たかきの独りごとパートⅡ

近況報告(感謝・感動・感心をテーマとし、今年度は家庭菜園が中心予定です。尚、不定期更新とさせていただきます。)

◎がんばらない介護(その3)

2010-10-20 07:24:04 | 日記
☆奥入瀬渓流の様子(H22/10/19現在)
・奥入瀬の紅葉は、殆ど進んでおりません。むしろ紅葉を探して撮影するのに時間がかかっています。見頃は10月下旬になりそうです。(十和田八幡平観光物産協会)





★今朝も少しの雲は有るが陽が射している。気温も14℃とやや高い。
・プロ野球パ・リーグのクライマックスシリーズ、ファイナルステージ第6戦は、ロッテが7対0でソフトバンクに勝って、4勝目をあげ、逆転で日本シリーズ進出を決めました。(NHK)
このニュースは、昨夜目が覚めて知る。実は、ソフトバンクを応援していただけにショックで有る。ソフトバンクには、当県出身の和田 毅投手がいるからである。ソフトバンクには、勝って欲しかっただけに残念!
今朝もライブカメラからは、富士山が見えないので昨日の奥入瀬渓流の様子を!調べて見ると、昨年は10/25(日)に奥入瀬を訪れていた。昨日の十和田八幡平観光物産協会の情報では、今年は紅葉が遅れている様である。
昨夜3時前NHKラジオ「音の風景」で、八甲田ロープウェーの様子が放送された。1年前に乗って山頂へ向かったのが、懐かしく想い出された。
今日の八甲田山山頂付近は、晴れていて気温は5.8℃で下北・津軽半島・岩木山が見えているそうだ。(観測日時: 10/20(水) 8:00)
明後日の22日には、北陸に向けて出発したいと思っている。従って明日までには、コースや宿泊場所等を決定したい。
では、3回目の「がんばらない介護」を

昨年の10/25(日)の様子は下記ブログより
http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947/c/83a5ab0fe98195da89f50d8a2dc3b78d/3
青森駅前のホテル⇒八甲田・十和田ライン⇒岩木山展望所・八甲田春山除雪隊発祥の地⇒八甲田山ロープウェー⇒八甲田山山頂⇒30分コースを散策⇒八甲田ゴールドライン⇒城ヶ倉大橋⇒道の駅・虹の湖公園にて昼食⇒十和田湖⇒奥入瀬渓流⇒国民宿舎・十和田湖温泉泊
☆国民宿舎十和田湖温泉の外観

・標高1,324mの八甲田山、田茂萢岳山頂までの2,459mを結ぶ八甲田ロープウェー
春はブナの新緑、夏は湿原を周回する自然遊歩道の散策、秋は見事な紅葉、冬は樹氷が素晴らしい
アオモリトドマツの樹氷をぬう5kmのダウンヒルは、スキーファンにはおなじみ101人乗りの大きなゴンドラで一気に山頂へとご案内いたします (八甲田ロープウェーHP)


(3)自分を大切にすることが、老親のためになる=野原すみれ(のはらすみれ)
 老親介護で一番大切なことは何か?と聞かれたら、介護者自身の健康を良好に保つことであると答える。介護者は疲れ果てて倒れてはいけないということだ。
 介護者が疲労やストレスで病気になったら、老親の世話をする人がいなくなるだけでなく、ベッドが二つになり手間も費用も倍になってしまう。
 このことは講演でも本でも、口を酸っぱくしていってるのだが、悲しいかななかなかわかってもらえない。
 A子さん(58歳)は同居している姑(88歳)の介護を「体の弱っている人や助けを必要とする方に手をさしのべるのは当然のことですもの」と、誠心誠意、世話をする心やさしい私の友人である。
 姑はそれをよいことに自分でできることもA子さんにやらせ、「昔から嫁は姑に仕えて当たり前」と、訪ねた私にまでしゃあしゃあと言う、小憎らしい婆さんだ。
 ただでさえ嫁使いの荒いその姑が骨折で入院すると、病院の食事が口に合わないから「あれを煮てきて」「これを買ってきて」とわがまま放題に言う始末。
 それでも「病人だから、人寂しいからよ」と姑の用を優先して病院通いをしていたA子さんが、ある日、気が付いたら病院のベッドで点滴を受けていたという。
 疲労とストレスで失神したのだ。私が駆けつけた時、医師が「もっと自分を労ってください」と言っているそばで姑は「体が弱い嫁で困る」とうそぶいた。A子さんはこの期に及んでも「痴呆が言わせるんだから怒らないで」と、私に言ったものである。
 「バカ言ってる場合じゃないのよ。倒れたのが病院だからよかったものの、運転中や道路だったらどうするのよ」と、私はつい声が大きくなった。
 今後は「自分の体を優先して、食事もきちんととること」「疲れきる前に横になること」「ストレスを溜める前に町に出て気晴らしをすること」を約束させた。
 介護者の健康を保つことが結局は良い介護につながるのだ。
 犠牲的精神もこの場合は美徳ではなく有害であると肝に銘じてほしい。
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【夢を実現する今日の一言】

・幸せな理由を探すほど、幸せになる

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◆歴史上の出来事/年中行事/お祭り
・『都の西北』発表(1907)
・日比谷公会堂開場( 1929)
・戦没学生の遺稿集『きけわだつみのこえ』出版(1949)
・北海道愛国駅で幸福駅ゆきの乗車券発売、大人気を呼ぶ(1974)

・新聞広告の日(日本新聞協会tel.03-3591-4407)
 1958年制定。新聞週間中の覚えのよい20日が選ばれた。

・リサイクルの日(日本リサイクルネットワーク会議tel.03-3580-8284) 「ひとまわり(10)ふたまわり(20)」のゴロ合わせ。1990年制定。

・二宮尊徳の明快な指導は薪と本のおかげ!?
 昔、小学校の校庭の端にあった薪を背負い本を読む少年の像のモデルとなったのが、1856年の今日、70歳で他界した二宮尊徳である。貧しい農家に生まれ早くに両親をなくした二宮は、荒れ地を耕すなどの苦労を重ね、若くして地主となる。その手腕を買われ、大名の財政建て直しや荒村の復興などに尽力。自らの農業体験に加え、大の読書家だったことから、明快な指導を行い、官民両者から人気があった。「百万石の米といえども粒の大なるにあらず。万町の田を耕すもその技は一鍬ずつの功による」は、尊徳の言葉。

・ワンマン宰相・吉田茂没す
 1878年(明治11)東京に生まれた吉田茂は、戦後7年2カ月に渡って吉田内閣を組織、対日平和条約や日米安全保障条約に調  印するなど、日本の復興の方向づけを成す。1953年のバカヤロー解散、カメラマンへの水かけ、労働組合を「不逞のやから」といい捨てるなどの傍若無人ぶりで有名だが、反面、持ち前の愛嬌とユーモアで敵陣営にも人気があった。晩年、世界の中の日本のあり方を問われて「世界の中の日本になったのだから、日本人だけの日本だと思って勝手な真似をしてはいけません」。1967年10月20日、 89歳で逝去。枕元には使い込んで手あかにまみれた仏和辞典があったという。戦後初の国葬でテレビ中継された。

☆本日の誕生日
・ 中島常幸(ゴルファー・1954)

☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・アキノキリンソウ(キク科)
・「安心」

☆「きょうの一句」
・火の岳(たけ)に雲湧(わ)き秋の麒麟草  石原栄子

~心に響く366の寸言~

【気 魄】

善(よ)かれ悪しかれ気魄(きはく)が
なくなってくると人間は駄目。

現代人は先(ま)ず、
けちけちした我執(がしゅう)、自己心、
神経衰弱を打破してからでなければ、
善悪共に、大したことが出来ない。

    『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=746&category_cd

☆10月20日 松下幸之助[一日一話]
<小異を捨て大同につく>
明治維新の立役者は勝海舟と西郷隆盛である。当時官軍にも幕府側にも戦いを主張する人は少なからずあり、複雑な情勢であった。しかし、勝海舟も西郷隆盛も戦うことを決して軽視はしなかったけれども、それ以上に、日本の将来ということを深く考えたわけである。そういう両者の一致した思いが、江戸城無血開城を可能にしたのだと思う。
結局、指導者が目先のこと、枝葉末節にとらわれず、大所高所からものを見、大局的に判断することがいかに大切かということである。何が一番大事であり、何が真に正しいか、たえず小異を捨て大同につく、それが指導者としてきわめて大切な心がまえだと思う。

☆「たかきの独りごとパートⅡ」はブログの開設から 452日
・昨日、10月19日のアクセス数 閲覧数:351,訪問者数:123,トータル閲覧数(PV):91367,トータル訪問者数(IP):40755,


タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
☆来年五月まで目標とする言葉(浜田市三隅町:龍雲寺にて出会う:2010.5,8。



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