☆北海道オホーツク海に面した網走国定公園内の 小清水原生花園(今朝の6:58)
☆昨日の野菜等(キュウリ15本・トマト・パブリカ・クリなど)
★今朝は、曇り空で陽射しは無い。気温も高く16℃で肌寒くなく凌ぎやすい。鹿児島県の奄美地方では、記録的な大雨が降ったと言う。今月18日の降り始めからの雨量も700ミリを超え、平年の10月1か月分のおよそ3倍に当たる記録的な大雨という。
最近は、異常気象のせいか局地的な大雨が多い。停電や水害で奄美の方は、大変な日が続く事だろう。
しばらくの間、留守をするので新聞を止めたり、野菜を採ったりする。野菜は食べきれないので、近所の方にお裾分けし喜んで頂く。また今朝は、この秋7回目のクリご飯をご馳走になる。おそらくクリご飯も、今回が最後となるであろう。
聞いて見ると、上さんは4時頃起きてクリの皮むきをしたとか。こちらが起きた6時頃には、既に良い匂いがするクリご飯が炊けていた。いつも上さんには、感謝々で申し訳ないと思っているのである。
明日北陸へ向けて出発予定なので、初日の宿を今朝探す。明日は、兵庫の城崎温泉に泊まろうと思っている。予約したのは、創業が明治二年の老舗旅館である。HPを見れば城崎温泉には超高級温泉旅館が多いが、程々の閉静な純和風の宿にする。自宅からの道のりは、R9~一般道経由で約400km前後だが途中の山陰海岸(香住海岸)から玄武洞等を観光し早めに宿に入りたい。
次は、がんばらない介護(その4)に
(4)「介護のために仕事は手放さない」
シズエさんが亡くなった。まだ47歳だった。先日、私がNHKニュースで「よい介護とはがんばらない介護である」という話をしたとき、真っ先に電話をくれ、「そうですよね、がんばっちゃダメなんですよね。先生のご本のとおりですよね」と明るい声で話していたシズエさん―――。心筋梗塞で急逝したのはそれからまもなくだった。
シズエさんとの関係は、彼女の実母を、私が勤務する施設でお世話したのが始まり。以来、何かと相談にのってきた。仕事を辞めるか否かの相談もそのひとつだった。シズエさんは長年会社勤めをしていたが、父親が認知症の母の介護で困っているのを放っておけず、退職しようかどうか悩んでいた。
「辞めちゃダメ」、私は即座に反対した。
仕事と介護の両立はたしかに大変だが、仕事があれば社会とのつながりが保て、開放感と適度な気分転換にもなる。逆に介護に専念すると、世界は老親との関係だけ。外とのつながりが絶えるとストレスは増大し、疲労も倍加する。これは私の実体験に基づいた持論である。
しかし、シズエさんは辞めることを選んだ。真面目な彼女を心配した私は、顔を見るたびに「たまには旅行に行ったら」「お芝居でも観たら」「あそこの健康ランドはいいらしいわよ」と、肩の力を抜くようアドバイスしたものである。
柩に入ったシズエさんと対面した認知症の母は、もう娘を認識できなくなっていたはずなのに、「オーオー」と声にならぬ声を出して泣いた。施設に連れ帰ってからも悲しみに沈んだ表情はしばらく消えなかった。そして、父は床に伏してしまった。
シズエさんは、もともと心臓が弱かったのかもしれない。そうだとしても、介護の疲れとストレスが、病に倒れた誘因となったことは間違いない。
「がんばっちゃダメなんですよね」。受話器の向こうで言った彼女の声が、今も甦る。
☆明日訪れる予定の香住海岸:但馬松島と玄武洞をネットから
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【夢を実現する今日の一言】
・使命がわからない時は、
目の前にいる人を幸せにすることが使命
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
◆歴史上の出来事/年中行事/お祭り
・神宮外苑で出陣学徒壮行会(1943)
・朝永振一郎にノーベル物理学賞(1965)
・国際反戦デー(1968 )
・日本初のウーマン・リブのデモ(1970)
・あかりの日(日本電球工業会tel.03-3201-2641ほか)
1879年10月21日、発明王エジソンが日本産の竹を焼いて作った炭素を用いた白熱電球を完成。これにちなみ、1981年に制定。
・伊能忠敬、全国地図の作成開始
全国測量を思いたった伊能忠敬は1800年(寛政12)、北海道からその作業を開始。この年の10月21日、江戸に戻って地図を作り始めた。時に忠敬、56歳。その後、14年の歳月をかけ全国の測量を完了。日本全国図の作成にあたったが74歳で死亡。「大日本沿海輿地全図」は、忠敬の死後3年目に、彼の弟子たちが完成させた。
・ノーベル誕生
アルフレッド・ノーベルといえば、ご存知ノーベル賞の制度設立者。ダイナマイト、無煙火薬、起爆剤と次々に爆発物を発明した化学者ノーベルは、実験中に弟の爆死という不幸に会いながらも研究を続行し、「おそれを知らぬ男」と評された。しかし、自分の発明による火薬が戦禍を拡大させたことを悔い、火薬工業で成した 168 万ポンドの財産すべてを、人類の平和と進歩に功績のあった人に寄与するよう遺言した。1833年10月21日はノーベルの誕生日。
☆本日の誕生日
・白川由美(女優・1936)、五月みどり(女優・1939)、蛭子能収(漫画・1947)、渡辺謙(俳優・1959)
☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・オヤマリンドウ(リンドウ科)
・「正義」
☆「きょうの一句」
・われありと思ふ鵙啼(もずな)き過ぐるたび 山口誓子(せいし)
~心に響く366の寸言~
【風 流】
人間は練れば練る程詩的になる。
風流とは風が空を吹く如(ごと)く、
何等為(なんらため)にする所なき
自(おのずか)らな姿を謂(い)う。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=746&category_cd
☆10月21日 松下幸之助[一日一話]
<競争相手に学ぶ>
今日、たとえば企業などにおいて、非常に力もあり、立派な経営をしている相手と競争していくというような場合、ともすれば、困った、大変だと考えがちではないだろうか。しかしこれは「相手の経営のいいところは大いにとり入れてやろう。また、こういう相手と競争していくのは一面大変だけれども、同時に非常に励みにもなる。結局自分のところの発展にプラスになるのだ」と考えたらどうだろうか。そうすれば、相手の良さも素直に吸収でき、さらに心ものびのびとして、相手に負けないような知恵もでてくるかもしれない。
指導者は、競争相手からも学ぶ心構えが大切だと思う。
☆「たかきの独りごとパートⅡ」はブログの開設から 453日
・昨日、10月20日のアクセス数 閲覧数:393,訪問者数:138,トータル閲覧数(PV):91760,トータル訪問者数(IP):40893,
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
☆来年五月まで目標とする言葉(浜田市三隅町:龍雲寺にて出会う:2010.5,8。
☆昨日の野菜等(キュウリ15本・トマト・パブリカ・クリなど)
★今朝は、曇り空で陽射しは無い。気温も高く16℃で肌寒くなく凌ぎやすい。鹿児島県の奄美地方では、記録的な大雨が降ったと言う。今月18日の降り始めからの雨量も700ミリを超え、平年の10月1か月分のおよそ3倍に当たる記録的な大雨という。
最近は、異常気象のせいか局地的な大雨が多い。停電や水害で奄美の方は、大変な日が続く事だろう。
しばらくの間、留守をするので新聞を止めたり、野菜を採ったりする。野菜は食べきれないので、近所の方にお裾分けし喜んで頂く。また今朝は、この秋7回目のクリご飯をご馳走になる。おそらくクリご飯も、今回が最後となるであろう。
聞いて見ると、上さんは4時頃起きてクリの皮むきをしたとか。こちらが起きた6時頃には、既に良い匂いがするクリご飯が炊けていた。いつも上さんには、感謝々で申し訳ないと思っているのである。
明日北陸へ向けて出発予定なので、初日の宿を今朝探す。明日は、兵庫の城崎温泉に泊まろうと思っている。予約したのは、創業が明治二年の老舗旅館である。HPを見れば城崎温泉には超高級温泉旅館が多いが、程々の閉静な純和風の宿にする。自宅からの道のりは、R9~一般道経由で約400km前後だが途中の山陰海岸(香住海岸)から玄武洞等を観光し早めに宿に入りたい。
次は、がんばらない介護(その4)に
(4)「介護のために仕事は手放さない」
シズエさんが亡くなった。まだ47歳だった。先日、私がNHKニュースで「よい介護とはがんばらない介護である」という話をしたとき、真っ先に電話をくれ、「そうですよね、がんばっちゃダメなんですよね。先生のご本のとおりですよね」と明るい声で話していたシズエさん―――。心筋梗塞で急逝したのはそれからまもなくだった。
シズエさんとの関係は、彼女の実母を、私が勤務する施設でお世話したのが始まり。以来、何かと相談にのってきた。仕事を辞めるか否かの相談もそのひとつだった。シズエさんは長年会社勤めをしていたが、父親が認知症の母の介護で困っているのを放っておけず、退職しようかどうか悩んでいた。
「辞めちゃダメ」、私は即座に反対した。
仕事と介護の両立はたしかに大変だが、仕事があれば社会とのつながりが保て、開放感と適度な気分転換にもなる。逆に介護に専念すると、世界は老親との関係だけ。外とのつながりが絶えるとストレスは増大し、疲労も倍加する。これは私の実体験に基づいた持論である。
しかし、シズエさんは辞めることを選んだ。真面目な彼女を心配した私は、顔を見るたびに「たまには旅行に行ったら」「お芝居でも観たら」「あそこの健康ランドはいいらしいわよ」と、肩の力を抜くようアドバイスしたものである。
柩に入ったシズエさんと対面した認知症の母は、もう娘を認識できなくなっていたはずなのに、「オーオー」と声にならぬ声を出して泣いた。施設に連れ帰ってからも悲しみに沈んだ表情はしばらく消えなかった。そして、父は床に伏してしまった。
シズエさんは、もともと心臓が弱かったのかもしれない。そうだとしても、介護の疲れとストレスが、病に倒れた誘因となったことは間違いない。
「がんばっちゃダメなんですよね」。受話器の向こうで言った彼女の声が、今も甦る。
☆明日訪れる予定の香住海岸:但馬松島と玄武洞をネットから
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【夢を実現する今日の一言】
・使命がわからない時は、
目の前にいる人を幸せにすることが使命
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◆歴史上の出来事/年中行事/お祭り
・神宮外苑で出陣学徒壮行会(1943)
・朝永振一郎にノーベル物理学賞(1965)
・国際反戦デー(1968 )
・日本初のウーマン・リブのデモ(1970)
・あかりの日(日本電球工業会tel.03-3201-2641ほか)
1879年10月21日、発明王エジソンが日本産の竹を焼いて作った炭素を用いた白熱電球を完成。これにちなみ、1981年に制定。
・伊能忠敬、全国地図の作成開始
全国測量を思いたった伊能忠敬は1800年(寛政12)、北海道からその作業を開始。この年の10月21日、江戸に戻って地図を作り始めた。時に忠敬、56歳。その後、14年の歳月をかけ全国の測量を完了。日本全国図の作成にあたったが74歳で死亡。「大日本沿海輿地全図」は、忠敬の死後3年目に、彼の弟子たちが完成させた。
・ノーベル誕生
アルフレッド・ノーベルといえば、ご存知ノーベル賞の制度設立者。ダイナマイト、無煙火薬、起爆剤と次々に爆発物を発明した化学者ノーベルは、実験中に弟の爆死という不幸に会いながらも研究を続行し、「おそれを知らぬ男」と評された。しかし、自分の発明による火薬が戦禍を拡大させたことを悔い、火薬工業で成した 168 万ポンドの財産すべてを、人類の平和と進歩に功績のあった人に寄与するよう遺言した。1833年10月21日はノーベルの誕生日。
☆本日の誕生日
・白川由美(女優・1936)、五月みどり(女優・1939)、蛭子能収(漫画・1947)、渡辺謙(俳優・1959)
☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・オヤマリンドウ(リンドウ科)
・「正義」
☆「きょうの一句」
・われありと思ふ鵙啼(もずな)き過ぐるたび 山口誓子(せいし)
~心に響く366の寸言~
【風 流】
人間は練れば練る程詩的になる。
風流とは風が空を吹く如(ごと)く、
何等為(なんらため)にする所なき
自(おのずか)らな姿を謂(い)う。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=746&category_cd
☆10月21日 松下幸之助[一日一話]
<競争相手に学ぶ>
今日、たとえば企業などにおいて、非常に力もあり、立派な経営をしている相手と競争していくというような場合、ともすれば、困った、大変だと考えがちではないだろうか。しかしこれは「相手の経営のいいところは大いにとり入れてやろう。また、こういう相手と競争していくのは一面大変だけれども、同時に非常に励みにもなる。結局自分のところの発展にプラスになるのだ」と考えたらどうだろうか。そうすれば、相手の良さも素直に吸収でき、さらに心ものびのびとして、相手に負けないような知恵もでてくるかもしれない。
指導者は、競争相手からも学ぶ心構えが大切だと思う。
☆「たかきの独りごとパートⅡ」はブログの開設から 453日
・昨日、10月20日のアクセス数 閲覧数:393,訪問者数:138,トータル閲覧数(PV):91760,トータル訪問者数(IP):40893,
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
☆来年五月まで目標とする言葉(浜田市三隅町:龍雲寺にて出会う:2010.5,8。
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