★今朝は、久し振りと雨が降っている。この雨は、北海道旅行に出掛ける前夜(10/6)以来10日ぶりと思われる。「○○と秋の空」と言われているが、今季も雨が少ない様に感じられる。相変わらず北海道は、我々が帰った後は天気が優れ無い様だ。今朝のラジオからは、鳥海山(ちょうかいさん、ちょうかいざん・山形県と秋田県に跨がる標高2,236mの活火山)で、雪が降ったと放送されていた。又、北海道での平地でも雪になりそうだと言っていた。当地方は今朝は雨のせいか、比較的気温も高い18℃。
今日は雨なので、おとなしく自宅で過ごす予定にしている。連日北海道旅行を投降していたが、今日はその最終日となった。3日目の宿泊地は、小樽・札幌から60分圏内のキロロリゾート。周辺には、スキー場・ゴルフ場・温泉・プール・ホテル等が整備されていた。少し山の中だったが、宿泊客はここも多く観光バスが15台位は入っていた。その中には、神戸からの修学旅行生250人位も含まれていた。その生徒のお話では、北海道で2泊と東京に2泊の4泊5日らしい。誠に、豪華な修学旅行と言えよう。バレー部と思われる生徒が、早朝食時前にホテル前の広場で練習していた。修学旅行生とは食事会場も別れていたが、ここでも食事会場はかなり混雑し、夕食時は満席で少し待たされた。
小樽は今回3回目となるが、ここではサケを小樽運河で間近に観る事が出来たのである。今回の旅行では、網走から知床のオホーツク海で釣りをする姿は見かけたが、サケが泳いでいる姿は初めて。又、運河の浅瀬では産卵したサケの卵も観る事が出来たのである。役目を終えたサケは、白くなって川に浮いていた。最初に観た時はコイかと思うほど、黒っぽかった。知床付近の川にもサケが登っていた様だが、これ程のサケが小樽運河にいるとは意外に感じた。最終日の観光も半日足らずで、後は移動の時間が大半だった。自宅には思っていたより早く、20:45頃帰る。当初は、21:30頃だろうと思っていた。宇部空港での、到着後の手荷物の受取も早かった。それに山口宇部空港からの道路もスムーズに流れ、休憩無しのせいも有った。では、丁度一週間前は、最終日の画像の一部を!
・当初の4日目最終日の日程は(10/10)
層雲峡温泉(8:00)ー小樽(8:40)北ーガラス、オルゴール堂、スイーツの街並み等を自由散策(11:00)ー札樽道ー新千歳空港(12:10)(13:30)✈✈✈(15:05)羽田空港(16:30)✈✈✈山口宇部空港(18:10)ー送迎バスにて各地へ
・3泊目の宿泊地は、「ホテル ピアノ」。ロビーでは、ヤマハ製のピアノが自動演奏されていた。落ち着く様な雰囲気でお出迎えを受けた。(前日の18:38)
・夕食は連日バイキングで、部屋食はオプションで+5000円。上さんの地ビールと生ビールにて、カンパ~イ!ここのカニの味噌汁(右手前)が美味しく、お代わりする(初日の阿寒湖温泉でも、朝食時お代わりした)。カニが食べたかったら、底を掬う事がコツの様に思った。その他は特に食べたい物は無く 、北海道の新鮮な野菜類を中心に!何処かで食べた(2泊目だっただろか?)カボチャ(黄色だったので何か分からず、スタッフの方に聞く)をスライスしたサラダは、珍しく美味しく感じた。
・朝食前に、「ホテル ピアノ」周辺を散策する(5:59)。結構朝は冷え込んで、冷たく感じる。ここのホテルでは、夜暖房を入れて休んだ(設定温度は22℃に)
・周辺には、ゴルフ場やスキー場が有り、リゾート地と言えよう。小樽から車で30分!札幌からは50分とアクセスにも恵まれた高原リゾート。
・「ホテル ピアノ」出発は、是までで一番遅い8時だった。この時間頃は、出発が集中していた(ホテル前7:50)天気は、最終日も晴れていた。左後方のバスが、我々のバス。
・最初の観光は小樽運河。ここでは、1号車全員で記念写真を撮る。(9:08)
・小樽運河(おたるうんが)は、北海道の小樽市にある運河。大正12年(1923年)に完成した。内陸に水路を掘ったものではなく、沖合を埋立て、陸との間に出来た水路であり、「埋立て式運河」と呼ばれる。海上に停泊した船舶からの貨物を乗せた艀(はしけ)舟を係留し、貨物の荷揚げに使われた。人力で荷揚げする方式は戦後に入り衰退していった。また、戦後は樺太等との交易がなくなったため、物流の拠点としても急速に廃れていった。
無用の長物と化し、放置されていた小樽運河はヘドロがたまり悪臭が漂うようになった。1960年代に入り、運河を埋め立てて、道路として整備する方針が小樽市から打ち出された。それに対し運河の保存運動が全国規模で高まった。市側は当初の全面埋め立てに対し、運河の半分の幅を残す妥協案を提示するが、全面保存を求める保存派と意見が折り合わないまま、1983年(昭和58年)には埋め立て工事に着手。1986年(昭和61年)には北海道道17号小樽港線 (通称:小樽臨港線)が開通する。散策路やガス灯が整備され、大きく様変わりした運河周辺は、小樽の一大観光スポットに成長し、1996年(平成8年)には都市景観100選を受賞した。現在では、立地の関係からか、当初の景色を残す北運河よりも、半分を埋め立てて散策路を整備した臨港線部分に観光客が多い。運河の両岸には煉瓦や札幌軟石で造られた重厚な倉庫群が立ち並び、往時をしのぶことができる。(Wikipedia)
・小樽運河には、沢山のサケが登っていて、サケが産卵した卵を観る事が出来た。役目を終えたサケが、死んで白くなり川に浮いていた。それを、清掃員と思われる方が、回収作業をされていた。(9:31)
・一番最初に観た時には、コイが泳いでいるのかと思ったが、サケだったのである。(橋の上から観ていた方より聞く)(9:46)
・小樽は自由散策(9時前頃より1時まで)でレトロな町並みを楽しむ。このお店には、以前にも訪れた事が有る。高級なガラス器や陶磁器が並んでいた。観るだけだった。かっては、あのダイアナ妃も乗られた船とか!
・課外授業の一環か(総合的な学習らしい)、小学4年生5人からインタビューを受ける。何処から来ましたか?何処を見たいと思いますか?等々。では、僕達がオススメするお店を紹介しましょうと言って、一軒のパン屋さんを紹介してくれました。そこのお店は、味噌パンが美味しいらしいが行かなかった(申し訳ない)。その後、彼等が作成したと思われる「小樽観光マップ」をもらう。(B4サイズ)8ページに渡り手書きで一生懸命書かれたマップだった。表紙には、小樽市立花園小学校 第4学年 総合的な学習。私達がオススメする小樽の名所・名物と書かれてあった。中には、自分たちで調べた事が書かれていた。例えばラーメン問屋の蘭には、
1・アイスを帰りにくれるよ!
2・ひがわりで安いメニューがあるよ。
3.珍しいメニューがあるよ。
等スイーツ・パンや餅・ラーメンとおすし・お土産などが詳しく書かれていたのである。その後は逆質問で、島根県分かる?と聞いたら、「知っている」との答えは嬉しかった。又「君達の将来の夢を教えて?」と質問したら、圧倒的に「サッカー選手」と答えた子が多かった。最後に、記念撮影をお願いし、握手で別れ元気を貰う。(10:19)隣での他のグループには、「立派な大人になれよ!」との声が聞こえてきた。孫息子の小4頃を懐かしく想い出したので有ります。
最後に、小樽市立花園小学校の皆さん ありがとう! 頑張って下さ~い!
・一旦引き返し、懐かしい5年前頃(北海道一周の際は、フエリーで舞鶴港から小樽港着後)に宿泊した「ホテル ヴィブラントオタル・旧拓銀」をバックに!このホテル ヴィブラントオタル」は、小樽運河にも近く小樽市指定「歴史的建造物」らしい。
・小樽でも北海道の産物が沢山売られていた。(サケ・カニ・メロン・ウニ等々)
・生きたカニが泳いでいました。
・最終日の観光は小樽のみで、この後は千歳空港に向かった。道央道は札幌市内を通過中最終日の席は、やっと最前列に!車窓より(11:26)。途中右手側に、札幌ドームの白い屋根が観えました。
・新千歳空港に到着(12:08)ここで、バスから降りる。帰りの便も、羽田空港での乗り継ぎで山口宇部空港へ。福岡発着の方は、帰路は羽田にて乗り継ぎで一緒だった。
・北海道旅行の際は、極力途中で買わずこの空港のお店で買う様にしている。今回も、お土産の大半は新千歳と羽田空港で済ます(他の人に比べれば、土産は少な目だっただろう。沢山買って、発送する方が多く見受けた)。今回変わった物では、「ホタテの貝柱」の干物を買って見ました。(ガイドさんお勧めで、「ホタテご飯」にしたら美味しいらしいが?)待ち時間に、事前に予約していた空弁を食べる。初日に続き2回目の空弁(駅弁も美味しいが、始めての空弁も中々良かった)(12:44)
・新千歳空港にての羽田便(13:21)宇部ー羽田間の✈も良かったが、この飛行機も新型機と思われた。特に宇部からの飛行機は、座席後部に液晶パネルが付いていてビデを等もリモコン操作で楽しめた(山口宇部ー羽田便のみ)。それに、中央部の座席のみ、少しずれていて外が見渡せる様になっていた(新千歳ー羽田便も)。最新機は、小型され機内が改善された様である。肘置きが両サイドに設置されていたり、足元が前席が高くなっり広くなっていた。トイレも随分改善され、最新式になった様である。(ホテル並み位かな?)
・今回の飛行機は何れもほぼ満席状態で、席は何時も後ろに近かった。機内では、ドリンクのサービスが有り、上さんはコーヒーこちらはアップルジュースを注文する。又、機内の乗務員も若く笑顔も素晴らしかった。(16:51)
・羽田ー山口宇部便の機内からの景色(17:41)大分宇部空港に近づいて来たのか、間もなく降下が始まりました。空から観る夕やけも、又変わって良かったです。この時間帯に飛行機に乗るのは、始めてだったので退屈しなかった。山口宇部空港から、東京便が9便出ているのには驚いた。山口宇部空港に到着した時にも、5~60人位の人が待合室に居られた。恐らく、最終便なのだろうか?
・バスでの移動距離は、初日284km・二日目396km・三日目304km・四日目117kmでトータル1101km・途中給油は1回。この距離は5月にマイカーで旅した距離よりもやや少なく、当地から東京までより多い距離である。(結構バスには、乗る程有った)
バスの席も初日が前から4席目で、その後は後ろに下がり最終日に初めて最前列になる。連日バス移動だったが、席の位置で随分乗り心地が変わり前の方が良い。従って、毎日席替えが行われるのだろう。特に最後部席になると、揺れも酷く疲れも多いから悲惨である。その点今回は、最後部席だけは無かったから良かった。5回目の北海道だったが、何より天気に恵まれたのが良かった。遠い北海道は何回行っても良いし、又機会が有れば再度訪れて見たい所の一つである。旅日記の最終日は、雨なので少し時間を掛け、追加投降を試みました。
是まで4日間に渡る旅日記は本日で終了し、明日より本来のスタイルに帰る予定です。
今日は雨なので、おとなしく自宅で過ごす予定にしている。連日北海道旅行を投降していたが、今日はその最終日となった。3日目の宿泊地は、小樽・札幌から60分圏内のキロロリゾート。周辺には、スキー場・ゴルフ場・温泉・プール・ホテル等が整備されていた。少し山の中だったが、宿泊客はここも多く観光バスが15台位は入っていた。その中には、神戸からの修学旅行生250人位も含まれていた。その生徒のお話では、北海道で2泊と東京に2泊の4泊5日らしい。誠に、豪華な修学旅行と言えよう。バレー部と思われる生徒が、早朝食時前にホテル前の広場で練習していた。修学旅行生とは食事会場も別れていたが、ここでも食事会場はかなり混雑し、夕食時は満席で少し待たされた。
小樽は今回3回目となるが、ここではサケを小樽運河で間近に観る事が出来たのである。今回の旅行では、網走から知床のオホーツク海で釣りをする姿は見かけたが、サケが泳いでいる姿は初めて。又、運河の浅瀬では産卵したサケの卵も観る事が出来たのである。役目を終えたサケは、白くなって川に浮いていた。最初に観た時はコイかと思うほど、黒っぽかった。知床付近の川にもサケが登っていた様だが、これ程のサケが小樽運河にいるとは意外に感じた。最終日の観光も半日足らずで、後は移動の時間が大半だった。自宅には思っていたより早く、20:45頃帰る。当初は、21:30頃だろうと思っていた。宇部空港での、到着後の手荷物の受取も早かった。それに山口宇部空港からの道路もスムーズに流れ、休憩無しのせいも有った。では、丁度一週間前は、最終日の画像の一部を!
・当初の4日目最終日の日程は(10/10)
層雲峡温泉(8:00)ー小樽(8:40)北ーガラス、オルゴール堂、スイーツの街並み等を自由散策(11:00)ー札樽道ー新千歳空港(12:10)(13:30)✈✈✈(15:05)羽田空港(16:30)✈✈✈山口宇部空港(18:10)ー送迎バスにて各地へ
・3泊目の宿泊地は、「ホテル ピアノ」。ロビーでは、ヤマハ製のピアノが自動演奏されていた。落ち着く様な雰囲気でお出迎えを受けた。(前日の18:38)
・夕食は連日バイキングで、部屋食はオプションで+5000円。上さんの地ビールと生ビールにて、カンパ~イ!ここのカニの味噌汁(右手前)が美味しく、お代わりする(初日の阿寒湖温泉でも、朝食時お代わりした)。カニが食べたかったら、底を掬う事がコツの様に思った。その他は特に食べたい物は無く 、北海道の新鮮な野菜類を中心に!何処かで食べた(2泊目だっただろか?)カボチャ(黄色だったので何か分からず、スタッフの方に聞く)をスライスしたサラダは、珍しく美味しく感じた。
・朝食前に、「ホテル ピアノ」周辺を散策する(5:59)。結構朝は冷え込んで、冷たく感じる。ここのホテルでは、夜暖房を入れて休んだ(設定温度は22℃に)
・周辺には、ゴルフ場やスキー場が有り、リゾート地と言えよう。小樽から車で30分!札幌からは50分とアクセスにも恵まれた高原リゾート。
・「ホテル ピアノ」出発は、是までで一番遅い8時だった。この時間頃は、出発が集中していた(ホテル前7:50)天気は、最終日も晴れていた。左後方のバスが、我々のバス。
・最初の観光は小樽運河。ここでは、1号車全員で記念写真を撮る。(9:08)
・小樽運河(おたるうんが)は、北海道の小樽市にある運河。大正12年(1923年)に完成した。内陸に水路を掘ったものではなく、沖合を埋立て、陸との間に出来た水路であり、「埋立て式運河」と呼ばれる。海上に停泊した船舶からの貨物を乗せた艀(はしけ)舟を係留し、貨物の荷揚げに使われた。人力で荷揚げする方式は戦後に入り衰退していった。また、戦後は樺太等との交易がなくなったため、物流の拠点としても急速に廃れていった。
無用の長物と化し、放置されていた小樽運河はヘドロがたまり悪臭が漂うようになった。1960年代に入り、運河を埋め立てて、道路として整備する方針が小樽市から打ち出された。それに対し運河の保存運動が全国規模で高まった。市側は当初の全面埋め立てに対し、運河の半分の幅を残す妥協案を提示するが、全面保存を求める保存派と意見が折り合わないまま、1983年(昭和58年)には埋め立て工事に着手。1986年(昭和61年)には北海道道17号小樽港線 (通称:小樽臨港線)が開通する。散策路やガス灯が整備され、大きく様変わりした運河周辺は、小樽の一大観光スポットに成長し、1996年(平成8年)には都市景観100選を受賞した。現在では、立地の関係からか、当初の景色を残す北運河よりも、半分を埋め立てて散策路を整備した臨港線部分に観光客が多い。運河の両岸には煉瓦や札幌軟石で造られた重厚な倉庫群が立ち並び、往時をしのぶことができる。(Wikipedia)
・小樽運河には、沢山のサケが登っていて、サケが産卵した卵を観る事が出来た。役目を終えたサケが、死んで白くなり川に浮いていた。それを、清掃員と思われる方が、回収作業をされていた。(9:31)
・一番最初に観た時には、コイが泳いでいるのかと思ったが、サケだったのである。(橋の上から観ていた方より聞く)(9:46)
・小樽は自由散策(9時前頃より1時まで)でレトロな町並みを楽しむ。このお店には、以前にも訪れた事が有る。高級なガラス器や陶磁器が並んでいた。観るだけだった。かっては、あのダイアナ妃も乗られた船とか!
・課外授業の一環か(総合的な学習らしい)、小学4年生5人からインタビューを受ける。何処から来ましたか?何処を見たいと思いますか?等々。では、僕達がオススメするお店を紹介しましょうと言って、一軒のパン屋さんを紹介してくれました。そこのお店は、味噌パンが美味しいらしいが行かなかった(申し訳ない)。その後、彼等が作成したと思われる「小樽観光マップ」をもらう。(B4サイズ)8ページに渡り手書きで一生懸命書かれたマップだった。表紙には、小樽市立花園小学校 第4学年 総合的な学習。私達がオススメする小樽の名所・名物と書かれてあった。中には、自分たちで調べた事が書かれていた。例えばラーメン問屋の蘭には、
1・アイスを帰りにくれるよ!
2・ひがわりで安いメニューがあるよ。
3.珍しいメニューがあるよ。
等スイーツ・パンや餅・ラーメンとおすし・お土産などが詳しく書かれていたのである。その後は逆質問で、島根県分かる?と聞いたら、「知っている」との答えは嬉しかった。又「君達の将来の夢を教えて?」と質問したら、圧倒的に「サッカー選手」と答えた子が多かった。最後に、記念撮影をお願いし、握手で別れ元気を貰う。(10:19)隣での他のグループには、「立派な大人になれよ!」との声が聞こえてきた。孫息子の小4頃を懐かしく想い出したので有ります。
最後に、小樽市立花園小学校の皆さん ありがとう! 頑張って下さ~い!
・一旦引き返し、懐かしい5年前頃(北海道一周の際は、フエリーで舞鶴港から小樽港着後)に宿泊した「ホテル ヴィブラントオタル・旧拓銀」をバックに!このホテル ヴィブラントオタル」は、小樽運河にも近く小樽市指定「歴史的建造物」らしい。
・小樽でも北海道の産物が沢山売られていた。(サケ・カニ・メロン・ウニ等々)
・生きたカニが泳いでいました。
・最終日の観光は小樽のみで、この後は千歳空港に向かった。道央道は札幌市内を通過中最終日の席は、やっと最前列に!車窓より(11:26)。途中右手側に、札幌ドームの白い屋根が観えました。
・新千歳空港に到着(12:08)ここで、バスから降りる。帰りの便も、羽田空港での乗り継ぎで山口宇部空港へ。福岡発着の方は、帰路は羽田にて乗り継ぎで一緒だった。
・北海道旅行の際は、極力途中で買わずこの空港のお店で買う様にしている。今回も、お土産の大半は新千歳と羽田空港で済ます(他の人に比べれば、土産は少な目だっただろう。沢山買って、発送する方が多く見受けた)。今回変わった物では、「ホタテの貝柱」の干物を買って見ました。(ガイドさんお勧めで、「ホタテご飯」にしたら美味しいらしいが?)待ち時間に、事前に予約していた空弁を食べる。初日に続き2回目の空弁(駅弁も美味しいが、始めての空弁も中々良かった)(12:44)
・新千歳空港にての羽田便(13:21)宇部ー羽田間の✈も良かったが、この飛行機も新型機と思われた。特に宇部からの飛行機は、座席後部に液晶パネルが付いていてビデを等もリモコン操作で楽しめた(山口宇部ー羽田便のみ)。それに、中央部の座席のみ、少しずれていて外が見渡せる様になっていた(新千歳ー羽田便も)。最新機は、小型され機内が改善された様である。肘置きが両サイドに設置されていたり、足元が前席が高くなっり広くなっていた。トイレも随分改善され、最新式になった様である。(ホテル並み位かな?)
・今回の飛行機は何れもほぼ満席状態で、席は何時も後ろに近かった。機内では、ドリンクのサービスが有り、上さんはコーヒーこちらはアップルジュースを注文する。又、機内の乗務員も若く笑顔も素晴らしかった。(16:51)
・羽田ー山口宇部便の機内からの景色(17:41)大分宇部空港に近づいて来たのか、間もなく降下が始まりました。空から観る夕やけも、又変わって良かったです。この時間帯に飛行機に乗るのは、始めてだったので退屈しなかった。山口宇部空港から、東京便が9便出ているのには驚いた。山口宇部空港に到着した時にも、5~60人位の人が待合室に居られた。恐らく、最終便なのだろうか?
・バスでの移動距離は、初日284km・二日目396km・三日目304km・四日目117kmでトータル1101km・途中給油は1回。この距離は5月にマイカーで旅した距離よりもやや少なく、当地から東京までより多い距離である。(結構バスには、乗る程有った)
バスの席も初日が前から4席目で、その後は後ろに下がり最終日に初めて最前列になる。連日バス移動だったが、席の位置で随分乗り心地が変わり前の方が良い。従って、毎日席替えが行われるのだろう。特に最後部席になると、揺れも酷く疲れも多いから悲惨である。その点今回は、最後部席だけは無かったから良かった。5回目の北海道だったが、何より天気に恵まれたのが良かった。遠い北海道は何回行っても良いし、又機会が有れば再度訪れて見たい所の一つである。旅日記の最終日は、雨なので少し時間を掛け、追加投降を試みました。
是まで4日間に渡る旅日記は本日で終了し、明日より本来のスタイルに帰る予定です。
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