは異なる伊丹市、宝塚市などに広がる旧尼崎藩領地域の元農村地域を中心にした独自の中小都市圏を構成している。それらの尼崎都市圏の交通手段として尼崎市営バス、伊丹市営バス、阪急バス(おもに縦断)、阪神電気鉄道(本線・阪神なんば線・阪神バスの尼崎宝塚線など)、阪急電鉄(神戸線・伊丹線)、JR東海道本線(神戸線)、JR福知山線(宝塚線)、JR東西線がある。(ウィキペディアフリー百科事典より)
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★今朝は、阪神尼崎駅すぐ近くのホテルで朝を迎える。こちら兵庫県尼崎市は、晴れて良い天気になっている。しかし気温は、低いのか少し肌寒いようである。今日も天気予報によれば、気温は13度前後で晴れてはいるが余り気温は上がらない様である。週末に入り、こちらの桜も満開になり花見シーズン到来である。
昨日は、自宅を朝の5時ごろ出発しR191経由で戸河内ICから中国道⇒広島道⇒山陽道⇒明石鳴門道⇒第二神明道⇒阪神高速道で尼崎市に入る。述べ走行距離は約450Km。こちら阪神尼崎駅前のホテルには、11時ごろ無事到着する。出発時の到着予想では、休憩を入れても、10頃だった。しかしR191nの霧、それに山陽道の道路工事・阪神高速の渋滞などにより予想より遅れた。別に甲子園の試合開始は、14時なので特に問題にはならなかった。ホテルの立体駐車場に車を入れ、電車にて甲子園球場に向かう。球場には、12時半過ぎごろ着いた。早速入場券を買って、1塁側特別自由席の中段に陣取る。まだ早かったので球場内の観客も少なく、グラウンドには、選手の姿も無く僅かに両校応援団の皆さんの姿が有った。
生まれて初めての甲子園だったがさすが甲子園、テレビで見るのとは違い広く綺麗になっていた。球場前も名物の蔦も取り払われ、椅子なども取り替えたのか新品に見える。試合開始まで2時間近くあったが、あちこち見て歩いたり食事なので、すぐ時間は過ぎる。両チームの試合前の練習やスタンド内を見のも楽しかった。興南の1塁側だったが、応援席に近くとてもテレビでは味わえない雰囲気を感じる事が出来た。
試合は、好投手の島袋選手の好投と素晴らしい打撃で10-0の大差となった。今日も続いて決勝戦を観に行く予定である。勿論興南応援席側に入場し声援を送りたいと思う。宿は、今夜も連泊で同じホテルに泊まり、明日帰路に向かう。では、昨日の画像の一部を!
☆阪神尼崎駅
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☆阪神甲子園駅に到着する。
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☆甲子園球場前(阪神甲子園駅から)
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☆甲子園球場に到着
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☆1塁側特別自由席の中段から観戦
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☆入場口付近
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☆スタンド下通路沿いの売店
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☆3塁側:興南高校応援席
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☆1塁側:大垣日大の応援席
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☆試合終了!10-0興南が決勝戦へ
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☆球場下の高校野球グッズショップは入店制限で順番待ち状態
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☆球場前の阪神甲子園駅に向かう
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■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【夢を実現する今日の一言】
あえて、つらい方に行くこともある
それが自分の生き方ならば
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
◆過去の出来事・トピックス
・福沢諭吉、英学塾を慶応義塾と改称(1868)
・植樹祭開始(1895)
・「仮面ライダー」放映開始(1971)
・プロ野球に初のウグイス嬢登場(1947)
・聖徳太子『憲法十七条』を制定(604)
「和ヲ以テ貴シトナス」を第1条に掲げた十七条の憲法が 604年(推古12)のこの日、聖徳太子によって制定された。この憲法は、『論語』、『礼記』など儒教の経典を基に、法家、仏教の経典を照らし合わせて作成。十七条とされたのは、陰の最大数8と陽の最大数9の和が17になるから。
・「火も自ずから涼し」の快川禅師逝く(1582)
「心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」――戦国時代の臨済宗の僧・快川紹喜の最期の言葉である。美濃に生まれ、妙心寺の住持となるが、時の国守・斎藤義龍と合わず、甲斐の武田家の許へ逃亡。武田晴信・信玄親子に厚遇された彼は、由緒正しき慧林寺の住持となり、国中に禅の道を説いた。ところが、信玄の没後、武田勝頼が織田信長との合戦に敗れて滅亡。寺中にかくまった六角義弼の引き渡しをこばんだために、1582年(天正10)の今日、織田勢に火をかけられる。
死に臨むにあたって、快川禅師は法衣を着、扇子を持って端座し、無念無想の境地にいたれば、火さえも涼しく感じられることを唱えて、百余人の僧とともに火中に滅した。
◆記念日・年中行事・お祭り
◆本日の誕生日
・ 金田一春彦(国語学・1913)高橋由伸(野球選手・1975)
☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・ヒトリシズカ(センリョウ科)
・「隠された美」
☆「きょうの一句」
・いつの日のひとりしづかの栞(しおり)ぐさ 木村蕪城(ぶしょう)
~心に響く366の寸言~
【教育の使命】
人間が成長するということは、
児童・少年の頃に与えられているところの
自然的素質・能力を
いかに深くするかということだ。
それが教育の使命である。
だから幼少年を研究してみると、
人間というものは
どういうものかということがはっきりわかる。
幼少年時代によく教育すると、
十七、八歳で立派に人として大成する。
幕末、明治の人物はみな
二十歳前後で堂々たるものです。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=746&category_cd
☆4月3日 松下幸之助[一日一話]
<まず人の養成を>
最近では、サービスの大切さということがさかんに言われ、どういう商売でも、それなりの制度なり、体制というものを逐次充実させつつあると思います。そのことは大いに結構であり、必要なことでしょうが、その任にあたるサービス員の養成が十分でないと、せっかくの体制も、いわゆる画龍点睛を欠くということになって、魂の入らないものになってしまうおそれがあります。
ほんとうにお客様に喜んでいただけるサービスをしていくには、やはり会社を代表して適切にものを言い、適切に処置ができるという人の養成、訓練を第一に大切なことと考え、その労を惜しまないということだと思います。
☆「たかきの独りごとパートⅡ」はブログの開設から 252日
・昨日、4月2日のアクセス数 閲覧数:259 訪問者数:123
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
尼崎市の概要
・兵庫県の南東端に位置する。南は大阪湾に面し、西は西宮市、北は伊丹市、北東は豊中市、東は大阪市(西淀川区)に接しており、市域は大阪平野に含まれる。兵庫県下第4位の規模の人口(かつては県下2位であったが、人口減により、姫路市および西宮市に抜かれた。下記参照)を有しており中核市の指定を受けている。保健所政令市の一つ。
主に市南部に工業地域、中南部には商業地域、そして市中部から北部にかけて住宅地が広がる形で発展している。鉄道を利用することにより、20分以内に大阪市や神戸市へ到達することが出来るが、独自の旧尼崎藩領や旧旗本領の元農村地域を中心に構成された工業都市である尼崎独自の都市圏を構成するために、大阪のベッドタウンとしての要素は薄く拠点性がある。人口密度は兵庫県内では最も高く、日本国内においても20位以内に入る。また、南部の海岸部は阪神工業地帯の中心部でもあるが、埋立地の部分が多く、海抜ゼロメートル以下の地域が少なくない。当地を含めた京阪神都市圏内の住民からは日常的に「尼(あま)」と略して呼ばれ、親しまれている。明治初期に旧尼崎藩士族や地主の出資による近代紡績工場設立の際、資金難からやむを得ずに商業地大阪の資本参加を受け入れ、繊維取引の場所である大阪船場との電話通信費節約の目的で大阪市内から直接電話回線を引いたため、以来、市外局番は「06」となっている(#市外局番も参照)。同じ幕府大坂城代地だった商業地の神戸市に比べ、商業地である大阪市との交流は、もともと農漁村地域であった西淀川区や此花区などを除いてほとんどなく、他の大阪神戸の都市圏とは異なる伊丹市、宝塚市などに広がる旧尼崎藩領地域の元農村地域を中心にした独自の中小都市圏を構成している。それらの尼崎都市圏の交通手段として尼崎市営バス、伊丹市営バス、阪急バス(おもに縦断)、阪神電気鉄道(本線・阪神なんば線・阪神バスの尼崎宝塚線など)、阪急電鉄(神戸線・伊丹線)、JR東海道本線(神戸線)、JR福知山線(宝塚線)、JR東西線がある。(ウィキペディアフリー百科事典より)
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★今朝は、阪神尼崎駅すぐ近くのホテルで朝を迎える。こちら兵庫県尼崎市は、晴れて良い天気になっている。しかし気温は、低いのか少し肌寒いようである。今日も天気予報によれば、気温は13度前後で晴れてはいるが余り気温は上がらない様である。週末に入り、こちらの桜も満開になり花見シーズン到来である。
昨日は、自宅を朝の5時ごろ出発しR191経由で戸河内ICから中国道⇒広島道⇒山陽道⇒明石鳴門道⇒第二神明道⇒阪神高速道で尼崎市に入る。述べ走行距離は約450Km。こちら阪神尼崎駅前のホテルには、11時ごろ無事到着する。出発時の到着予想では、休憩を入れても、10頃だった。しかしR191nの霧、それに山陽道の道路工事・阪神高速の渋滞などにより予想より遅れた。別に甲子園の試合開始は、14時なので特に問題にはならなかった。ホテルの立体駐車場に車を入れ、電車にて甲子園球場に向かう。球場には、12時半過ぎごろ着いた。早速入場券を買って、1塁側特別自由席の中段に陣取る。まだ早かったので球場内の観客も少なく、グラウンドには、選手の姿も無く僅かに両校応援団の皆さんの姿が有った。
生まれて初めての甲子園だったがさすが甲子園、テレビで見るのとは違い広く綺麗になっていた。球場前も名物の蔦も取り払われ、椅子なども取り替えたのか新品に見える。試合開始まで2時間近くあったが、あちこち見て歩いたり食事なので、すぐ時間は過ぎる。両チームの試合前の練習やスタンド内を見のも楽しかった。興南の1塁側だったが、応援席に近くとてもテレビでは味わえない雰囲気を感じる事が出来た。
試合は、好投手の島袋選手の好投と素晴らしい打撃で10-0の大差となった。今日も続いて決勝戦を観に行く予定である。勿論興南応援席側に入場し声援を送りたいと思う。宿は、今夜も連泊で同じホテルに泊まり、明日帰路に向かう。では、昨日の画像の一部を!
☆阪神尼崎駅
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☆阪神甲子園駅に到着する。
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☆甲子園球場前(阪神甲子園駅から)
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☆甲子園球場に到着
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☆1塁側特別自由席の中段から観戦
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☆入場口付近
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☆スタンド下通路沿いの売店
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☆3塁側:興南高校応援席
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☆試合終了!10-0興南が決勝戦へ
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☆球場下の高校野球グッズショップは入店制限で順番待ち状態
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☆球場前の阪神甲子園駅に向かう
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【夢を実現する今日の一言】
あえて、つらい方に行くこともある
それが自分の生き方ならば
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◆過去の出来事・トピックス
・福沢諭吉、英学塾を慶応義塾と改称(1868)
・植樹祭開始(1895)
・「仮面ライダー」放映開始(1971)
・プロ野球に初のウグイス嬢登場(1947)
・聖徳太子『憲法十七条』を制定(604)
「和ヲ以テ貴シトナス」を第1条に掲げた十七条の憲法が 604年(推古12)のこの日、聖徳太子によって制定された。この憲法は、『論語』、『礼記』など儒教の経典を基に、法家、仏教の経典を照らし合わせて作成。十七条とされたのは、陰の最大数8と陽の最大数9の和が17になるから。
・「火も自ずから涼し」の快川禅師逝く(1582)
「心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」――戦国時代の臨済宗の僧・快川紹喜の最期の言葉である。美濃に生まれ、妙心寺の住持となるが、時の国守・斎藤義龍と合わず、甲斐の武田家の許へ逃亡。武田晴信・信玄親子に厚遇された彼は、由緒正しき慧林寺の住持となり、国中に禅の道を説いた。ところが、信玄の没後、武田勝頼が織田信長との合戦に敗れて滅亡。寺中にかくまった六角義弼の引き渡しをこばんだために、1582年(天正10)の今日、織田勢に火をかけられる。
死に臨むにあたって、快川禅師は法衣を着、扇子を持って端座し、無念無想の境地にいたれば、火さえも涼しく感じられることを唱えて、百余人の僧とともに火中に滅した。
◆記念日・年中行事・お祭り
◆本日の誕生日
・ 金田一春彦(国語学・1913)高橋由伸(野球選手・1975)
☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・ヒトリシズカ(センリョウ科)
・「隠された美」
☆「きょうの一句」
・いつの日のひとりしづかの栞(しおり)ぐさ 木村蕪城(ぶしょう)
~心に響く366の寸言~
【教育の使命】
人間が成長するということは、
児童・少年の頃に与えられているところの
自然的素質・能力を
いかに深くするかということだ。
それが教育の使命である。
だから幼少年を研究してみると、
人間というものは
どういうものかということがはっきりわかる。
幼少年時代によく教育すると、
十七、八歳で立派に人として大成する。
幕末、明治の人物はみな
二十歳前後で堂々たるものです。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
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☆4月3日 松下幸之助[一日一話]
<まず人の養成を>
最近では、サービスの大切さということがさかんに言われ、どういう商売でも、それなりの制度なり、体制というものを逐次充実させつつあると思います。そのことは大いに結構であり、必要なことでしょうが、その任にあたるサービス員の養成が十分でないと、せっかくの体制も、いわゆる画龍点睛を欠くということになって、魂の入らないものになってしまうおそれがあります。
ほんとうにお客様に喜んでいただけるサービスをしていくには、やはり会社を代表して適切にものを言い、適切に処置ができるという人の養成、訓練を第一に大切なことと考え、その労を惜しまないということだと思います。
☆「たかきの独りごとパートⅡ」はブログの開設から 252日
・昨日、4月2日のアクセス数 閲覧数:259 訪問者数:123
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
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