たかきの独りごとパートⅡ

近況報告(感謝・感動・感心をテーマとし、今年度は家庭菜園が中心予定です。尚、不定期更新とさせていただきます。)

◎オランダに日本惜敗

2010-06-20 07:29:00 | 日記
☆富士山ライブカメラ(忍野八海カメラ) 今朝5時

☆富士山ライブカメラ(三ッ峠山頂カメラ) 今朝6:34

★今朝も曇り空で薄日が射して静かな朝である。気温は、22℃だが蒸し暑くは無く凌ぎやすい。ニュースでは、昨日沖縄地方が梅雨明けしたと言う。これは平年より4日、昨年より17日早い。入梅は5月6日で、梅雨は44日間だった。
気象台によると、この間の降水量は、那覇で同期間の平年値の2倍を超す761・5ミリに達するなど、沖縄本島を中心に平年を上回ったそうだ。
それにしても、今月初旬に訪れた沖縄はとても蒸し暑かった。それに比べれば、今の梅雨は随分と楽である。
さて昨夜は、楽しみにしていたサッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会第9日の対オランダ戦をテレビ観戦する。今回は、8時半がキックオフだったので助かった。夕食後テレビに釘づけで見たが、前半はハラハラドキドキの連続だった。前半は、何んとか0点に凌いだが、後半に鋭いミドルシュートを決められる。日本もその後懸命に反撃したが得点に結び付かなく日本がオランダに惜しくも0―1で敗れた。
日本・岡田監督談「「何とか勝ち点を取りたかったが。我々に下を向いている時間はない。疲れをとり、デンマーク戦で最高の試合ができるようにしていく。残り20分を切ったら勝負に行こうと思ったが、先に失点してしまった。1点差は日本が乗り越えられない壁。得点できなかったのが敗因だ」これがすべてを物語っている。
相手のオランダは、世界ランキング4位で優勝候補の一角と言う。負けはしたものの、1点差ゲームだから良しとし、次のデンマーク戦に臨んで欲しい。是非勝って、2大会ぶりとなる決勝トーナメントに進出して欲しいものである。

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【夢を実現する今日の一言】

・自分と違う人に出会うほど、本当の自分に気づいていく

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◆過去の出来事・トピックス
・玉川上水完成。全長43km(1654)
・・初の日本製映画が上映される(1899)
初のロングサイズのたばこハイライト発売(1960)

・活字印刷機が初めて輸入される(1582)
 1582年(天正10)、キリスト教に熱心な大友宗麟ら3大名が少年使節団をローマに派遣。この時、一行の世話役をしていたイタリア人宣教師バリニャーニが、日本での布教宣伝に役立てようと活字印刷機を持ち込んだ。活字を彫る職人まで引き連れ、長崎の港に帰着したのが、1590年のこの日(21日説あり)である。

・暴れん坊将軍・吉宗逝く(1684)
 1684年(貞享元)、紀伊藩主・徳川光貞の子として生まれ、8代将軍となった吉宗。俗にいう享保の改革を行い、民衆のための政治で徳川幕府中興の英主となった。米価対策に尽力したので「米将軍」とも呼ばれた。「人は用い方にて物の用に立つものなり」を人材登用の基本方針とし、新井白石ら前代の側近を幕政の中枢から退け、大岡忠相、水野忠之などを抜擢している。1751年(宝暦元)のこの日、66歳で逝去。

◆記念日・年中行事・お祭り
・ペパーミントデー(北海道北見市「まちづくり研究会」tel.0157-23-3161) 17:23 2005/06/16
 20日に同市の特産品「はっか」をかけて。

・さくらんぼの日(山形県寒河江市tel.0237-86-2111)
 1990年にさくらんぼの産地である山形県寒河江市が制定。

◆本日の誕生日
・勝目梓(作家・1932)、石坂浩二(俳優・1941)、趙治勲(囲碁棋士・1956)

☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・ハナショウブ(アヤメ科)
・「優しい心・あなたを信じる」

☆「きょうの一句」

・はなびらの垂れて静かや花菖蒲  高浜虚子
   
~心に響く366の寸言~

【叱ってくれる人】

我々の生活が自堕落になった時、
心から馬鹿と叱(しか)って呉(く)れる畏敬する人を
持つ者は幸だ。

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「先達の書に囲まれて 私の人生をひらいてくれた安岡正篤師の教え」
 
 ー第5回ー          
 
 林繁之氏(安岡正篤記念館名誉館長)

 【『致知』2007年8月号より】※肩書きは、記事掲載当時

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 平岩先生にはもう一つ、私の後悔を聞いていただきました。

 昭和四十年頃、日光の田母沢会館という大正天皇の御用邸が、
 終戦後栃木県の管理になり、
 そこで毎年夏に安岡先生を迎えて
 全国青年研修大会と全国指導者研修会が行われていました。

 ある年の研修会の最中、安岡先生は『宋名臣言行録』の中から、
 氾仲淹という宋の仁宗皇帝の重臣が子どもたちに
 言い残した言葉を朗読されました。


  まだ父の貧しかった時、召使いもいないため、
  おまえの母は慣れない手つきで炊事をして、
  私の母に差し上げていた。

  私の母が満足するほどのものは作れなかったけれども、
  一所懸命それをやっていた。
  いま、自分は官吏という要職に就き、
  一族郎党大勢養っていけるだけの身分になったが、
  わが親も妻も既に亡くなり、それだけが恨みである──。


 そこまで読むと、先生は涙で声が詰まり先が読めなくなりました。
 そして、「林君、いるか? 代わりに続きを読んでくれたまえ」
 とおっしゃったのです。

 ところがその大事な時に、私は何かの都合でその場にいなかったのです。
 
 先生は私がいないのが分かると、
「いないか。では、後は皆自分で読めるね」
 と言われて、ご自分では読まれなかったのでした。
 
 ・・・(明日へつづく)


  『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
  http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=746&category_cd

☆6月20日 松下幸之助[一日一話]

<言うべきを言う>
部下を持つ人は、自分一人だけの職務を全うすればいいのではなく、部下とともに仕事の成果全体を高めていかなくてはなりません。そのためには、やはり部下に対して誠意をもって言うべきことを言い、導くべきことは導いていくことが大切です。
注意すべきときに“注意したら文句を言ってうるさいから”というようなことを考えて、言わずに放っておくというようなことではいけません。部下がなすべきことはやはり毅然として要求し、そしてそれを推進していくということに対しては断乎としてやらなければならない。そういうことをしない上司には、部下はかえって頼りなさを感じるものです。

☆「たかきの独りごとパートⅡ」はブログの開設から 330日
・昨日、6月19日のアクセス数 閲覧数:248 訪問者数:111

タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
☆来年五月まで目標とする言葉(浜田市三隅町:龍雲寺にて出会う:2010.5,8)


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