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【加古爺のつれづれ一行詩集 第11回】

2022-10-31 08:42:29 | 日記

昨夜、少し肌寒い気温の中、夜空に花火が上がりました。毎年8月に川祭りの一環として打ち上げられるのですが、コロナ禍の折、二

年間は中止。今年は、3年ぶりに実施されることになりました。会場は市内5か所に分散され、午後8時から15分間の時短で実施。

5か所の会場で同時に打ち上げが開始され、観覧席や駐車場等は設けない無観客での開催となりました。5か所の会場も、一体どこか

ら打ち上げられるのか、一切、事前の情報はありませんでした。

ところがです!大きな音がし始め、何事かと思いながら窓を開けると、見事ビンゴ!少し離れた陸上競技場から、打上げ花火が次々と

上がっているではありませんか。正に我が家は特等席。玄関先に座り込み、15分間にわたる花火の饗宴を大いに楽しみました。

 ・大輪の 夜空に開く花火見て 天からは如何にかと 母に問うなり

 ・あっ! おっ! おおっ! 見事な花火打ち上がる

 ・次々と上がる花火を 妻と見て まだまだ二人は恋愛中

亡き母への老々介護の様子や認知症状についての一行詩を続けて載せる予定でしたが、今回はやめにしておきます。

 

 


【加古爺のつれづれ一行詩集 第十回】

2022-10-24 08:47:49 | 日記

実家は、私の家から車で5分ほどの所にあります。父がなくなってから二十五年間、「誰もいなくなると、家が傷むから。」

と、96歳半ばまで、母は気丈に一人で家を守り続けました。一人で料理をし、風呂にも一人で入り、畑仕事にも、元気に

取り組でいました。今から思えば、一人で生活し、今日はこれをしよう、明日はあれを・・と、目標を持って暮らすことが

長生きの秘訣だったのかも知れません。

96歳半ば、母は、「虚血性大腸炎」で一週間ほど入院しました。それを機に、こちらに準備していた離れで、私たち夫婦

と一緒に暮らすようになりました。

【母が暮らした離れ。南側(畑側)の縁側から陽射しが十分に入りました】

母がこちらに来てから、足かけ四年。週に二日のデイサービスに通い、庭先を散歩したり、好きな編み物をしたりと元気に

過ごし、食事も好き嫌いはなく食欲旺盛だったのですが・・。

今年の6月頃から全身に発疹ができ、「痒い、痒い。」と訴えはじめ、皮膚科にも通院したのですが、いっこうに治る気配

がありませんでした。

8月30日(火)、急に、下腹部の膨らみ(数年前からあったのですが、痛みも痒みもなく、主治医からは、高齢ですので、

様子を見ましょうと言われていました)の痛みを訴え、その痛がりようは七転八倒。尋常ではない苦しみようでした。

救急車を要請し、市民病院に運ばれた母は、下腹部の膨らみのCT検査を受け、結果、「悪い物の可能性があるので、県立

がんセンターで、詳しく調べてもらって下さい。」との指導を受けました。9月2日(金)、県立がんセンター受診。組織

部分の検体検査を含む各種検査を受け、9月15日(木)、検査結果を聞くために再受診。診断名は「悪性リンパ腫」、血

液のがんでした。血液のがんですので、がん細胞が全身に広がり、発疹も、その影響からくるもののようでした。担当医師

と相談の結果、年齢が年齢だけに抗がん剤治療は避ける(体力が持たない、不可能)。放射線治療も、下腹部の膨らみを小

さくし、痛みを抑えるために、中心部にピンポイント照射を一度だけ実施、様子を見ることになりました。

9月21日(水)、全身CT検査の後、一度きりの「直線加速器放射線治療」を受けました。「かなり、ピンポイントに絞

って照射したので、効果はあると思いますよ。ただ、これ以上の治療は難しいため、余命は一ヶ月から三ヶ月、一年は持た

ないでしょうから、覚悟はしておいて下さい。」との宣告を受けました。

がんセンターにあった地域医療連携室のケアマネジャーさんからの紹介もあり、この後母は、末期がん患者の緩和ケアを専

門に行っている病院のお世話になることになりました。

22日(木)、地元にある緩和ケア専門の医院受診。一旦は、訪問介護と医師往診による在宅医療を行うことになりました

が、9月27日(火)の第一回訪問介護を受け、翌々日の29日(木)、急に入院が決まりました。

訪問介護の結果、今の母の状況では、在宅医療は無理と判断されたのでしょう。がんセンター医師からの宣告はありました

が、入院が決まり、ホッとしたのも束の間、まさかこんなに急に母が逝くとは・・。

10月15日(土)、午前1時19分、母は逝きました。医院の看護師さんによると、夜の巡回の際、病室を覗くと、静か

に穏やかな表情で、眠ったままで息を引き取っていたそうです。入院してから、わずか17日目のことでした。

・我が母の 病名告げらるる 悲しさよ

・我が母の 余命いくばくもなしと 医者の言う

・一条の光明求め 母の直線加速器放射線治療 結果はひと月後

・曼殊沙華 満開の中 母入院

・ベッドでの 声弱々しきや 今日の母

・薬のせいか うつろな目 何か話すが聞き取れず

・逝く母の 笑顔溢るる遺影見て 生きるが如くの心地こそすれ

                                                    合掌


【加古爺のつれづれ一行詩集 第九回】

2022-10-22 10:06:33 | 日記

10月15日(土)、母が満99歳(享年100歳)で亡くなりました。仮通夜、通夜式、告別式を終え、初七日法要を

済ませて、一息ついたところです。その間、ブログを書く時間は勿論、ブログを書く気にもなれませんでした。あまりに

も急な出来事で、心にポッカリと穴が開いたような心地でいます。この後も、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、

七七日(四十九日)法要と尽七法要が続き、百ヶ日忌は来年の1月22日(日)になります。

生老病死、人間はいつか年老いて、やがて死にゆく存在であることは分かっていることですが、なかなかに、その事実を

受け入れるまでには時間がかかるようです。事実、母の遺影を眺めていると、まだ元気でいるような気がしてなりません。

葬儀は、家族葬で済ませました。母からいうと、子どもとその連れ合い、孫とその連れ合い、ひ孫と小さな葬儀でしたが

明るい感じの式場で、棺桶の中には供花を溢れるぐらいに敷き詰め、母の手編みの作品や白寿祝いの写真を入れて見送り

ました。

思えば四年余りの老々介護の日々でしたが、いざ終わってしまうと、心中、複雑な思いがあります。

・今更ながら 母の介助の多きこと そっと妻に手を合わす

・いつまでか 老々介護の 先見えぬしんどさ

・今日は今日 昨日は昨日と 日々何ごとかありき

・今、一番欲しい物はと訊ねられたら 何事もなき平穏な一日

・昼食に 完食せし「朝の残りでいい」 と言う母

・夕食に 「おはようさん」と 車椅子の母やって来る

・不安増し 我と妻 揃いて受けし 脳ドック

・かくのまま続けば 全員共倒れなる 我が家かな

・妹来て 日頃の愚痴聞いてもらう 兄である

・今日こそは散髪に行こう 何事も無き日に

母に関する一行詩がまだまだたくさんあります。私事で恐縮ですが、しばらくは、そんな内容が続くと思います。お許し

下さい。事後処理が多くあり、その対応に追われている日々です。時間が出来れば、またブログします。     合掌


【加古爺のつれづれ一行詩集 第八回】

2022-10-14 10:17:47 | 日記

三日ほど間が空きました。今日は午前中、時間が出来たのでブログを書くことにしました。

三日間の内、一日目はさつまいもの収穫をしました。

下の写真の通り、明日さつまいも掘りに帰って来る孫のために、一部を残しています。

・さつまいもがゴロゴロ 今年は上出来上出来

・蔓除き マルチ剥ぐ下から 百足が這い出る

・もうすぐ孫が 芋掘りしに やって来る

・さつまいもの上に 柿の葉 はらはらと

二日目は、隣接する放置田の、土手の草刈りをしました。もうすぐ、シルバー人材センター

に依頼した植木の剪定作業があるからです。背丈の高いセイタカアワダチソウが茂っていて

かなりの作業量でした。

三日目は芝刈りです。芝というより、草むらという感じですが・・。

午前中、植木の下の草抜きも合わせ、三時間ぐらいで、さっぱりとしました。

老体に鞭打ち、三日間連続で作業に取り組んだ結果、今朝は、体のあちこちが痛くてたまり

ません。無理は禁物。歳を考えないといけませんね。さつまいもが片付いたら、耕運、畝作

りをして、玉葱の苗を植える準備にとりかからなければなりません。横の畝と合わせて二畝

に三百本ぐらいを植え付ける予定です。少々、体にはきついのですが、野良仕事は楽しいも

のです。

・今日は完全休養日 ただただ 句作に励みおる一日


【加古爺のつれづれ一行詩集 第七回】

2022-10-10 09:16:26 | 日記

おはようございます!昨日は終日、雨が続きました。今朝は雨もやみ、今は雲は残りながらも薄日が差しています。

さて、ブログを始めたもののなかなか難しいです。先ずは文才がないこと。何も書かずに投稿できませんから、色

々と考えるのですが、先輩方のようにウィットに富んだ文章や表現が浮かんできません。第二に、皆さんに読んで

いただくための工夫。文章や表現もそうですが、興味や関心を持っていただくための写真等のツール。これがなか

なか難しい。文章に結び付く的確な写真、季節のうつろいを写し取ったような写真。とにかく、その場その場に応

じた写真が上手く撮れません。第七回にして、早くも弱音を吐いてしまいました。で、今回の写真はどうしようと

考えましたが、いいのがありません。考えに考え、思い出したのがこの写真です。

少し前に、通りがかった溜め池にやって来ていた「こうのとり」です。全部で12、3羽ばかりいたでしょうか?

熱心に餌を啄ばんでいました。こんな偶然な写真が撮れるシャッターチャンスは滅多にありません。ましてや、そ

の場で、同時に一行詩が浮かぶはずもありません。

第三の難しさは、写真などのツールと一行詩の内容との一致性、加えて、せっかく一行詩を作っても一度にはブロ

グに載せられませんから、掲載時の適時性を欠くという問題です。今回二つ目の「枝豆」の作品がそうです。「枝

豆」の旬は、とっくに過ぎていますからね。これからも、こうした適時性を欠いた作品が出てくると思いますが、

そっと笑って見過ごして下さい。さて話を戻して、今回の写真と掲載一行詩とは全然関係ありませんので、ご承知

おき下さい。(笑)

・雨雲の中に三日月見え隠れし 茜雲との間に 青空挟む

・終日枝豆の両端切り 風呂上り 手首と甲にシップ貼る

・休憩椅子に寝そべりて 電線とケーブル線 数えおり

・三日月浮かぶ 黄昏時 南西の空に

・窓外見れば もう薄暮なりき 筆を置く