実家は、私の家から車で5分ほどの所にあります。父がなくなってから二十五年間、「誰もいなくなると、家が傷むから。」
と、96歳半ばまで、母は気丈に一人で家を守り続けました。一人で料理をし、風呂にも一人で入り、畑仕事にも、元気に
取り組でいました。今から思えば、一人で生活し、今日はこれをしよう、明日はあれを・・と、目標を持って暮らすことが
長生きの秘訣だったのかも知れません。
96歳半ば、母は、「虚血性大腸炎」で一週間ほど入院しました。それを機に、こちらに準備していた離れで、私たち夫婦
と一緒に暮らすようになりました。


【母が暮らした離れ。南側(畑側)の縁側から陽射しが十分に入りました】
母がこちらに来てから、足かけ四年。週に二日のデイサービスに通い、庭先を散歩したり、好きな編み物をしたりと元気に
過ごし、食事も好き嫌いはなく食欲旺盛だったのですが・・。
今年の6月頃から全身に発疹ができ、「痒い、痒い。」と訴えはじめ、皮膚科にも通院したのですが、いっこうに治る気配
がありませんでした。
8月30日(火)、急に、下腹部の膨らみ(数年前からあったのですが、痛みも痒みもなく、主治医からは、高齢ですので、
様子を見ましょうと言われていました)の痛みを訴え、その痛がりようは七転八倒。尋常ではない苦しみようでした。
救急車を要請し、市民病院に運ばれた母は、下腹部の膨らみのCT検査を受け、結果、「悪い物の可能性があるので、県立
がんセンターで、詳しく調べてもらって下さい。」との指導を受けました。9月2日(金)、県立がんセンター受診。組織
部分の検体検査を含む各種検査を受け、9月15日(木)、検査結果を聞くために再受診。診断名は「悪性リンパ腫」、血
液のがんでした。血液のがんですので、がん細胞が全身に広がり、発疹も、その影響からくるもののようでした。担当医師
と相談の結果、年齢が年齢だけに抗がん剤治療は避ける(体力が持たない、不可能)。放射線治療も、下腹部の膨らみを小
さくし、痛みを抑えるために、中心部にピンポイント照射を一度だけ実施、様子を見ることになりました。
9月21日(水)、全身CT検査の後、一度きりの「直線加速器放射線治療」を受けました。「かなり、ピンポイントに絞
って照射したので、効果はあると思いますよ。ただ、これ以上の治療は難しいため、余命は一ヶ月から三ヶ月、一年は持た
ないでしょうから、覚悟はしておいて下さい。」との宣告を受けました。
がんセンターにあった地域医療連携室のケアマネジャーさんからの紹介もあり、この後母は、末期がん患者の緩和ケアを専
門に行っている病院のお世話になることになりました。
22日(木)、地元にある緩和ケア専門の医院受診。一旦は、訪問介護と医師往診による在宅医療を行うことになりました
が、9月27日(火)の第一回訪問介護を受け、翌々日の29日(木)、急に入院が決まりました。
訪問介護の結果、今の母の状況では、在宅医療は無理と判断されたのでしょう。がんセンター医師からの宣告はありました
が、入院が決まり、ホッとしたのも束の間、まさかこんなに急に母が逝くとは・・。
10月15日(土)、午前1時19分、母は逝きました。医院の看護師さんによると、夜の巡回の際、病室を覗くと、静か
に穏やかな表情で、眠ったままで息を引き取っていたそうです。入院してから、わずか17日目のことでした。
・我が母の 病名告げらるる 悲しさよ
・我が母の 余命いくばくもなしと 医者の言う
・一条の光明求め 母の直線加速器放射線治療 結果はひと月後
・曼殊沙華 満開の中 母入院
・ベッドでの 声弱々しきや 今日の母
・薬のせいか うつろな目 何か話すが聞き取れず
・逝く母の 笑顔溢るる遺影見て 生きるが如くの心地こそすれ
合掌